片山叔美のエッセイ (4)

私のサウダージ、アデミルジ・フォンセーカ






片山叔美


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アデミルジとの交流


アデミルジのレッスン ~生き方編


ブラジル人の女性を相手に、恋愛観やちょっとした下ネタ交じりの話をするのは相当おもしろい。
日本では大正~昭和初期の生まれの「お年寄り」と言われる方々と、そんな機会をもつことなどまずないだろう。(通じないかもしれないし、叱られるかもしれない。)

「ヨシミ、女は何歳になっても男性のCarinho(カリーニョ)が欲しいのよ…」

プライベートな話なので事細かくは書けないが、恐らくは遠い昔の思い人であろう男性が訪ねて来た日、その彼の帰った後でアデミルジがふと漏らした言葉だ。

Carinho…これは日本語にしづらい。
普通は愛情だの優しさだのと訳すけれど、その時のアデミルジの状況から判断すればもっと生な、抱きしめられたい、接吻したいという感情だったと思う。
80歳を超えた自分の祖母からそんな言葉を聞くことなど想像すら出来ない。
人間は年をとったら個人的な異性への感情は消え、家族を愛し、友人を愛し、人類を愛し、万物を愛するという仙人みたいな存在になるものと思っていた私にとって、こんなお年寄りになってもまだ恋愛なんてするものなのか、ちょっと面倒だぞ…とショックを受けたのも事実だった。

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同じ頃、リオで知り合いになった70代の女性に、共通の知人である若い男性についてこんな質問をされた。
「ヨシミは○○とベッドを共にしたいか?」
このおばさん、いい歳をして何を訊くんだ!?と唖然としていると、更に続けて言う。
「私はどうも彼にセクシーさを感じられない、私は彼と寝たいと思えない」

さすがに「彼もあなたのような年代の方とは寝ないと思いますから心配はないですよ」とも言えず、苦笑いするしかなかった。
もっとも私もその彼に対して、美形で体形も逞しくていい感じなのに何故か同じ印象をもっていたのが面白い。

どうもこんな風に、ブラジルの女性は正しい本能のまま、歳を重ねていくように思われる。

そう、きっと、この正直な感情がそのまま歌になっていくのだ。
音楽家は情熱的であればあるほど良い資質に恵まれていると言えるのではないか。

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加えて、アデミルジの場合はその宗教観も大きく関与していた。
常に神様への感謝を忘れずに歌っている。
彼女は毎晩、夕食後テレビのドラマを見てから入浴し、再びドラマを見てそこそこの時間になると自室に入る。そして床に跪いてベッドに肘をのせ両手を組み、15~30分程、神様と話をし、祈りを捧げるのが日課だった。
家族のこと、友人のこと、色々な人のために祈っていた。
時には私もアデミルジの横で共に跪いた。すると彼女は私の頭に手をのせ、私のためにも祈ってくれた。
そして、私の家族や祖母のことも祈っていると言ってくれた。

ところが、そうしてお祈りを終えて寝るかと思えば、また居間に戻ってテレビドラマ(大概が恋愛ドロドロ劇場)に没頭するのである!

じゃあ、アデミルジはいつ寝るのか?
深夜0時~1時過ぎだ。
お年寄りは超早寝・早起きが常識と思っていた私の身近に、深夜過ぎまで起きているおばあさんはいなかった。

この体力的なパワーもまた、歌に直結しているのだろう。

アデミルジと生活を共にしながら、技術には依らない部分で人の心を動かし得る音楽家のバックグラウンドを見た思いがする。
結局、最後の最後、音楽には人そのものが表現されてしまうのだ。




<おまけ>


2013 02 16

注:記事内の写真は著者から提供されました。