片山叔美のエッセイ (13)

私のサウダージ、アデミルジ・フォンセーカ

<文:片山叔美>




カーニバルをめぐる思い出

(始まりは一つの曲)

Mário Séve


カーニバルの初日がやってきた。
スーパーやレストランは早じまい。
私はアデミルジと一緒に街へ出て、通りを歩いていた。

人で溢れかえる道で、偶然にもノ・エン・ピンゴ・ダグア(※4)のメンバー、マリオ・セヴェとばったり。
マリオはひどく驚いた。

「ああ、何てことだ、ヨシミがアデミルジと一緒にリオを歩いている!!」
     
※4 Nó em Pingo D'Água
Papito、Mário Séve、Celsinho Silva、Rodrigo Lessa、Rogério Souza のバンド (参考 ここをクリック)

実はマリオとはだいぶ以前に不思議な出会いをしていた。

2000年にブラジルで「Festival da musica brasileira」という音楽コンテストがあり、グローブTVで放送された。私は日本でその模様をたまたま何とな~く視聴していたのだが、あるグループが演奏する歌曲に俄かに惹き付けらるものを感じ、慌てて録音をしたのだ。
作曲 Mário Seve
作詞 Suely Mesquita
曲名 IMAGINARIA
と、司会者は紹介していた。私はこの録音を何度も聴き直し、一応は歌えるようになった。

それからしばらくの後。
「エポカ・ジ・オウロ」というショーロの大御所バンドが来日コンサートをすることになった。
その旨を知らせる情報ペーパーには、同コンサートのゲストとして、マリオ・セヴェ(SAX)という名前がカタカナで記されていた。
もしかしたらMário Seveの日本語のよみ仮名なのでは??(マリオ・セヴィのほうが実際の発音に近い)
そういえばあの曲でも、サックスが中心となる演奏だった。まるでサックスが作曲者Márioそのもののように思えるような。
じゃあ、これってあの人!?(この頃の私はまだショーロ初心者でブラジルのミュージシャンの名前もほとんど知らなかった…)

ということで、真実を確かめるべく、わたしはエポカ・ジ・オウロのコンサートへ向かったのだった。
演奏終了後。
お客さんがほとんど退席した頃、ステージの裏からマリオが楽器を片付けに出てきた。チャンスだ。
私はステージに駆け寄り、話しかけた。

「あなたは『イマジナリア』という曲の作曲者ですか!?」
「え!? そうだ、イマジナリアという曲を私は作った!」
「私、テレビで見たの、Festival da musica Brasileiraの放送で聴いて。その曲がすごく気に入って、自分で歌えるように勉強した。今日、録音したテープを持って来たから聴いてください」

マリオは驚いた様子ながらも私のテープを受け取り、帰国後に交流が始まった。
譜面をもらう約束をし(その頃はまだパソコンが普及していなかったので)、FAXで送ってもらった。

国際電話が自宅にかかり、こんな時に限って受話器を取ったのがうちの父で
「外国人がしゃべってる!何だ、これ?」
と、すぐに切ってしまった…
そして再度かかってきた電話をまた父が受け、
「ファックス、ファックスって外国人が叫んでる!」
というひと騒ぎがあったらしいが、なんとか無事に楽譜が届いたのだった。

耳で覚えた段階でも決して単純な曲ではなかったが、譜面を見るとそれよりさらに器楽的な複雑さに満ちたメロディーで、難易度が一気に上がってしまった。
この曲は今でも難しくて、なかなか自分のライブでも歌ったりしないのである…
いや、でも近いうちに歌おう、こうしてこのエッセイに書いてしまってた以上は!

こうしてマリオと交流していた頃、並行して私はアデミルジの居所探しを始めていた。当然マリオにも尋ねたが、もちろんアデミルジを知ってはいるけどめったに見かけないし、連絡先はわからない、とのことだった。
それが、こうしてリオでアデミルジと私が一緒に歩いているのを見たものだから、マリオはびっくり仰天したというわけなのだ。

後で、アデミルジにマリオとの経緯を話すと、微笑んで「ああ、マリーンニョ、彼は私のために、これを作ってくれたのよ」と懐かしそうに、クローゼットから綺麗な紙でできたプログラムみたいなものを出して見せてくれた。一緒に仕事をした際にもらったと言っていたかな。けっこう昔のものだったろうに、いつでも取り出せるようにしてしまっておく…彼女が人の真心をとても大切にする人だったことがわかる。

この章続く

2013 11 25