2015年6月10日

カニョート・ド・カヴァキーニョ

Canhoto do Cavaquinho
(本名 Waldiro Frederico Tramontano 1908-87)

 

カニョート・ド・カヴァキーニョ & Regional

カニョート・ド・カヴァキーニョ

カニョート・ド・カヴァキーニョはガルジーノ・バレット(Galdino Barreto)の教え子です。
ガルジーノはアニマル著の「オ・ショーロ」に何回も登場し、その死にも一章捧げられています。

「カヴァキーニョは昔はポルトガルの香りのする楽器でモジーニャの伴奏とか田舎風のリズムに使われているだけだった。カヴァキーニョの”ブラジル化”はショーロの勃興期、ガルジーノ・バレット、マリオ・アルヴァレス、ネルソン・アルヴェスによって始まり、彼等の衣鉢を継いだカニョートがこれを確立した。後継世代にとってはカニョートはショーロの本流中の本流であり偉大なる先生である」とはルシアーナ・ラベーロの言葉。
そして彼女自身カニョートにくっ付いていた70年代に「この少女が僕の演奏を一番に受け継いでいる」と言われたと少し嬉しそうに語っています。(Casa do Choro)

1920年代に始まったマイクを使った電気録音はミュージシャンが集音器近くに集まって大音響を発生させる必要が無くなりました。
この技術革新がラジオ局に争って自前のオーケストラを編成させミュージシャンと契約で囲い込みます。
ショローンにとっては”メイク・マネー”の絶好の機会。この時期に多くの小編成バンド(レジョナル)が誕生しました。
1930年カニョートもフルートのベネジット・ラセルダと共にジェンチ・ド・モッロ(Gente do Morro)を結成します。
37年にメイラ、ジノが加わり、40年代後半にはサキソフォンでピシンギーニャもコンサートやレコードの録音に参加しました。(伝説的な録音を幾つも残しています)

ベネジットのフルートに対するピシンギーニャのサックスの対位法の演奏はショーロ界の革命であり宝物です。
ジノはこの時にピシンギーニャから対位法の演奏を学んだと言っています。ジノの7弦ギター演奏はラファエル・ラベーロ等の若い世代のイコンでありまたコーナーストーンにもなりました。

51年ベネジットが社交生活に忙しくてグループを放り出してからはカニョートが後を引き受けます。
フルートに新たにアルタミロ・カリーリョが入り、アコーデオンはオルランド・シルヴェイロ、ジルソン・デ・フレイタス(後にジョルジーニョ)のパンデイロです。

リオデジャネイロ在住のフルーティスト熊本尚美さんに「カニョートたちがクレジットされた録音は何処で手に入るのですか?」と質問した所、「色々なミュージシャンのバックで演奏しているから注意深くライナーノーツを読んでみたら」との返事でした。
気を付けて見れば確かにあちらこちらに名前が散見します。
70年代にラジオの時代が終わってもカニョートは休むことを知らずカルトーラ、MPB4、シッコ・ブアルケ、パウリーニョ・ダ・ヴィオラの収録に参加しています。
80年代引退した後はチジュッカに住み、ペーニャやゴヴェルナドール島でのホーダ・デ・ショーロに頻繁に顔を見せていたようです。
いつもミルク(アルコールは飲まない)で、椅子に座らずに立ったままで演奏していました。
「ズボンに皺ができるのを嫌っていたのだろう」とは皆の噂話です。

2017 Nov.05 wp

参考;A Last.fm
choro-music.blogspot
CeCAC;Os Regionais e o Choro/Sergio Prata
Casa do Choro
O Choro Alexandre Pinto「ショーロはこうして誕生した」

 

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O Choro

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