2017年8月2日

ラチーニョ

Ratinho (ラチーニョ) (子鼠)

(本名 Severino Rangel de Carvalho)
1896 Itabaiana (Paraiba) – 1972 Duque de Caxias (Rio de Janeiro)

 

ラチーニョはジャララッカ(Jararaca 本名Jose Luiz Rodorigues Cazalans)と二人組の音楽コメディアンでした。
この二人組は1925年にウルグアイのモンテビデオで結成され64年まで続き一時は二人のラジオ番組は聴取率70%を稼いでいます。

二人は単なる「冗談音楽」だけでなく名曲を残してくれました。
ラチーニョの「サキソフォン・ポルケ・ショラス」”Saxofone, Por Que Choras?”(サックスよ、どうして泣いちゃうの?)は本来のサックスだけでなく、クラリネット、アコーデオン、バンドリン、ギターと様々な楽器で演奏され未だに繰り返しミュージシャンに取り挙げられています。
ジャララッカにはカルメン・ミランダが歌って世界的なヒットとなった”Mamae Eu Quero” (ママ、僕は欲しいんだ)があります。この曲は僕としては「トムとジェリー」の中で使われていた印象が大きいですが。

ラチーニョはパライバ州のイタバイアナ(Itabaiana)生まれで、母親を知らず、父方の兄弟だけで25人!。名が売れる前はリオのカシノ・モデルノ(Cassino Moderno)でピシンギーニャのオイト・バツータス(ジョン・ペルナンブッコがいた頃)の前座も勤めていたらしいです。1922年にリオに上京それから長い芸暦が続きました。

年齢だけを見るとほぼピシンギーニャ (1897-1973)と重なっています、確かに。
日本の人気コミックバンド「あきれたボーイズ」の3人は1910年前後の生まれで、バンドは1935年結成ですから、ラチ―ニョ達に遅れる事ほぼ10年ですがほぼ同じ時期。第一次世界大戦後はパリもニューヨークもリオも東京も同じ空気を吸っていたのだと感じさせます。(パリの空気を他の都市で吸っていたのでしょうが)

1964年相方のジャララッカは軍事革命で成立した軍事政権によりコミュニストのルイス・カルロス・プレステスの友人であった事を理由に番組を降ろされました。ちなみにルイス・カルロスのパートナーだったユダヤ人コミュニスト、オルガはナチスによってガス室で殺されています。彼女の人生はブラジルで2004年に映画化(Olga)されています。

72年にラチーニョは貧困の中寂しく死んでいきました。ジャララッカもラチーニョの後を追うように5年後に亡くなっています。

2017 July 27wp

参考:Boa Musica brasileira

ショローンとその時代

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