片山叔美のエッセイ

私のサウダージ、アデミルジ・フォンセーカ

<文:片山叔美>




(11) ブラジルでの録音秘話(後篇)

Ze Menezes





アデミルジ、自分の電話帳を取り出し、電話をかける…

「私、アデミルジ。アルタミーロ、元気!?久しぶりね。今ね、日本からショーロを歌う女の子が私の所に来ていて、それがほんとに私みたいに速く歌うの、私のレパートリー全部歌えるの、それでね……」
なんて綿々と話してから、
「ヨシミに、電話代わるわ」
と、私に受話器をよこした。
とにかくも、電話越しに挨拶だけしてみたのだが、アルタミーロって、あのフルートの巨匠、アルタミーロ・カヒーリョである。

これが私にとって最初で最後のアルタミーロ・カヒーリョになった。
今頃、あちらの世界でアデミルジとも会ったかな…(残念ながら去年、亡くなられました)。
もちろんアルタミーロはアデミルジと過去に共演している。
ショーロの名曲、新しい靴のアンドレの歌詞を作ってアデミルジに歌わせたりもした。(当然、私もその歌詞をゲットしています!)

再び受話器を握ったアデミルジ、
「そのヨシミがね、録音をしたいと言っていて、ゼ・メネーゼスを探してるんだけど、彼がどこにいるか知らない?」
「ゼ・メネーゼスの連絡先は分からないなー。でも、デオなら知ってるんじゃないか?」

…ということで、アデミルジは次にデオに電話。
デオって、あのバンドリンのデオ・ヒアンのことである。

「私、アデミルジ。デオ、元気?久しぶりね。今ね、日本からヨシミという…」
とお決まりの紹介を済ませた後、

「ヨシミはゼ・メネーゼスと録音したいのよ、彼のバンドリンがとても好きなんだって。」

ちょっと、アデミルジ…! デオさん、バンドリニストのデオさん、ほんとにスミマセン!

そして次の日。

デオ・ヒアンからの電話があった。ゼ・メネーゼスの連絡先が分かったらしい。
とても律儀な方だ。お会いした時の印象も、演奏にも、そんなお人柄がにじみ出ていたと思う。

こうしてゼの電話番号を手に入れたアデミルジは、すぐに本人と話をすることが出来た。

彼の住まいはリオデジャネイロの少し奥の方だそうで、アデミルジの住むコパカバーナまでは結構遠い。
年齢はアデミルジと同じ84歳とのこと。
ん~、これは大変だ…。
しかし、彼は録音を喜んで引き受けてくれたという。

でも、一体どうやって、コパカバーナまで来るの…楽器はまだ弾ける…?
という私の心配をよそに、着々と事は進むばかりであった。

ゼと打ち合わせがてらのリハ―サルを、アデミルジの自宅ですることになった。

その日、ゼ・メネーゼスは、ギターを持って、バスとタクシーを乗り継いでアデミルジの家まで1人でやって来た。
ブラジルのお年寄りって…!
(私だってブラジルでバスに乗るのは一苦労なのに。)

アデミルジの家に入るなり、彼はギターを取り出し、凄い勢いで弾き出した。

何、このお爺さん!?
ブラジルのお年寄りって…!

ゼは何やら喋りながらどんどん弾き続ける。
しまいには、これは俺の曲だ、と言って歌い出した…
え、それってジョビンの曲じゃない?
「俺の曲」ってどういうこと!?

後で調べてみると、著作権はジョビンとゼ・メネーゼスとなっていた。
一般的にジョビンの曲と言われてしまうのは知名度の点で仕方がないことだろう。
それでも、あえて私に『実はジョビンじゃなくて、俺が作った曲なんだよぉー』ってことを伝えたかったのかも知れない。

とにかく、ゼ・メネーゼスが至って元気でバリバリ演奏できることが、この打ち合わせで十分に証明された。
それにしても、この爺さんはいつまでギターを弾いているつもりだ…?
ず~~っと、弾きっぱなしなのだ。挙句に言った。
「俺は日本へ行って演奏したい!!」

『えっ。まだそんな意欲があるんですか…!?』
なんて、弦楽器の巨匠に言えるわけもなく…私は少し固まった。

ゼ・メネーゼス(youTube)…マルチ弦楽器奏者ガロートの奏法・スタイルを引き継いだみたいな人。
彼もそう自認していた。
そうか、やっぱり私は古いスタイルの演奏が好きなのだな。

アデミルジは、私の録音についての指揮を、友人の歌手、マルシオ・ゴメスに託した。
「ゼ・メネーゼスは他の楽器も弾けるし、アレンジもできる。だからカヴァキーニョ演奏もアレンジも彼にやってもらえば」
というマルシオの提案に、アデミルジも「そりゃそうね」と同意して、今回はカヴァキーニョも ゼにお願いすることになった。

Admilde + Yoshimi

そして録音当日。
ほぼ定刻にミュージシャン全員、スタジオに集まったのだが、
7弦ギターのヴァルテールが弦を張り替えたいと言う…。
それでは、とスタッフが弦を買いに行き…(おいおい!)

ゼ・メネーゼスはというと、テノールギターとバンドリンとカヴァキーニョを持参。
ん?どうやって運んできたの!?

どうやらテノールギターが一番得意らしく、
ヴァルテールの弦の張替え待ちの間も、猛然と弾きまくっていた。
まったく、恐るべき84歳だ。

当日の様子は、アデミルジの孫の旦那様が経営するビデオスタジオが録画したが、これは後に貴重な映像となった。

録音を終えて聞き直して最後まで聴きおえて安心して喜んでる瞬間

この日、収録したのは4曲のみ。
うち1曲をアデミルジと一緒に歌った。
数日来、調子が良くなかったアデミルジだが、きっと私のために気合で歌ってくれたのだろう。
ほんとうに素晴らしい歌だった。
この4曲の録音を済ませてから、CDの完成に至るまでは、実は私にとって苦労の日々であった。
(12曲入りのアルバムにするのに、その後4年以上もかかってしまったのだ!!)

そして2009年にめでたくリリース。私はとりあえず、救われた思いがした。
アデミルジも安心したことだろう。

初アルバムリリースのライブの時は、アデミルジと電話をつなぎ、スピーカーを通して生でお祝いの言葉を頂いたのだった。
ああ、懐かしい…。


2013 10 02

太字はユーチューブ、紹介サイトにリンクしています。(ミュージシャン紹介はポルトガル語です。)