バウル剣道同好会 ミドリの巻

バウル剣道同好会

ミドリの巻

フェスタ・ジュニーナはブラジル北東地方から始まったお祭りで、元々は聖アントニオ他二人の聖人の記念日だった。今では子供たちが田舎の年寄りの扮装をするお祭りに変わり、幼稚園や小学校の重要な行事となっている。
サンパウロのような大都会では学校内の行事が中心だが、郊外の小さな町では町全体でお祭りを祝う。我らがバウルのニッポ会館もダンス・パーティを開催する。

六月のある土曜日、稽古に行くと通路にテーブルが並べられオレンジの箱が山積みになっていた。
日系のおばさんがいたので何があるのかと聞くとフェスタ・ジュニーナの準備だとのことだった。
「剣道は今日は奥の方だよ」と教えてくれた。

ミドリは何かが計画されたときには心配でならない。

既にみんな集まっていた。
ミドリが「フェスタ・ジュニーナに来るか」と聞き回っている。
「来るつもり」とタイス。
フィリペは「子供じゃあない」との返事。
「あなたは?」とミドリは僕にも聞く。
「何があるの?」
「ダンスに出店。焼きそばがあるよ」
「ミドリは?」
「当然でしょう」
「じゃあ、僕も来ようかな」
「あなたは?」とシロに。
「うーん、まだ分からない」
「晩くなると思うけど来るつもり」とレナトが聞かれる前に答えた。

ミドリは日本に行ったことがある。叔父さんが居る茨城で三カ月過ごしたらしい。
「筑波おろしが寒かっただろう?」僕はミドリに聞いた。
「寒かったけどすごく良かった」ミドリが嬉しそうに振り向いた。
「何が良かった?」
「全部」
「おいしいもの食べた?」
「食べた」
「何を食べた?」
「焼きそばとお好み焼き」
「他には好きな物は?」
「景色も何もかも、又行きたい。あなたは日本に帰るのか」
「ああ帰るつもりだ」
「うらやましい」

ミドリはそう言いながらも壁際で防具を付けているジョゼやカルロス、それにラジオ屋のチアスにも「今晩来るのか」と聞いて回る。
それは出席の確認だけではなく出席しろと強制しているようだ。
「みんな来られるって?」とミドリに聞くと「半分ぐらい」と少々口を尖らせている。
「不満?」
「折角だからと思うのに」
「そうだよね、折角だ」僕は通路で忙しそうに働いているおばさんたちを見た。
「町中の人が集まる」とミドリ。
「そうなんだ」と僕。

「集まらなければバラバラでしかない」
「剣道を一緒にやっているだろう」
「剣道でもフェスタ・ジュニーナでも他のどんな機会でも、なるべく一緒にいられれば、その分だけみんなが一つになれる」

ミドリは少し笑って僕を見上げた。髪を後ろで束ね、背は僕の胸ぐらいだ。
「八月には盆踊りもある」
「ここで?」
「ニッポ会館で。また人が沢山集まる」と嬉しそうだ。
「今日は何時から?」
「九時過ぎから」
「食事をしてから来ようかな」
「焼きそばとか、色々有るよ」
「ブラジルの焼きそばはあまり好きではない」
「おいしいよ」
「おいしいけど、まあ、食事は終えてこよう」
「本当に来るわけだ」
「来るよ」
「じゃあ、焼きそばを食べなくても特別に参加したことにしてあげる」
「ありがとう」

彼女のある種の切実さが僕に来なければならない気持ちにさせた。でも他の皆は適当に無視を決め込んでいる。

こんなことがあった。
土曜日の稽古前に準備運動代わりにボールを投げあい奪い合て自分の陣地に持ち込むゲームを行っている。
敏捷性の獲得や相手の動きを読み取る技術訓練にも役立っているのだろう。
ゲーム終了後、ミドリは「後ろからボールを奪うのは卑怯である」と演説を始めた。
「危険でもある。剣士はそういうことをしてはならない」と怒った顔が真剣だ。
ミドリが話し出すとみんなこそこそ半端に背中を向けて防具の紐を締め直す。
背中から「うるさい」との電波を発していた。

