連載 エッセイ ヴィラ=ロボス

<文 宇野智子>


リオデジャネイロ旅行記

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連載エッセイ ヴィラ=ロボス 番外編
「リオデジャネイロ旅行記」

プロローグ
1. 2011年夏、ストライキ
2. EPMの音楽家たち (前編)
3. EPMの音楽家たち (後編)
4. 2013年春、ワークショップ
5. リオの街をそぞろ歩いて
エピローグ


4. 2013年春、ワークショップ


2013年のワークショップでは、尚美さん通訳の下、日替わりで3人の先生による授業がありました。
1日目はMauricio Carrilho(ギター、作曲)、2日目はPedro Amorim(バンドリン)、3日目はRui Alvim(クラリネット)という豪華な講師陣が、リズム、伴奏、旋律について、それぞれの視点からレクチャーしてくれました。
EPMの他の先生方も飛び入りで顔を出し、最終日は豪華過ぎるホーダ!

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このワークショップを通して、ポルトガル語のリズムとショーロのリズムの相似を、わずかながら肌で感じることができたような気がします。一人一人の異なる動きが、上手く噛み合った時の演奏…それはその場にいる人だけが共有し得る奇跡に近い時間です。
その面白さ、貴重さを知ったことで、今後ショーロのライブを聴くのがもっと楽しくなるのではないかと思います。

最終日のホーダは、まさに「場」そのものが芸術作品でした。絵画のように100年先まで人を感動させることはできないけれど、音楽は刻一刻、姿を変えてそこに存在する生きた芸術なのだということを、はっきりと感じられる場だったと思います。
私は(ヴィラ=ロボスがそうだったように・笑)最終日のホーダは眺めて楽しむ方にまわっていたので、余計にそう感じました。

そして改めて自分が、人の音を聴きながら演奏するアンサンブルが不得手であることを痛感しました。
歌や楽器の伴奏ならば、相手がどういう表現をしたいのか、そのためにどういった土台が必要かということを一対一の関係で考えれば何とかなりますが、輪になって奏でるアンサンブルは四方八方の音を聴かなければなりません。
私の耳はまだそういう音を的確に拾う訓練が出来ていないようで、今後の課題が見つかりました。
でも一方で気づいたのは、今現在の私は、恐らく、自分で思っている以上に一人で演奏することが好きなのだということです。(もちろんアンサンブルの輪に入ることも好きですが)。

ホーダ、セッション、室内楽、オーケストラ……仲間がいないとできない音楽はたくさんあります。一人でできることは限られているとも言えるでしょう。それでも私は、一人で舞台に立って音を出す時に感じる、360度見渡す限り何もない干潟に立ちつくしているような孤独感とある種の征服感がない交ぜになったスリルが楽しくてたまりません。
そして演奏中も、そんな自分を客観的に見ているもう一人の自分がいる……そういう自分と音楽との関わり方が見えてきたのも、リオに滞在したからこそでした。

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レッスンを終えてみんなで共にするランチも楽しみのひとつでした。
じっくり煮込まれた本場のフェイジョアーダはもちろんのこと、青菜の塩炒めのような付け合わせやサラダも美味しかった。
リオの街で食べる野菜はどれも美味しくて(ツアーメンバー内でも同意見の方多し!)、市場を歩けば鮮やかな青果の色が目に飛び込み、視覚からもビタミンを補給できそうなほど。健康な食生活は音楽センスも育んでくれるに違いない!と思いながらモリモリ頂きました。

また、ワークショップ中、ツアーメンバーのお嬢さんがお誕生日を迎えることが分かり、サンバのハッピーバースデーをみんなで歌って電話越しにお祝いしたのも素敵な思い出です。遠いリオからのお祝いなんて、子ども時代の特別な記憶になるのではないでしょうか。

ワークショップの個人的なハイライトは、3日目の講師のRui Alvimが私を覚えていてくれたことです。
日々、色々な人と会っている多忙な演奏家が、2年前にヴィラ=ロボスのことを調べにリオを訪れた一日本人のことを記憶しているとは考えもしませんでした。
言葉に出来ないほど嬉しかったのと同時に、非常に身の引き締まる思いがしました。

2013 10 04

写真は著者から提供されました。