2016年12月15日

ショーロ、もうひとつの人生

熊本尚美 インタビュー

「ショーロ、もうひとつの人生」

 

熊本尚美

(フルーティスト、ショーロ研究家)

photo by Silvana Marques

神戸市生まれ、リオデジャネイロ在住。
大阪教育大学特設音楽課程フルート専攻を卒業後、ニューフィルハーモニー管弦楽団、オペラハウス管弦楽団、大阪シンフォニカー(現大阪交響楽団)等の関西主要オーケストラ客演奏者として活動するほか、イベント出演やスタジオミュージシャンとしても活躍する。
ある日、「ショーロ」を耳にし魅了され、2001年以降ショーロの生地リオデジャネイロへ度々渡って研鑽を積む。
2003年、リオ録音のCD「Naomi vai pro Rio」を発表、クラシック音楽活動にピリオドを打ちショーロに専念する事を決意し、2004年生活拠点をリオに移す。
現在はEscola Portátil de Música(リオにあるショーロの学校)の講師を務める他、ブラジル国内外でショーロの音楽家として演奏及び普及活動を行っている。日本へも時折里帰りし、全国各地でコンサートとワークショップを精力的に行う他、2012年より「日本に暮らすブラジルのこども達へのショーロコンサート」プロジェクトにも力を入れ、日本とブラジルを繋ぐ国際文化交流の架け橋となっている。

熊本尚美 オフィシャルホームページ

 

フォンフォン特別企画として日本ツアー中の熊本尚美さんにインタビューをお願いしました。リオに移る前のこと、リオに行く決心したこと、そしてリオで感じたこと、色々なお話を伺いかったからです。
尚美さんからご快諾をいただき西荻窪にあるカフェ、コポ・ド・ヂアで収録しました。お忙しい中お時間を割いていただきまして、ありがとうございました。
またコポ・ド・ヂアの皆様にも長時間に渡るインタビューへのご協力、お礼を申し上げます。

2013年5月
貝塚正美

第1回 身体と言語と音楽

略称
N:(熊本尚美)
F:(フォンフォン編集部)
C:(会場のコッポ・ド・ヂアのスタッフ)

F:今日はお忙しいところありがとうございます。

N:こちらこそ、宜しくお願いします。

F:先日のワークショップで、熊本さんがおっしゃっていた中で、個人的に面白いなと感じたことがありました。

象徴的な意味合いで言われたのだ思いますが、「ブラジル人が座ると回りに一杯荷物を置いて一人分の場所を多く取る。日本人だと身の回りを整頓し面積を取らない」,「ブラジル人が合奏するとゴツゴツと立体的なリズムが出て来るけど、日本人は演奏はとても滑らかだ」と。

それが音楽とどう関係するのか、まるで授業のおさらいのようですが。

N:それを言葉にするのは中々難しいですね。

F:コンサートの時にも似たような話をされていて、その時は言葉と音楽の関係の話だったかと思います。

N:音楽は、その土地の風土や言葉、そこに産まれて暮らす人々から生まれて来る文化です。特に言語との関係が非常に深いと思います。

それぞれの言語には固有の音があって、ポルトガル語の場合では、アクセントやリズムが正しくないと通じません。
呼吸法も日本語とは随分違います。息をお腹で支えて話さないと発音出来ない音があるので、そうすると出て来る声もより太くはっきりします。
反対に、日本語の持つメロディやリズムはとても滑らかで、呼吸もポルトガル語よりは浅く、喉から先で静かに発音します。正に日本文化の持つ繊細な美しさと同じですよね。

例えば、私がブラジルでブラジル人とポルトガル語で喋っている最中に、日本人から電話がかかってきたりして、彼達の目の前で日本語で喋り始めるとみんな笑い出したりします。

F:日本語が聞きなれない可笑しい言葉だから?

