バウル剣道同好会 チアスの巻


バウル剣道同好会

チアスの巻

チアスは地元のラジオ局に勤めている。
三十七歳。見事な布袋腹の所有者である。
剣道を始めて1年足らず。まだ防具は許されていないが自前の剣道着を着用している。
着付けは教わらなかったらしい。紐を胸の下で結んでいる所為で袴が腹の上に風呂敷みたいに広がってその姿は出産間近の妊婦のようだ。

稽古は打ち込みだけ。毎週休まずにやっているが一向に進歩しない。
上級者が見かねて指導すると「はいはい」と素直な返事が返って来る。
ところが何も変えようとしない。風の音を聞き流すかの如くである。
言葉が体に伝わらないのか「若い奴の言うことは聞けない」と思っているのかは僕には分からない。
その内に誰も教えなくなっていた。

ある土曜日、稽古の後にみんなでビヤホールで喉を潤そうと話がまとまった。
ビールが配られればお互いコップの縁をぶつけあって「サウデ」(健康の意)と言い合うのが慣習だ。
誰もチアスのコップを鳴らさない。
慣れているのだろう。チアスは少し離れて座っている僕に乾杯の仕草をした。僕も返した。

隣のカルロスに剣道を紹介したいからラジオに出てくれと頼んでいる。
カルロスは宙を睨んで固まっている。向かいのディエゴは聞こえない振りをしている。
チアスは僕を見た。
「頼むよ」とチアス。
「残念だが」と僕。
「何故?」
「言葉の問題だ」
「今ポルトガル語で喋っているじゃないか」
「マイクを前に見えない相手に向かって話せるレベルじゃない」
「そうか」

田舎ではラジオへの出演は名誉なことだろうと僕だって思う。
チアスは判然としない顔をして一人ビールを飲んでいる。

注:カルロス、ディエゴもいつか登場予定

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