2015年5月30日

アベル・フェレイラ

Abel Ferreira
(1915-1980)

 

Abel Ferreira

アベル・フェレイラ

ピシンギーニャのサックスにはどこか大空に抜ける軽みがあるのに、アベル・フェレイラのクラリネットは甘くて切ない思い出が詰まったリキュールを飲んでいる気分にさせます。

ミナスジェライス州とゴイアス州との境の小さな町コロマンデルの生まれ。貧しい家庭で幼い頃から日雇いとして働き続け学業にさく時間も金銭的な余裕も無かったようです。
12歳でコロマンデル在住の音楽教師イラシオ・ゴメスから受けたクラリネットの手解きがアベル・フェレイラの最初で最後のまとまった音楽教育でした。

15歳でサックスを手に入れると職を得る為町を出、町を変え働く場所を探し、20歳でサンパウロのマウリシオ・カスカペラ・オーケストラに入るも直ぐにここを離れます。故郷近くの町ウベラバにラジオ局の音楽担当者の職を得たからです。
この頃サンパウロ州に近い保養地ポッソ・デ・カウダスでカルメン・ミランダ、アウロラ・ミランダ姉妹のショーの伴奏を務めた記録が残っています。
37年22歳、今度はミナス州の首都ベロ・オリゾンチへ。40年から42年にかけてサンパウロで「ショランド・バイシーニョ」、「ヴァニア」クラリネット・ソロ、サックス・ソロで録音をしました。43年にリオデジャネイロに再び巣を変えます。
アベルは一体何を探していたのか?「彼の中には一人の少年が住んでいて、時折顔を覗かせる」とレコード会社経営者兼プロデューサーのマルクス・ペレイラが語っています。

リオデジャネイロ、ウルカ地区にあったカジノのフェレイラ・フィーリョ楽団に入り、マルレーネ、エミリア・ボルバ、オルランド・シルヴァ等の録音にバックで演奏しています。57年から65年にかけアメリカ、アルゼンチン、ヨーロッパで公演を重ね、71年にラジオとの契約を終了。75年にコッピーニャ、ラル・デ・バッロスと共にライブを行いました。

ぺレイラが見た少年は何を言いたかったのか? 少年アベルは走り続け、80年リオデジャネイロで65歳で亡くなりました。

参考資料:Dicionario do Cravo Albin, Musica Popular Brasileira
Liner notes por Marcus Pereira (Abel Ferreira & Filhos)

 

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