N:そうではなくて、それまでとは全く違う声とリズムで話し出すので、知らない熊本尚美が突然に現れたように思われて、それが可笑しいようです。

ブラジル人にフルートのレッスンをする場合、呼吸法を教える必要はあまりないように感じます。それは既に彼達の呼吸法がポルトガル語の影響で、自然に腹式になっているからじゃないかと想像します。

ところが、日本人に教える場合は、まず管楽器を演奏する為の腹式呼吸を指導するところから始まります。
つまりその楽器を使う体を作る所から始めなくてはならないのですが、ブラジルではそこが自然に出来ている人が多いように思います。

F:体と音楽性は関係があるということですか?

N:そうですね。
勿論、気候や風土、食べ物なども作用してくるので、呼吸法の差だけとは一概には言えませんが。

自分自身の経験で言うと、ポルトガル語で喋っていれば、そのまますぐにショーロ演奏に移行できますが、日本でのコンサートで日本語で喋った後、演奏に入る時に少しギャップを感じます。

レッスンやワークショップをしている時もそうですね。頭の切り替えも大変だし、日本語のリズムにいた自分のままではショーロの演奏に入って行きにくいんですよ。

F:ブラジル国内でツアーもされていると思いますが、ブラジルの中での方言には、そういった差は感じられないですか?

N:基本的にアクセントの位置が同じだから、リズムの違いはそんなに感じないけれど、メロディは地域によって随分違います。他の地方の人と比べるとリオの人の音楽は空間の取り方が大きい感じがしますね。

F:マウリシオ・カヒーリョはショーロの魅力はアンサンブルにあると言っていますが、勝手気ままでなく、自由でもない日本人の方がアンサンブルは得意なのじゃないですか?

N:一見、日本人はアンサンブルが得意そうだけど、実は西洋音楽をやる場合にはそうじゃないことも多々あります。合わせ方が違うんですね。
この話は別の視点から説明してみましょう。

日本人にとって外国の音楽は自然に身に付いたものではなく、ゼロから学ぶことを始めなくてはならないし、細かな約束事となると現地に行かなければわからない事も沢山あります。

だから私はショーロを身に付ける為にリオに行こうと思い、8年半経って、やっと分かってきたかなと感じている段階です。

クラシック音楽の場合はすべてが楽譜に書いてあるので、その通り演奏すればある程度の事が成立しますが、楽譜を介さずに伝統音楽を演奏する為には、その音楽言語を熟知している音楽家を数人集めてくる必要があります。それでやっと緻密なアンサンブルが出来るわけです。

そうじゃないと真のアンサンブルは出来ないし、そこまで突き詰めて考えないと本当の演奏にはならないと思うんです。

F:日本人にはショーロが分からないと言うことですか?

N:そうは思いませんが、表面だけを捉えてしまうと違ったものに変形してしまう危険性があるとは思っています。
それはショーロに限ったことではなく、これまで世界各国の文化を取り入れ、日本人の手によってそれらが共存している日本という特殊な国で起こっている、色んなジャンルの芸術に言える事じゃないかと思います。

F:日本人には鎮守様のお囃子は演奏できるけど、ショーロは難しいというようなことでしょうか?

N:私は日本人ですけど、鎮守様のお囃子の演奏は出来ませんよ(笑)。
私にとって日本の伝統音楽はとても理解し難いものなんです。

その理由の1つには、西洋音階には音が12個ありますが、日本の音楽には5つしかなく、ハーモニーもないという大きな違いがあります。
それと、調べてみると日本を含め東洋諸国の音楽の仕方は、同時にフレーズを演奏し始め同時に終わるけれど、そのフレーズの中では西洋音楽のように縦を緻密に合わせて行くようなことはしないそうです。
ガムランなんかもそうみたいですね。要するに、様式美が違うということです。

F:つまり、ショーロは息遣いが分からないとアンサンブルが出来ないということですか?

N:息遣いというよりもっと具体的なことです。
リズム、ハーモニー、アクセント、技術的な事柄が非常に重要です。
特にアクセントは楽譜に書かれていないから、音楽言語を知っておかないと音に表現する事が出来ません。

ブラジルに生まれ育った人達は血にそれを持ってるので、自然に感覚で出来てしまう感じがします。それは外国人には起こりませんよね。
だから、良い演奏が出来るようになるには、より深く知る必要があるんです。

F:ポルタチル音楽学校にはヨーロッパから来ている人もいますが、彼達は日本人と異なり、自然に獲得しているものがありそうな気もしますが?

