作曲家列伝 

彼らの生んだショーロスタンダード







Pedro Caetano




Pedro Walde Caetano
(ペドロ・ヴァルヂ・カエターノ)
(1911-1992)


靴屋のペドロ



ショーロファンならば、クライジオノール・クルス(Claudionar Cruz)との数多くの競作、
MPBファンならば エリス・へジーナ(Elis Regina)エルザ・ソアーレス(Elza Soares)ベス・カルバーリョ(Beth Carvalho)の歌で、彼の名前を聞いたことがあるかも知れません。

ショラオンというより、サンビスタの方が近いでしょが、細かい話は横に置いといて。

30年代40年代の「ラジオの時代 ("Era do Radio" 又は " Radio Days")」の売れっ子作曲家の一人でした。
偉大な歌手二人(私の個人的趣味ですが)、Orlando Silva,とFrancisco Alvezに曲を書き、大ヒットを生みました。

オルランド・シルバには、クラウジオノールとの共作で、Caprichos de Destino(運命に翻弄されて) (1938)、フエランシスコ・アルベスには、Alcir Pires Vermelho(アルシール・ピレス・ベルメーリョ)との競作で、"Sandalia de Prata (銀のサンダル)"(1942)です。

48年のカーニバルには、最大のヒット曲"E Com Esse que Eu Vou (これとなら私はやれる)"が生まれ、25年後にエリス・へジーナが、再び取り上げました。

また、サンビスタとして、カーニバルのためサンバ・マルシャも残しています。
Francisco Alvez (Eu Binrco(com Pandeiro sem pandeiro)
"Tudo Mundo Enche (みんな嫌になっちゃった)" (競作:Alexandre Dias Filho)、"Jambete Sensacao (素敵な茶色の肌)" (競作:Claudionor Cruz)

リオデジャネイロに程近く、サンパウロ州内の山に囲まれた町バナナル(Bananal)で生まれ、9歳でリオデジャネイロに両親に連れられ引っ越しました。

その頃には、ピアノを弾いていたということですが、彼は一生を通じて、プロフェッショナルな音楽家であったことはなく、リオデジャネイロの町の靴屋が、彼の本業でした。

これが、ショラオンの本領でしょうか。

貝塚

参考:Cliquemusic



作品



Eu Binrco(com Pandeiro sem pandeiro
Caprichos de Destino(運命に翻弄されて)
E Com Esse que Eu Vou (これとなら私はやれる)
Novo ilusao



Pedro Caetano

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