2015年6月4日

ボンフィーリオ・デ・オリヴェイラ

Bomfiglio de Oliveira
1891- 1940

ボンフィーリオ・デ・オリヴェイラ

 
ボンフィーリオ・デ・オリヴェイラ。
アニマルによればランショ・アメノ・レゼダのハーモニー責任者でこの楽団の為に沢山のマルシャを作り、ラジオで彼の曲が毎日のように流れていたとのこと。
また音楽評論家エジガル・デ・アレンカル(1901-1993)は彼の性格を”rubro-negro ‘da pa virada”と評しています。
強いて訳すなら「赤と黒の為なら気も狂う」と言う様な。
「赤と黒」はスタンダールの小説ならぬフットボールクラブの「フラメンゴ」のチームカラーで、オリヴェイラの代表曲「フラメンゴ」もこのチームに捧げられたものです。
今でも似たようなフットボール狂の音楽家を知らぬではありません。

「フラメンゴ」の語源は、巨人軍の王選手の愛称でピンク色の鳥「フラミンゴ」ではなく「オランダ人」の意。
昔ブラジル、ノルデスティでオランダ人と戦争があって、この地域に捕虜を連れてきたからとかと歴史解説書にありました。
17世紀にオランダ人(フラメンゴ)が住む地域を「フラメンゴ」と呼び始め、200年後の1895年にはフットボールチーム「フラメンゴ」が誕生。
17世紀のオランダ人は長崎出島で日本とも貿易しています。
長崎のサッカーチームは「V・ファーレン長崎」。「V・ファーレン」の内「ファーレン」(VAREN)はオランダ語で「航海」を意味するとありました。ここでもまだオランダ人が頑張っていました。

ボンフィーリオ、生まれはサンパウロとリオデジャネイロを結ぶ大動脈国道116号線(通称ドゥットラ街道)添い、巨大な「聖女アパレシーダ大聖堂」の隣のガラチンゲッタという小さな町です。
ギターのジレルマンド・ヘイスもこの町の出身。サンパウロ州内ですがリオデジャネイロに近く二人ともリオで活躍しました。

幼少の頃より町のオーケストラの楽団員だった父に伴われトランペットを吹いていました。
1912年バッハ・マンサの楽団で演奏していたときパターピオ・シルバの弟でギター奏者のラファイエテ・シルバに才能を見出されリオデジャネイロのオルケストラ・ド・シネマ・オウヴィドールに招かれリオに移り、リオデジャネイロ音楽学院で演奏家の免許も取得しています。

 
ピシンギーニャの父親の経営する下宿通称「ペンション・ビアンナ」に住みピシンギーニャたちと交友を深めたことが後年バツータス(オイト・バツータスの前身)や黒人だけのバンド、コンパーニャ・ネグラ・デ・ヘビスタスを結成するきっかけとなります。
クラシックの分野でもリオ交響楽団のトランペット奏者であり出身校の音楽学院の教授の職にも就いています。因みにリオ交響楽団の設立者は「国旗の賛歌」のフランシスコ・ブラガ。

代表曲の一つが“”O Bom Filho a Casa Torna”。直訳は「良き息子は家に帰る」。慣用句で「昔にいた所や、やっていた事に戻る」というような意味。
この妙な曲名を口にして気付いたのですが彼の名前は曲名の「ボンフィーリオ」と同じじゃありませんか。
故郷のガラチンゲッタに帰る為には「良き息子」であらねばならなかったのか。
そんな感傷は全然感じられませんが。

 

参考:Musicos do Brasil
ACARI Records
CHORO MUSIC
cliquemusic
O Choro por Alexandre Pintoショーロはこうして誕生した

 

作品

Carolina
Saudade de Guará

Flor do Ipe

 

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