僕は稽古が終わると普段着に着替えミドリやタイス、マリアーナたちの頬にキスをして「また後で」とニッポ会館を出た。
アパートでシャワーを浴び、カメラを持って再び表に出た。月が1971年製ワーゲンの丸い屋根を光らせていた。
助手席にカメラを置きエンジンをかけスープ屋まで走らせた。後部座席の後ろにあるエンジンの振動がエボナイトのハンドルまで伝わる。
国連通り横のヴィトリアレジア公園の木々は月明かりで白い影を作っている。僕は公園沿いの細い道に車を止めた。

ここのスープ屋ではいつも白豆のスープを注文する。
素焼きの甕に裏ごししていない白豆のスープを七分目程入れ、これに一晩掛けて煮込んだ牛の胃袋の短冊切りを浮かせて更にオーブンで焼く。
稽古とシャワーで汗が出尽くした体にビールが染み渡る。
半ズボンとTシャツ姿に炒った大蒜とバターを塗ったパンと冷えたビールがテーブルに乗り、手には日本から持参した文庫本がある。
開け放された窓からはジャカランダの大木の匂いも漂ってきて、レヴィ・ストロースになった気分だ。

頃合を見計らって勘定を済ませニッポ会館に向かった。
会館近くの道路は車で一杯だった。百メートル程離れた交差点の角に車を止めそこから歩く。
空き地を臨時の駐車場にして金を取っている奴がいる。彼らが空き地の持ち主とは限らない。単に腕っ節の強い男たちだけなのかもしれない。
車のラジオからセルタネージュが聞こえてくる。悪い奴では無さそうだ。

ニッポ会館は稽古場がダンス・ホールに変わっていた。
二百席程の椅子とテーブルを壁際に置き、真ん中をダンスの為に開けてある。
入り口近くの屋台はミドリの焼きそばや巻き寿司、豚の皮のフライ、炭酸ジュースを売っている。
まだ五分の入り位だろうか。
スピーカーからフォロの大音響が落ちてくる。高校生が踊っている。そこかしこに田舎の年寄りの格好をした子供が歩いている。

会場の奥に剣道仲間が居るのを見つけた。
ダンスの列を掻き分けテーブルに近寄った。
タイスとエメルソンが並んで座っている。ジョゼが後ろに立っている。タイスとエメルソンは手を握り合っている。
ミドリがタイスの横に座った。
タイスもミドリもいつもよりお洒落をしている。
お洒落といっても新しくて少し高価なシャツと薄く化粧をしているといった程度だけど稽古場とは雰囲気が漂う。
カルロスとマリアーナもやってきた。マリアーナも口紅を引いている。
みんな一寸ずつ上気している。

ジョゼの隣に見かけない女性がやって来た。僕は黙って立っていた。
ジョゼが「恋人です」と紹介してくれてから、僕は優しい顔(微笑というのか)を作って握手をした。
一度あるパーティで、知り合いが連れていた女性に「お母さんですか?」と聞いたら「恋人です」と答えられて言葉を失いその場から逃げ出した覚えがあり、それからはこういう場面では慎重にならざるを得ない。

カルロスもマリアーナもジョゼも彼の恋人も一緒に写真に収めた。
ミドリに皿を渡す男がいる。見かけない男だ。凡そ三十五歳の日系人。
タイスにこっそり聞いた。
「あの男の人はミドリの恋人?」
タイスは笑ってミドリに言った。「彼は恋人かって?」
「叔父さん」ミドリが素っ気なく答えた。
タイスにもっと小声で「ミドリの恋人は来ないの?」と聞いた。
「そういう人はいない」ミドリが直ぐに答えた。

みんな手をつないでコーラを飲んでいるのにミドリは叔父さんと皿を挟んで肉を食べている。

 

注:タイス、フィリペ、レナト、ヂアス、エメルソン、ジョゼ、マリアーナはまた何処かで登場します。

2017 Aug.24

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