2017年11月7日

7弦ギター マウリシオ・カリーリョ

O Ensaio “7 Cordas”
Mauricio Carrilho

Mauricio Carrilho

 

~ホウアネッチ法による、ペトロブラス協賛
「ブラジルの音楽家大全」プロジェクトのために寄稿されたエッセイ集より~

Ensaio elaborado especialmente o projeto “Musicos do Brasil: Uma Enciclopedia”, patrocinado pela Petrobras atraves da Lei Rouanet

 

はじめに

このエッセイは表題の通り、ブラジルにおける「7弦ギター」の100年の歴史の概観を記したものです。
20世紀初頭のチュチ(Tute)の時代からジノ・7・コルダス(Dino 7 Cordas)を経て現代まで、7弦ギターがどのように受け継がれ、発展してきたのかが簡略化して書かれています。
一方、夭折した天才7弦ギター奏者ラファエル・ラベーロ(Raphael Rabello)の逸話や少年時代のエピソードは親友であり同志でもあった彼へのオマージュとも感じます。

当エッセイの翻訳を快諾してくれたマウリシオ・カリーリョ氏と当該プロジェクト担当者マリア・ルイザ・フォウリ氏(Maria Luiza Kfouri)に感謝します。
フルーティスタの熊本尚美さん(リオ在住)とギタリストの高田泰久さんには翻訳に際し専門家としてのご助言を頂きました。

また私の身近にも突然資料の質問などを受けて悩まされた方もいらっしゃると思います。
この場を借りお礼を申し上げます。
誤訳、表現の未熟部分、その他一切、翻訳に関する責は貝塚に帰します。
尚、目次の表題については最初の「由来」は原文に題名が無かったので訳者が付し、他の表題は原題を意訳しています。

貝塚正美
2011 Sep.

 

(1)7弦ギターの由来

7弦ギターはショーロやサンバでは昔から使われてきた楽器です。
近年では他のジャンルでの伴奏やソロ、他の楽器とのアンサンブルにも用いられるようになり、またクラシックコンサートでも見受けられるようになってきました。

ブラジルにおける7弦ギターの起源はよく分かっていません。ロシアにいたジプシーがブラジルへ持ってきたとの記述もありますが証拠があるわけではありません。

分かっているのはチュチ(本名Arthur de Souza Nascimento、リオ出身 1886-1957)と同時代のシナ(China、本名 Otavio Vianna、ピシンギーニャの長兄)がこの楽器をポピュラー音楽界に持ち込んだことです。

それ以降はショーロやサンバの舞台から消えることはありませんでした。
当初は演奏の中で目立った楽器ではなかったのですが、1952年にオロンジーノ・ダ・シルヴァ(Horondino da Silva)つまりジノ・7コルダスが使い出してからようやく注目を集め始めるようになりました。

1975年頃メディアでショーロが再び取り上げらるとそれに呼応するかのように若い7弦ギター演奏家が多く輩出しましたが、その中の一人がラファエル・ラベーロです。彼は後年ブラジルのギター演奏家の内、最も才能ある一人となりました。
ラファエルは7弦ギターを初めてソロ楽器として独立させ、ラダメス・ニャタリとガロート(Garoto)の古典的なショーロ、サンバの作品集をレコーディングしました。
彼の新しい挑戦によってこの楽器の可能性が更に広がり、7弦ギターが魅力のある楽器として再認識されて、若い音楽家の間に普及することになり、それはクラシック音楽界にも波及しました。

 

(2)二つのコース

7弦ギターには二つの習得コースがあります。
一つ目がジノが開発した技術とその音質を学ぶことです。
二つ目は最近のことになりますがナイロン弦を使ったクラシック・ギターの奏法に近い技術と音質です。

コース 1: スチール弦の7弦ギター
1952年ジノが古いリオの弦楽器店「バンドリン・デ・オウロ」(Ao Bandolim de Ouro)のギター責任者シルヴェストレ(Silvestre)に7弦ギターを注文したとき、彼には既に二人の良き先達から学んでいたことがありました。
それはチュチの演奏技術とピシンギーニャの音楽表現法でした。

ジノはショーロが一番輝いていた時代を知っています。
ベネジット・ラセルダ(Benedito Lacerda)がフルートを吹きピシンギーニャが対位法によりサックスを鳴らし、チュチがまだ7弦でなく6弦ギターを演奏していた現場によく通っていました。

