2018年5月31日

カ・シンビーニョ

カ・シンビーニョ K-Ximbinho (Sebastiao Barros)
1917-1980

 

リオ・グランデ・ド・ノルチ州タイプ(Taipu)生まれ。この町でクラリネットを始め町の楽団で演奏していました。
家族が州都ナタル(Natal)に引っ越すと共にジャズバンド、パン・ジャズ(Pan Jazz)にセカンド・クラリネットとして入団しました。
ナタルで徴兵され軍のバンドに入隊、サキソフォンに持ち代えました。そしてあだ名(K-Ximbinho)がつきました。
除隊後1938年21歳でパライバ州都ジョン・ペソアで有名なオーケストラ・タバジャラ(Orquestra Tabajara by Serverino de Tabajara Araujo)に所属し、42年にリオに移るまでの間所属いしていました。
この楽団でショーロとジャズに触れることが出来ました。そこで演奏だけでなく編曲その他にも興味がわいたようです。

リオではマエストロ・フォンフォン(Orquestra do Maetro Fon-Fon)、ナポレオン・タバレス(Naploleao Tavares)の楽団と渡り歩き、タバジャラがリオデジャネイロにやってくると再びそこに入ります。
タバジャラには49年までいましたが、46年には最初のショーロ、ソノローゾ(Sonoroso)を録音しています。
その頃(51年-54年)マエストロ・コエレルテール(Hans-Joachim Koellreutter)より音楽理論を学んでいます。また同時期にラジオの黄金期にブラジルの大きな楽団の多くに参加し、有名なダンスホール、サシャス(Sachas)等の有名な楽団でも吹いていました。60年代になるとテレビ・グローボ(TV Globo)のオーケストラにも入っています。

残した曲は「静かにさせてくれ」(Eu quero sossego)、「夢見て」(Sonhando)、「いつまでも」(Sempre) 「あのクラリネット」(Saudades de Um Clarinete)、「ジルカ」( Gilka)等。
1980年にリオデジャネイロで亡くなりました。

私見ですが、彼のあだ名カシンビーニョについて、サキソフォンがパイプにその形が似ていることから隠語でカシンボ(ポルトガル語でパイプ)と呼ばれていたとの記録を読んだことがあります。
写真を見るとカ・シンビーニョは小柄です。軍隊で小さなパイプ吹き、カシンビーニョと呼ばれたのではないか、と憶測しました。

参考:Dicionario Cravo Albin

ショローンとその時代