2015年6月12日

カニョート・ダ・パライバ

Canhoto da Paraíba
(Francisco Soares de Araujo,1929-2008)

 

Pisando em Brasa

カニョート・ダ・パライバ Pisando em Brasa

 
カニョート・ダ・パライバの演奏を聞いてすぐ気がつくのはノルデスチ(東北地方)の音色です。ジョアン・ペルナンブッコと同じノルデスチの風景や香りが優しい音色と共に漂ってきます。

フランシスコ・ソアレス・デ・アラウジョ(通称シッコ・ソアレス)はパライバ州の小さな町プリンセーザ・イザベルで生まれました。左利きだったので、パライバのカニョート(左利き)、つまりカニョート・ダ・パライバというわけです。ハッチーニョよりも一世代後のパライバーノ(パライバ州出身者)です。
幼い頃兄と1台のギターを共有し左利き用に弦を張り替えませんでした。父親がギターを教えるのに「鏡に向かって弾いているようでお手上げだ。一人で習いなさい」と匙を投げたとのこと。

 
伝説が残っています。
1959年彼は田舎からジープに乗ってリオデジャネイロのジャコー・ド・バンドリンの家へ行きました。(15日間滞在します。)そこでは著名な音楽たち(ピシンギーニャ、ハダメス、チア・アメリア、ジレルマンド・ヘイス、少年パウリーニョ・ダ・ヴィオラ等) が集まってガヤガヤやっていました。初めてカニョット・ダ・パライバのギターを聴いたハダメスは思わず「○○XX!」と叫び手にしていたビールを天井に放り投げたらしいのです。それを記念してジャコーはその時できた天井の染みを永く拭き取らなかったという話です。
しかしまだ記憶に新しかったカニョート(アメリコ・ジャコミーノ)との比較にうんざりしたのかそれっきりヘシフェに帰って戻ってきませんでした。

多くのショローンと同様音楽を本業とせず普通の会社員として過ごし、町の住民からも愛されていました。仕事はヘシフェのラジオ局(ラジオ・ジョルナル・ド・コメルシオ)の地元のショー等を紹介するレギュラー番組のプロデュースです。

ジャコーの家以来のファンだったパウリーニョ・ダ・ヴィオラやハファエル・ハベーロも参加したPisando em Brasa(93年)が最後のCDとなりました。生涯に残した曲は70曲程です。

参考:br-instrumental.blogspot.com
Paulo Eduardo Neves – extraido do site Agenda do Samba & Choro
Uma Enciclopedia Instrumental

作品
Tua Imagem
Com mais de mil
Visitando o Recife

 

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