ピシンギーニャやチュチはアナクレット・デ・メデイロス(Anacleto de Medeiros)やイリネウ・デ・アルメイダ(Irineu de Almeida)といったショーロ初期の演奏家の直接の後継者であり、ジノは更にそれらを受け継いで7弦ギターの音楽表現に活かしました。

フレーズのまとめ方やリズムの多様性等60余年にわたるジノの音楽的特性は7弦ギターを弾く次の世代全てのアーティストの模範となりました。

音質についてスチール弦の7弦ギター奏者ならば以下のことは知っておいたほうがよいでしょう。
通常演奏者はフラットピックかサムピックを使います。
ショーロやサンバの場合にはサムピックが非常に多く使われ、フラットピックは事実上存在しません。
サムピックの材質は色々ありますが演奏者に好まれているのはステンレス鋼製のもので、通常薄い鋼板を自分の指の形に合わせて作ります。
ですからギター奏者はこれを非常に大切に扱い、形が変わるのを恐れて人に貸すのを嫌がります。

右手のテクニックはクラシックとは随分異なり親指を多く使います。
実際左手の動きに合わせすべてのフレーズで親指を優先的に使うのです。

ジノ・7コルダスの初期の録音では第7弦のメタリックな音がよく聴き取れます。
その後60年代に入るとビロードのような乾いた音が短く聞こえるようになり、彼がギターの第7弦にチェロの第4弦を使用していることが明らかに分かります。
他にジノが編み出した方法としては一番高音の1弦と2弦(”ミ”と”シ”)にナイロン弦を使ったことです。これは和音を和らげる働きがありました。

コース 2: ナイロン弦の7弦ギター
1979年ラファエル・ラベーロに代わり、ルイス・オターヴィオ(Luiz Otavio Braga)が7弦ギター奏者として加わったカメラッタ・カリオカ(Camerata Carioca)はラダメスが編曲したヴィヴァルディのコンチェルトを録音する準備をしていました。
この音合わせの最中にルイス・オターヴィオはギターにナイロン弦を張ってグループの3本のギターの音に均質性を持たせようと試みました。
ルイス・オターヴィオはその結果に満足しナイロン弦の7弦ギターというものを初めて注文したのです。
そのギターはジアンニーニ(Giannini)の 製作でしたが均整の取れた胴の部分はギター奏者のセルジオ・アブレウ(Sergio Abreu)がギター職人として最初にした仕事です。
ラファエルはこの楽器の効果に強い印象を受けナイロンの7弦ギターに新しい可能性を見出したようです。早速マリオ・ジョルジ・パッソス(Mario Jorge Passos)に同様のギターを注文しました。
ラファエルはこの頃すでにソリスト、デュオのパートナー、有名歌手の伴奏、そしてコンサートの主催者等、ギター奏者としての地位を確立していましたが、このギターはその後彼に期待以上の成果をもたらしてくれることになります。

ここに7弦ギターの新しい流れが確立されました。
右手の技術はクラシックの6弦ギターの奏法に非常に近いものでした。
ピックでなく指で直接弾くことにより、ナイロンの7弦ギターは一面では攻撃的な鋭い音を失いましたが、もう一面では音色の限りない多様性を獲得しました。
このギターを手に入れてからは古典的なサンバやショーロですらラファエルは殆どスチール弦を使わなくなりました。
ジョエル・ナシメント(Joel Nascimento)のCD「ショランド・デ・ヴェルダージ(Chorando de Verdade)」の録音がいい例です。ジョエルが相当強く勧めてもラファエルはスチール弦を手にしようとはしませんでした。

 

(3)調弦

伝統的に7弦ギターの第7弦は”ド”に調律されてきました。
しかし私はいくつかの論説で断定されているように「多くのショーロが”ハ調”で作曲されているためだ」とは思えません。
第一それは事実ではありません。
ショーロ、ワルツ、サンバは常に様々な調によって演奏されてきました。
和音の構成が簡単になるという理由もまたあまり納得がいきません。
唯一言えそうなのは7弦ギター奏者の数世代に亘って続けられてきたこの習慣は、音質、張り、調弦をうまく行うことができる7弦用の”シ”の弦が無かったからではないかということです。

7弦を”シ”に調弦すればギターの低音部(4本)が4度ずつになり一連の整合性を持つことになります。
今日ではナイロンやスチールの弦は様々な太さ、伸張性のものが売られており、それは第7弦を”ド”や、”シ”、また”ラ”まで調弦できます。

一方でかつてシナ、チュチ、またジノの初期彼らが演奏用にどんな弦を使っていたのかを想像してみて下さい。
もし伝統を踏まえて、第7弦を”ド”に調弦するならば、論理的には第6弦を”ファ”に調弦すべきことになってしまいます。