N:ショーロの起源はヨーロッパ音楽なので、日本人よりもヨーロッパ人にとっての方が文化的により近い音楽だという事は間違いないでしょうね。
でも、やはりリズムの部分ではみんな苦労してるみたいですよ。

分かりやすく言うと、ポルトガル語には、一つの言葉に音が三つあり、二つ目の音にアクセントがつくタンゴが沢山あります。音符で書くとこんな(↓)リズムになります。

例えば、bonito(美しい)という単語、2つ目の音節にアクセントが来ます。

これがまさにショーロのリズムなんですよ。この、ポルトガル語とショーロのリズムの関係を発見した時はとても嬉しかったです。2番目が強くて長いんですね。
正確には各音の長さが1:2:1になるんですが、実際演奏する場合には、1:1強:1くらいです。

だけど、そんな楽譜の書き方は世の中に存在しないのでこう書くしかないんです。
それが訛りとなって独特の抑揚を醸し出すのですが、それはもう音楽言語として体験で覚えるしか方法がありません。

F:そうなんだ。

ところで、話が変わりますが、昔の人、歌手、例えばオルランド・シルバでも必ずRの発音は舌を巻きますが今はあまり巻かないですね?

N:言語は音楽と同じで生き物ですよね。当時はまだポルトガルのポルトガル語の発音の影響が今より強かったからじゃないかと思います。
その後、いろんな影響を受けながら、今のような発音に変化して行ったんでしょうね。

「昔の人の発音はきれいだった」と、リオの友人が言ってました。彼女のお父さんはRを巻いていたそうです。
それに、リオは19世紀末から20世紀にかけて、フランス人が沢山やって来ていた時代があったので、文化的な影響をフランスから強く受けてるような気がします。今でもたくさんのフランス人がリオに住んでますよ。
それに、リオの人達はフランスに対する憧れがすごく強いし、例えば、ブラジルのポルトガル語には、外来語としてフランス語が沢山あります、日本の英語みたいにね。

そして、当時リオはブラジルの首都だったから、全てがまずリオに着いて、そこからブラジル各地に広まって行ってたわけですね。
100年前のリオは、パリと同じような街並だったんですよ。
例えば、テアトロ・ムニンシパルはパリのオペラ座をモデルにして造られたそうだし、材料もヨーロッパから持ってきたそうです。
ナザレーが演奏していたオデオンという映画館がありますが、パリにも同名の劇場がありますよね。

第2回 ショーロの話

F:リオに行かれる前に5、6年間程、日本でもショーロを演奏していらしたとか。

N:始めたのが1999年ごろ。そうですね、5年間位かな。

F:日本でショーロを演奏していた時と、ブラジルで8年半、生活された今とでは、熊本さんの中でショーロ感に変化がありましたか?

N:全く変わりました。
日本にいる頃もショーロの中に漠然と好きな要素は感じていたけど、実際にそれをどういう風に演奏したら良いのかが分からなかった。
ブラジルに行ってそれを表現するのがそう簡単なものではないという事が分かりました。

例えば、日本でCDを聴いていた頃、この人達はどうやってレコーディングしているかいつも疑問に思っていました。

F:どういう点で?

N:普通はクリック(拍を刻むメトロノーム音のようなもの)を使ってレコーディングしますが、彼達のCDを聴いたときに、「この人達クリック使っていない」ってすぐに分かりました。
でも、当時の私は「クリックを使わないでレコーディングするってどういうこと、それって何なの?」と思っていました。

F:空気感みたいなもので行っちゃっているのかしら。

N:それぞれの音を聞きながら音を合わせて行っている感じですね。

つまり、分かったのは、クリックを使うとみんなクリックに向かって音を出すようになるから、音は出ていても音どうしがなかなか絡み合わないんですね。
それを向こうのレコーディングで経験した後、日本に帰ってきて、あるレコーディング・スタジオに行って小さな編成での録音をしたんです。
すごく合せ難い曲だったんで、なかなかうまくいかず、ああだこうだ言いながらやっていたんですが、「一回クリックをはずしてやってみようよ」って言ったんですよ。
「ようそんな怖いこというわ」と言われたんですが、とにかくやってみたら、よっぽどその方が楽だったんですよ。

F:それはショーロだったんですか?

