作曲家列伝 

彼らの生んだショーロスタンダード







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ピシンギーニャ Pixinguinha (1897-1973)

本名:Alferdo da Rocha Viana Filho





その人柄、その曲、フルートあるいはサックスプレイヤー、どこを取り出しても愛されるピシンギーニャは、19世紀の終わりに父Alfredo da Rocha Viana と 母 Maria da Conceicaoの間に(14男!!として)、リオデジャネイロで生まれました。誕生日の4月23日は、ショーロの日に制定されています。

少年期からその才能を見出され、バンド"Oito Batutas" (8本の指揮棒) を結成しパリ公演を行ったり、黒人バンドとしては初めて、リオリオデジャネロ・セントラル劇場で演奏したりし、成功を収めました。

日本でのホーダ・デ・ショーロでも、その演奏曲の3分の1近くが彼の曲です。

しかし、この成功とは裏腹に、中年期には、金銭に窮していたようです。
その頃、フルート奏者ベネジット・ラセルダ(Benedito Lacerda)に誘われ、フルートをサックスに持ち替え、再び名曲の数々を生み出しました。
ラセルダの名は、作曲家として、ピシンギーニャと共に併記されています。

彼の残した音楽はブラジル音楽界の至宝であり、今でもミュージシャン達からの尊敬は変りません。

1964年に心臓発作で、20日の間、入院を余儀なくされましたが、この頃作られた曲は、「Fala Baixinho 静かにしゃべってくれ」、「Mais Quinze Dias もう後15日」、「No Elevador エレベーターの中で」、「Mais Tres Dias もう後三日」、「Vou Para Casa 家に帰る」など、何か彼の病室での様子が目に見えるようで、切実な可笑し味があります。

ピシンギーニャの残したものは、ブラジル人だけではなく、日本のショラオン、ショローナの魂にも響くものがあるようです。




作品




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