 


(4)7弦ギターの役割

7弦ギターが現れる前にはコンジュント・レジョナルでのハーモニーやリズム、対旋律は複数の6弦ギターで補い合っていました。
つまりギターの表現技法は既に6弦ギターにより開発されていたということです。

ベネジット・ラセルダのレジョナルの録音を聴いていると6弦のジノとメイラがリズムとハーモニーを分かち合い、対旋律を弾いていることに気づきます。

例え作曲家がこうやれと或るフレーズを強制しているとしてもショーロやサンバの大部分においてギターが演奏するフレーズは即興によるものです。
だからギタリストにとってハーモニーやリズム、ジャンルごとのスタイルをよく知っておくことは的確に即興伴奏するための必要条件です。

時が経つにつれ7弦ギターの普及とジノの偉大な才能によって7弦ギターは昔とは異なった性格を持つに至りました。
この楽器を演奏する者の数が増え、対旋律のフレーズはほぼこの楽器が独占的に演奏するようになってきました。
この為コンジュント・レジョナル内で一種の花形の位置を得ましたが、一方6弦ギターとは微妙に複雑な関係において7弦ギターがヒエラルキーの上位にいつもいるということが正しいわけではありません。

確かにこのように目立つことで7弦ギターが更に普及し若い人たちが益々手にするようになって来たことも事実です。
しかしながら7弦ギターを弾くジノやラファエルは偉大な対旋律演奏者となる以前にギターの基本的な役割を完璧に知っていたという事実を銘記すべきでしょう。
残念ながら今この楽器を演奏する者の内の相当数がこの重要な基本を分かっていない為に嘆かわしい結果を招いています。

ホーダ・デ・ショーロに4、5人の7弦ギター奏者がいても、みんな対旋律だけを弾いてだれもハーモニーを弾こうとしないことがよくあります。
「俺が」「俺が」と競い合い一つのバンド内でフレーズとフレーズをぶつけ合うような演奏はショーロやサンバの先駆者たちが残してくれた美しい伝統、つまり「バランス」と「全体性」を念頭に個々の楽器がその役割を担うというレジョナルの特性を踏みにじっていると言えるでしょう。

7弦ギター演奏者の大部分がサンバやショーロのコンジュントを構成する不可欠なパートを担っているというのに、ラファエル・ラベーロが初めてソリストとしてレコーディングして以来、7弦ギターはこの(ハーモニー)役割を他の楽器演奏者に譲り渡してしまいました。
ジノでさえもラファエルの傍らでソロっぽく演奏している歴史的なCDを録音しているのですから。

7弦ギターのソリストの輝かしい豊作期を迎えている昨今、ブラジル人のみならず他の国々の演奏家たちによる様々なスタイルのCDが数え切れないほど出ています。
室内樂、特にギターのコンジュントでは、7弦ギターだけでなく8弦ギターまで使われるようになっています。

カルテット・マオガーニ(Quarteto Maogani)の演奏は、これらの楽器について熟知し、秀でた感性を発揮している最良の例です。

2003年に作った7弦ギターと交響楽団による初めての協奏曲「7弦ギターとオーケストラのための組曲」(Suite para violao de sete cordas e Orquestra)は、パウロ・アラゴン(Paulo Argoao)の協力を得て更に管弦楽編曲を加え、ギタリストのヤマンドゥ・コスタ(Yamandu Costa)によって演奏されました。
この作品はブラジルの主要なオーケストラのみならず、カナダ、フランス、ベルギーでも、初めて7弦ギター奏者をソリストに迎えて演奏されています。

 

 

(5)ギターの製作

どんな楽器の演奏技術の発展も、楽器製作の進化と深い相関関係があります。

ここ30年の間にブラジルにおける6弦・7弦ギターの製作に革命的進展あったことは確かです。1950年代ジノが最初の7弦ギターを注文する頃までは、撥弦楽器は伝統的な楽器工房で作られていました。

リオデジャネイロではポルトガル移民が興した「アオ・バンドリン・デ・オウロ(Ao Bandolim de Ouro)」、「ア・ギタッラ・デ・プラッタ(A Gitarra de Prata)」、「カヴァキーニョ・デ・オウロ(O Cavaquinho de Ouro)」が傑出しており、サンパウロではイタリア系移民の「ジアニーニ(Giannini)」、「デル・ヴェッキオ(Del Vecchio)」が有名でした。