N:ショーロではなかったですね。

F:演奏するときに相手の音を聞かないで、クリックの機械音を聞いてしまう、ということですか?

N:そうそう。

F:クリックがあるのが普通だったわけですね。

N:そう。勿論、リオでもクリックを使う現場は無くはないですが、極端に少ないです。ミュージシャンも嫌います。

F:その「機械に合わせるのでなく、演奏家の音に合わせていく」というお話で、最初の話とも関連しますが、言語というのは閉じられているじゃないですか。
例えば、ここで日本語を喋っていても、隣のテーブルの外国人には伝わらないですよね。
ある種の音楽は、この言語のような壁に囲まれていて、その壁から外へは出ないけれど、一方、別の音楽はそれを軽々と超えてしまう。
越境するというのかしら、そういうことがあるのではないか。
例えば、クラシック音楽だと、越境が可能だから東洋人も演奏出来ますよという事だと思うんです。
で、ショーロにもそういった越境する部分があるように思います。
だから場所も時代も全く違う僕達が聞いていても面白くて心地よい。
つまり、ショーロは一種の民族性から来る閉鎖性とそれを越境する可能性が拮抗しているような気がするのですが。

N:それは聴き手として?

F:音楽ジャンルとして。

N:聴き手と演奏者とは違うかもしれませんね。
ブラジル人は移民の国で、来るものは拒まず何でもOK。
ラテンで移民、という間口の広い国民性がある。
よく言えばおおらか、人に干渉しないというか、気にしないというか、そういう自由さ、間口の広さのある性格だと思います。

F:それはショーロと言う音楽が向こうからこっちにやってくるというより、こっちから向こうへ近づきやすい音楽だということですか?

N:そう、開いている音楽だから。

F:数年前、とある民謡の全国大会を見たことがありますが、全て内輪向けというか、あえて外に向かって開かない、そこだけで通じる文化だなという印象を持ちました。
それに比べるとリオのホーダは自由なのですね?

N:ところがそうでもない、入りにくいと言っている人もいます。

F:それはどうして?

N:何ていうか、民謡で言う流派みたいなのがあって、レパートリーも違うし、実際には入りづらいときもあります。
それでも、基本的には開いた心を持った音楽だと思います。

F:なんで自分がショーロが好きになったのかなと考えていたのです。
ブラジルの物の中でも、好きになるもの、そうでもないものがあって、そこの中で何でショーロを選んで好きになったのかを考えたとき、ショーロは都会で生まれたという事に気付きました。
都会はさっきのお話でもあったように、基本的には外のものが入ってくるのが自由で、枠が無い。
それが一種の国際性を獲得させたのかなと。

N:それはあるでしょうね。
でも、これだけやっていても、ショーロを知っている人は、ブラジルでも世界でも殆どいない!!というところもあって、そこが謎なんですよ。

一つは、ショーロは基本的にアマチュア精神の強い音楽だからかもしれません。
聴きたい音楽というよりやりたい音楽なんですよね。友達と一緒にやるという空間で好まれる音楽。
今では大きなホールで演奏することもあるけど、それでもエンターテイメントにならない。

F:自分の為に演奏するっていう感じですか?

N:そう、自分が楽しむ為にね。
ポピュラー音楽でありながらも高度な技術を要する演奏の難しい音楽で、にもかかわらず、エンターテイメント性が乏しいんですね。

それはショーロの発祥の仕方がそうだったからでしょうね。

19世紀の初頭、まだ娯楽も何もなかった時代、ヨーロッパから移民して来た人達が夜な夜な近所で集まって、ギターかなんか持ってきて、勿論ショーロなんて無かった時代だけど、ヨーロッパで聴いたワルツやポルカなんかを真似してやっていたんです。
そこから一世代後、ブラジル生まれの人達の時代になってブラジル人の作曲家も現れます。その段階でショーロが生まれてきたのですね。
1830年頃以降のことです。

F:ブラジルが(ポルトガルから)独立してから?

