片山叔美のエッセイ

私のサウダージ、アデミルジ・フォンセーカ

<文:片山叔美>





(10) ブラジルでの録音秘話(前篇)




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2004年、私の最初のブラジル滞在も終わりに近づいていたある日…

アデミルジの家で。
私はソファーに寝転び、アデミルジは眉のお手入れ中。
「ヨシミ、眉毛はどうしてすぐ生えてくるのかしらね?毎日こうやって抜かなきゃいけないなんて!」
アデミルジは84歳になったばかりの頃だった。
(アデミルジ、あなたの眉毛って白く見えるし、生えてきても目立たないと思うわ…っていうか、まだそんなに毎日伸びるの!?)
などとショーロの女王につっ込むのも憚られ、ああ上手にピンセットで整えてるなぁ、と眺めつつ、私の心中はあることでモヤモヤしていたのだった。

滞在中、アデミルジをはじめ色々な人たちに、帰国する前にCDの録音くらいやるべきだ、と勧められていた。
さぁて、どうしよう。
こうしてアデミルジの家のソファーでくつろいでいることさえ、渡伯を決めた時点では想像もしなかったし、まして録音なんて全く予定していなかったのだ。

滞在費もギリギリな計画だったが、アデミルジのファンの人が「あなた、アデミルジみたいに早口で歌えるから、是非私のマンションを使って」(!?)なんて言って住居をタダで提供してくれたお陰で、旅終盤の割にはお金が残っていた。

それで私も俄かに欲が沸いてきたというわけだ。
でもアデミルジは、お金は遣わないで~と言う。

その頃、アデミルジの交友関係に、やや癖のありそうなアラブ系ブラジル人のジャーナリストがいた。
どうやら相当なお金持ちで、彼女のレコーディングの話がその人との間で持ち上がっていたようだ。
と言ってもあまり具体的にではなく、流れでそんな話が出たという程度か。
アデミルジは、そのジャーナリストに私の録音も含めてCD制作を頼めるのではないかとタイミングを計っていたらしい。
ある日、アデミルジと私は彼の家の昼食会に招かれた。
かなり大きな家で、家具類も高級な感じ。お手伝いさんが何人も出て来る。

この時、初めてアラブ料理のコースを頂いた。けっこう多くの国の料理を堪能してきた私だが、正直あまり好きになれなかった。
一緒にいた他の人たちも「ここのアラブ料理は微妙だ」なんて言いながら、このジャーナリストのことを何となく「うさん臭いヤツ(?)」と感じているようだった。

結局、CD制作の話は彼の出まかせだったのだろう、お流れになった。

そんな経緯もあったから、ますます私はモヤモヤしていたのだ。
多少お金がかかっても、ここ、ブラジルで録音をしてみたい……だって次に来れるのはいつかわからないのだもの……

何気ない折をみて、アデミルジに話してみた。
やっぱり私はCDの録音がしたい、と。
アデミルジは難しい顔をした。
でもすぐにこう言ってくれた。
「バンドは、いつものメンバーを呼びましょう。」

「いつもの」とは、アデミルジがどこかで歌う時に必ず連れていく演奏者たちのことだ。

7弦ギターに、Valter 7cordas
パンデイロに、Darly do Pandeiro
カヴァキーニョに、Marcio Hulk

そしてソリストをどうしよう、という話になった。
(7弦ギターがベースを、カヴァキーニョがコードを、パンデイロがリズムを担当するため、歌の間奏の部分で歌手に代わってソロを弾く人が別にいたほうが良いので。)

私はふと、アデミルジのアルバムの中でとても好きになったバンドリンの演奏があったことを思い出した。

「ねぇ、アデミルジがエポカ・ジ・オウロと共演したアルバムで、バンドリン弾いてた人って誰? 私、あの人、好き。一緒にやりたい」
「ああ、ゼ・メネーゼス! 私も好き。でも、もう何十年も会ってないわ。私と同じくらいの歳よ」
「ゼは生きてる?」
「死んだ話は聞いたことがないけど」
「まだ楽器弾けるのかなぁ…」
「わからないわ…」

ということで、急遽、ゼ・メネーゼスを探すことになった。


2013 09 20

注:記事内の写真は著者から提供されました。