60年代になるとポップミュージックの台頭によって楽器購入者の像が大きく変わりました。
ギターやカバキーニョが占めていた位置に電気ギターが置き代わったのです。
その結果伝統的な工房で作られるアコースティック楽器の質が著しく落ちてしまいました。
しかし1970年代中頃サンバとショーロに大きな動きがあった頃と時を同じくして、日本人のギター職人シゲミツ・スギヤマ(杉山重光)がブラジルにやってきたのです。
サンパウロでの彼の作品と片やリオデジャネイロのセルジオ・アブレウ(Sergio Abreu)による作品がブラジルの手造りギターの新しい水準として確立されました。
その後、彼らに続いて多くの高い技能を持った製作者が現れ6弦・7弦ギターの製作技術は世界でも最高の質を持つに至りました。

 

 

(6)7弦ギターの大物たちと、その逸話

1)ヴァルテールの新記録
ヴァルテール・シルバ(Valter Silva)、通称ヴァルテール・7コルダス(Valter 7 Cordas)は、私の知っている内でも最も才能のある伴奏者で即興の対旋律の演奏者です。

彼の見事な演奏とギターの音量を最大限に引き出す能力にはいつも憧れを持っていました。70年代リオ在住ショーロ・ミュージシャンのたまり場であったソバッコ・デ・コブラでここのホーダに欠かさず出ていた彼は信じがたい記録を打ち立てています。

ある日曜日の夕方ホーダが終わりに近づきそれぞれ帰り支度を始めているとヴァルテールが「今日最後の1曲を弾こう」と言い出して演奏が再開されました。
その頃ラファエルはまだ14才の少年で大好きなヴァルテールをいつもすぐそばで見ていました。
するとラファエルの目の前でヴァルテールの”ソ”の弦が切れてしまいました。
ラファエルは恰もそういうことが起こると知っていたかの如く、立ちどころにストックの弦を彼に渡しました。
間もなくして早いフレーズの最中にまたしても”ソ”の弦が切れてしまいました。
ラファエルは映画の「アマデウス」のモーツアルトさながらにキャッキャと笑ってもう1本予備の弦を渡しました。
そしてまた1本また1本と弦が切れ続け、その間ヴァルテールは笑いを噛み殺した顰めっ面で演奏を続け、その横でラファエルは真っ赤になってモーツアルトみたいに笑っていました。

結局6本の”ソ”の弦と1本の”レ”の弦が切れ、ラファエルが袋の底をかき回しながら、やっとの思いで笑いをこらえて「もう無い!」と叫びこの日のホーダの最後の1曲は中途で終らざるを得ませんでした。

2)サドルまでも(ヴァルテール 2)
何週間か後ソバッコのホーダはそのままベッチーニョ(Betinho)の家に流れていきました。
コンジュント・シャペウ・デ・パーリャ(Conjunto Chapeu de Palha)の仲間が揃ってヴァルテールがルビーニョ(Rubinho)の伴奏をし、ゼ・ダ・ヴェーリャ(Ze da Velha)がトランペットを演奏していました。
演奏が盛り上がる中ヴァルテールが対旋律をわざとものすごい大きな音で弾き出すと、今度は弦が切れる代わりにサドルがもげてしまいました。
これが私が目撃した壊し屋のもうひとつの記録です。

3)ジノ崇拝 (ラファエル1)
ラファエルがジノに抱いていた賛美と尊敬は計り知れず、他に例を見ない程でした。
ジノと同じ服を着て、ジノと同じように左手に緑色の石の指輪をはめ、更にこの重い指輪でも弾けるテクニックを自分で開発していました。

当然彼はジノから直接手ほどきを受けたいと願っていましたが、どういうわけかいつも断られていました。
その頃ジノは楽器店「バンドリン・デ・オウロ」で、ギター教室を開いていて、多くの(その殆どが凡庸な)生徒に教えていました。

ラファエルが教室を訪れ殆ど哀願するばかりに「ジノ、僕はあなたの授業を受けたいんだ」と訴え、ジノが微苦笑を浮かべながら「私には時間がない」と応えている様子を見たことがあります。
がっかりしたラファエルはジノのすべての録音の演奏を覚え込むことで、授業の代わりとしました。

彼にはカルトーラ(Cartola)、ジョアン・ノゲイラ(Joao Nogueira)、アルタミロ・カリーリョ(Altamiro Carrilho)、ジャコー(Jacob)、その他すべてのアルバムのジノのギター演奏を最初から最後のフレーズまで完璧にコピーする能力がありました。