N:そうですね。

F:つまりブラジル人というものが生まれてから。

N:そうです。その頃から文化のミックスが始まったんですね。
ブラジル人の作曲家が出た事は大きな事で、それ以降、少しずつブラジル文化というものが芽生えて来ます。奴隷の解放なども大きな影響を与えました。

第3回 ブラジルに行く決心

F:日本でホーダ・デ・ショーロやライブ活動をやっていた頃、これじゃイカンみたいなことを感じていらしたのでしょうか?

N:これはイカンとは思ってませんでしたが、何かが違うとは思っていました。

F:リオに行けばその違和感を解消できそうだと?

N:えーっと、その質問は、最初にリオに行った時のこと?それとも住み始めた時のこと?

F:リオに行かなければと決心した動機みたいなことです。

N:色々理由はあります。
勿論、リオに行って学びたいと言う気持ちも大きかったですが、それだけではなかったです。ショーロの中にある宝物には向こうに行ってから気が付きました。

F:宝物の鉱脈があることを日本では気付いていなかった?

N:何かあるとは感じていたけれど、それが何なのかは具体的にはわかってなかったですね。直感的に匂いは感じていたけれど、それが何だか知りたかったんです。

でもショーロという知名度の無い音楽を日本でやろうとしても、当時は一緒にやる人も、教えてくれる人もいなかったんですね。
東京には何人かいらっしゃいましたが、私が住む関西には全くいませんでした。
そうか、こういうとき地方の人は東京に出ようと思うんだな、と気付きました。東京でしか出来ないことってやっぱりあるんですよね。「ショーロは関西から」なんて旗振ってた時期もありましたが、やはり限界がありました。

だけど、東京に出たとしても可能性が限られてることは既に見えてましたから、それなら東京を通り越してリオに行っちゃおうって思ったんです。それに当時、クラシック音楽を演奏するのは辞めようと、もう決めていましたし。

F:それは食べる為じゃないですよね。
東京大阪間の移動なら食べる為と言えるけど、リオ行きはそういうのじゃなくなりますよね。

N:私は無鉄砲なので、勉強しに行こうとか永住しようとか、そこまでの決心があったわけでもなく…

F:行っちゃった?

N:あのね、言いにくいんですけど、日本にいて寂しかったんですよ、最初にリオから帰ってきてからが。
「どうしてあの人達と一緒に居られないんだろう」
「あの空気の中にずっと居たい」という思いが強かったんです。
それはショーロだけでなく、ブラジル好きにありがちなことだとは思うのですが。

Sinfonia do Rio de Janeiro de São Sebastião, por Francis Hime (編集部:「交響曲・(リオの)守護聖人であるサン・セバスチャンのリオデジャネイロ」 フランシス・ハイミ作曲)という曲のライブDVDがあります。
リオデジャネイロ市民劇場で演奏された、ブラジルの伝統的なリズムを使った歌付きのポピュラーシンフォニーに、リオの美しい風景を織り重ねた素晴らしい音と映像で、オーケストラを見ればよく知ってるショーロのミュージシャンが沢山いるわ、風景を見ればあのリオの空気感を思い出すわで、毎晩そのDVDを涙しながら見て「どうして私はこの街に住めないんだろう?」って考えていました。

でもそのうちに「あれ?誰か住んだらあかんって言うたかな?」
「いや、誰にもそんなことは言われてないなぁ」
「ということは、住めるってこと?」という自問自答が始まりました。
心の奥で「住むのは無理だ」と勝手に思い込んでいたのですね。
目から鱗が落ちるとはこのことでした。

その年の秋、リオで私のCD、Naomi vai pro Rio (編集部:「尚美、リオに行く」と言う意味ですが、これは訳すまでも無いですね)の発売記念コンサートがあって、1年半ぶりにリオへ行き、リオのミュージシャン達と一緒にそのコンサートの舞台で演奏しながら「やっぱり私はここでこの人達と一緒に生きて行きたい!」という気持ちを再確認したんです。

