作曲家列伝 

彼らの生んだショーロスタンダード





Viriato






ヴィリアット・フィゲイラ・ダ・シルヴァ
(Viriato Figueira da Silva)
1851-1883




奴隷の子、そしてフルートのビルティオーゾ、ビリアット



ヴィリアット・フィゲイラは、ピシンギーニャと組んでいたフルート演奏者ベネジット・ラセルダ(Benedito Lacerda)と同じ町、リオデジャネイロ州北部の町 マカエ(Macae)で生まれました。

マカエと言う町は、1600年代にイエズス会のインディオ布教活動中で、その名が現れています。
砂糖黍、コーヒー等の農作物栽培で静かな町であったと想像されますがが、1970年代になって海の沖合いで石油が発見された為に、ブラジル中から職を求める人の群れが集まり、それもその多くが職も見つからず、そのまま住み付きファベーラ(貧民窟)を形成するようになったと、資料にあります。


ヴィリアットの生活の軌跡は多く残っておりません。
彼は、マカエの町で、奴隷の子供として生まれ、いつの間にか、リオデジャネイロに現れました。
リオにどのようにして着いたのか、リオでは、アナ・ネリ通り(Rua Ana Neri)に住んでいたらしいですが、いつ頃かどの位住んでいたのかは分かりませんでした。

リオの帝立音楽学院で、エンヒッキ・アルヴェス・デ・メスキッタ(Henrique Alves de Mesquita)に師事し、ジョアキン・カラッド(Joaquin Callado)とは同窓の友人となりました。

彼の功績は、作曲家、フルート奏者、サックス奏者の3つに分けられます。

サックス奏者としては、彼はブラジルの最初のソロをとったサックス奏者です。

フルート奏者としては、カラッドと並ぶ伝説的なヴィルティオーゾでしたが、その後、パタピオ・シルバ、ピシンギーニャ、ベネヂット・ラセルダ、アルタミロ・カヒーリョ等の出現により、影が薄くなっています。

作曲家としての顔は、ポルカの作曲家です。
ヨーロッパから来たポルカを、ブラジル・ポルカとして確立させた功労者です。また、有名な 「挽くだけ」(So para Moer)は最初の短調のポルカとなっています。


その死は、盟友 ジョアキン・カラッドの3年後であり、死後、カラッドの隣に墓が移され、仲良く眠っています。


この二人は、ショーロの父であり、実際そのように呼ばれています。

貝塚正美


参考 Acari Recors site "Mestre do choro", Agenda Samba & Choro



作品

Entao Nao E!
Macia
So para Moer
Uma Dor



Acari Primcipio de Choro

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