4)指のお手入れ (ラファエル 2)
若いミュージシャンはいつの時代でも演奏の場に飢えています。
オス・カリオキーニャス(Os Cariocuinhas)で活動していた頃、ラファエルとルシアーナ(Luciana)と私は夜に行われるすべてのホーダ・デ・ショーロに出かけていました。

土曜日の夜はソバッコ・デ・コブラに移動し、日曜の朝9時まで弾き明かすことも度々でした。
ナイロン弦を使っている私の指さえ緑青の色になりましたが、ラファエルの方はその頃スチール弦でしたから、次々に指にでかいタコをつくっていました。
その所為で、ホーダのはしごを続けるには「恒例の儀式」をやらねばなりませんでした。
いったん家に戻り、温めた塩水に左手の指を沈め、数分後真鍮のかかと用ヤスリでタコを削り取るのですが、初めて見たときはびっくりしハラハラさせられました。
この「手術」が終わると塩水入りの甕には厚さ5ミリ程のタコの皮が浮いていたものです。
奇跡のように元の大きさになったタコの持ち主はギターケースを肩にかけると腹を突き出し、命令口調で「これより大至急、ソバッコ・デ・コブラへ向かう!」と声を上げるのでした。

5)弦のお手入れ (ベテランたち)
毎週ソバッコ・デ・コブラに通う間に我々は色々な古いショーロ・ミュージシャンと知り合うようになりました。
その内何人かはギターやカバキーニョの弦のメンテナンスに関わる興味深い習慣を持っていました。
我々を部屋の隅っこに呼んで如何にも重大な秘密を明かす様に奇妙な処方を与えてくれるのです。

「私は家に帰ったら、ギターから弦をはずし、重りを付けてピンと張った状態にして休ませておく。二日も経つと新品に戻っているんだ。」

あるいは、彼等はまたやってきて言うのです。「熱湯を入れた鍋につけておく方がもっといいぞ。五分間沸騰させれば新品そのものさ。」

ダマジオ(Damazio)はジャコー・ド・バンドリン、アルタミロ・カリーリョ、デオ・リアンなどと共演した偉大なギター奏者ですが、一度私が彼にギターの弦を張り替えるように勧めたら驚いて叫んだものです。
「何だって! この弦はまだたったの6ケ月しか使っていないのに!」

このように、古いショローンたちは常に弦の交換をできるだけ先延ばしにしようとする習癖がありました。
サドルが割れても動じることもなく修理していていました。
それでもネックが壊れたときはさすがに何もできません。
そんな時は「ああ、破産だ!」と悲痛な声が聞こえてきたものです。

 

 

(7)必聴のCD

7弦ギターのテクニックと表現の進化を牽引してきた各時代の演奏を聞きたいという人のために幾つかの例を挙げておきます。

まずはパイオニアとしてチュチとシナ、次にジノとラファエルという二人の巨匠が現れ、現代のソリストたち、ヤマンドウ・コスタ(リオ・グランデ・ド・スル州出身)、ロジェリオ・カエターノ(Rogerio Caetano ゴイアス州出身)、ドウジ・デ・ヴリエス(Doug de Vries オーストラリア出身)等に至るという凡その流れです。

Memorias Musicais (Casa Edison) (Tute, China) -Biscoito Fino
Telecoteco opus 1 (Dilermando Pinheiro e Ciro Monteiro) (Regional do Canhoto) – Philips
Cartola (Regional do Canhoto) os dois CDs da Gravadora Marcus Pereira
Joao Nogueira (Espelho)(Dino) – Odeon
Altamiro Carrilho (Choros Imortais 1 e 2 )(Regional do Canhoto) – Copacabana
Jacob do Bandolim (Vibracoes)(Dino) – RCA Victor
Os Carioquinhas (Os Carioquinhas no Choro) (Rafael Rabello)-Som Livre
Tributo a Jacob do Bandolim (Joel Nascimento, Radames e Camerata Carioca) (Rafael Rabello) – Warner
Rafael 7 cordas (Rafael Rabello) -Philips
Todos os tons (Rafael Rabello) -BMG
Rafael Rabello interpreta Radames Gnattali – Vison
Dino e Rafael – Caju/Kuarup
Rafael Rabello (Lamento do Morro) – Acari Records
Yamandu Costa – Eldorado
Rogerio Caetano – Pintando o Sete – Independente
Doug de Vries (Jacaranda) – Acari

終わり

ありがとうございました。(訳者)

2017 Nov.05 WP

 

「ポルタチル音楽学校」 ルシアーナ・ラベーロ
ショーロ・ミュージシャンのエッセイ集 

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