2017年7月6日

ルペルセ・ミランダ

Luperce Miranda
(1904 Recife - 1977 Rio de Janeiro)

 

ルペルセ・ミランダのヴィルトゥオーゾ振りについてジョエル・ナシメントが語っています。
「ルペルセの音楽は難しくて当時の演奏者には弾くのも聴くのも嫌がられていました。今では殆ど彼の曲は演奏されていません。」
500曲以上作曲したにもかかわらず彼の曲をコンサートはおろかCDで取り上げられるのも少なくなっています。

ジャコー・ド・バンドリン協会顧問セルジオ・プラッタは「バンドリンは20世紀初頭まで主に女性が演奏するものと考えられていた。ショーロのレジオナルでは伴奏用としてのみ使われていたのをルペルセがこの楽器の地位を引き上げソロ楽器としても認められるようになった。」とルペルセの業績を挙げています。続けてジャコー・ド・バンドリンとの演奏の違いについては「ジャコーはピュアーで情感的な音質を追求していた一方ルペルセの音質はアグレッシブであった。」と記しています。

ルペルセはペルナンブッコ州のレシフェで生まれまれました。ジャコーの丁度10歳年長です。家族に音楽家がおらず自身も音楽を本業にしたことがないジャコーとは対称にルペルセは音楽一家に生まれました。父親は兄弟11人の楽団を率いていました。

1926年に加わったコンジュント・ツルナス・ダ・マウリセイラ(Turunas da Mauriceira)が27年にリオのオデオンで(ルペルセ抜きで)録音した20曲の内3曲(Belezas do sertao, O pequeno fiururu, a embolada Piniao)が彼の作品で28年のカーニバルでヒットしました。この成功を頼りに同じ27年中にレシフェでギターのメイラ等と共にヴォス・デ・セルタン(Voz de Sertao)を結成しリオに渡りました。ここでチュチ(Tute)と知り合い”Pra frente e que se anda” 、”Alma e coracao”を録音します。
この前後からはラジオの時代とも重なり、ラジオ・クラブ・ド・ブラジル、ブエノス・アイレスのラジオ・エル・ムンド、ラジオ・マイリンキ、 ヴェイガ・ラジオ・ナシオナル等に出演し、またチュチのバンドで当時のビッグスターだったカルメン・ミランダやフランシスコ・アルヴェスの伴奏を務めました。
考えればこの時代のショローンの特徴<ノルデスチ(東北地方)出身、レジオナル結成、有名歌手の伴奏とレコード録音、ラジオ出演など>が全て揃っています。
46年に故郷のレシフェに戻りその後55年にはドイツへの演奏旅行に参加、再びリオに移り更に16枚ほどのLPを作成した後この地で亡くなりました。

その業績に対し、映像音楽博物館(Fundacao Museu de Imagem e Musica)よりブラジル大衆音楽学士号が授与されています。

参考;Dicionario do Cravo Albin, Musica Popular Brasileira

2017 Jul 06 wp

 

作品

Picadinho à baiana
Reboliço
Segura o dedo
A vida assim é melhor

 

ショローンとその時代

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