2018年4月12日

カニョート・ダ・パライバ

カニョート・ダ・パライバ

Canhoto da Paraiba
Francisco Soares de Araujo
1929 Princesa Isabel, PB-2008 Paulista, PE

 

 

 

フランシスコ・ソアレス・デ・アラウジョ(通称シッコ・ソアレス)はパライバ州のプリンセーザ・イザベルで生まれました。左利きであったのでパライバのカニョート(左利き)。
つまりカニョート・ダ・パライバといわけです。ラッチーニョよりも一世代後のパライバーノです。
幼い頃、兄とギターとの間で1台のギターを共有し、その為、左手に持ち替えても元を張り替えませんでした。
父親がフランシスコにギターを教えるのに、「鏡に向かって弾いているようでお手上げだ。一人で習いなさい」とさじを投げたとのこと。

彼の演奏を聞いてすぐ気がつくのは、そのノルデスチーノ(東北地方)風の音色です。ジョアン・ペルナンブッコと同じくノルデスチの香りがその優しい口調と共に漂ってきます。

伝説が残っています。
1959年、彼は田舎からジープに乗ってリオデジャネイロのジャコー・ド・バンドリンの家へ行きます。(そして15日間滞在しました。)
そこでは当時の著名な音楽たち(ピシンギーニャ、ラダメス、チア・アメリア、ジルマンド・レイス、少年パウリーニョ・ダ・ヴィオラ等) が集まって、飲みながら、ガヤガヤやっていました。
そこで始めてカニョット・ダ・パライバのギターを聴いたラダメスは、思わず「○○xx」と叫び、手にしていたビールを天井に放り投げたらしいのです。
それを記念して、ジャコーはその天井の染みを永く拭き取らなかったという話です。

しかしながら、カニョート・ダ・パライバは当時まだ記憶の新しかった同名のカニョート(アメリコ・ジャコミーノ)の伝説にうんざりしたのか、それっきり当時住んでいたヘシフェに帰ってしまいました。

カニョート・ダ・パライバは多くのショローンと同様ミュージシャンとして生きたのではなく、その人生の殆どを会社の内勤で生計を立てていました。そしてレシフェのラジオ(ラジオ・ジョルナル・ド・コメルシオ)のレギュラー番組で現地のショーなどを紹介していました。

彼自身のレコードは58年にレシーフェでの録音以外は、77年のパウリーニョ・ダ・ヴィオラの招待でCom mais de Mil、パウリーニョとラファエル・ラベーロとの、93年の最後の録音、Pisando em Brasaが残っています。

 

参考:Dicionario do Cravo Albin, Musica Popular Brasileira Canhoto da Paraiba

ショローンとその時代