その翌年、2004年に「神戸ブラジル音楽フェスティバル」が開催された時、マウリシオ、ルシアーナ、ペドロ、セルシーニョ(編集部注:Mauricio Carrilho, Luciana Rabello, Pedro Amorim, Celsinho Silva)の4人が来たんですよね。
彼らと一緒に日本ツアーをやっているある日、昼食を一緒にとりながら、彼達に「リオに住みたい」と言ってみたんです。

でも、みんなはやめとけ、やめとけって猛反対。リオの音楽事情なんて最低だからやめとけって。日本にいるほうがずっと良い暮らしが出来るって。

F:日本のお母さんでなく、リオの音楽家達に反対されたわけですか?

N:だって、お金が儲からないのは彼等が一番分かってますからね。
「これまでみたいに年に一度、数か月リオに来て一緒に活動すればいいじゃないか。日本の生活を捨ててまで、リオに来ることはないよ」とみんなに猛反対されました。

最後に、「何でそんなにリオに住みたいのか?」ってセルシーニョに訊かれたので、
溢れる思いを一文に要約して「あなた達の側で暮らしたいのよ」と答えたんですよ。

そしたらみんなが顔をほころばせ「だったらおいでよ」と言ってくれて一件落着。
でも、それがその時の私の正直な気持ちだったと思います。

F:あの空気の中で暮らしたいということ?

N:向こうでお金を稼ぎたいとか、演奏活動したいとか、具体的な目的があったわけではなく、とにかくあの環境の中で暮らしたいという願望が強かったんです。
でも、うまくいかなかったら日本へ戻ればいい、帰るところはあるわけだから。
とりあえずやってみようと思って、それまでやっていた仕事を全部辞めて、1年間くらい暮らせるだけの資金を持って行くことにしました。

F:勇気があるというより、なんと無鉄砲な。

N:その時、39歳でした。何となく40歳過ぎるとそんなに大きなことが出来なくなるんじゃないか、と思っていたんです。大きな賭けをする人生最後のチャンスかもしれないな、というのはありましたね。

第4回 フルートとブラジル

F:以前、「ブラジルはギター王国と思われていますけど、フルート王国でもありますよ」と仰っていました。
移民たちがギターをかき鳴らして、という情景を思い浮かべるのですが、フルートも同じようなものだったのでしょうか?

N:ブラジルでですか?

F:ええ。
パタピオ・シルヴァがリオに行ったとき、手製のフルートで演奏して大学の先生がびっくりしちゃったという記事を読んだことがあって。

N:アウタミーロもそうですね。最初は竹の笛で始めたらしいですよ。

F:家庭でギターの横に普通にフルートがあるみたいな感じで、学校に行かなくても自然と覚えられるような環境があったのかな?

N:どうでしょうか。でも、あったかも知れませんね。フルートって歴史の古い楽器ですから。人間に近い楽器なんですよね、ギターもそうですけど。発祥は動物の大腿骨だったんですよ。

F:骨の?

N:そう。そこに風が通ったら音が出たという。

F:へえ、面白い。

N:ヨーロッパのフルートは、昔は象牙か木で出来ていました。

F:「フルート王国」と聞いて、ブラジルではフルートは日常的な楽器なのかなと思ったんですよ。例えばフットボールのように。特別なトレーニング無しで、どこの町でも子供達が路上でボールを蹴っていて、その中からほんの数人の天才が現れるように、多くの子供達がフルートを普段から吹いていて、その中からビルトゥオーソと言われる演奏家が出て来たという風に想像したのです。

N:たぶん、私が「フルート王国」と言ったのは、フルート人口が多く、ブラジル音楽には欠かせない、とてもポピュラーな楽器だという意味でしょう。

フルートがショーロの楽器として発展したのは、1847年頃に出来た今のシステム(ベーム式フルート)のお陰だと思います。
それ以前のフルートは、ただ木に穴が開いただけで、音程も不安定で単純な事しか出来なかったんですね。それが、今と全く同じ形の半音階が可能な楽器になり、木製から金属製に変わって音量も増し、当時のヨーロッパで大流行したんです。19世紀後半のヨーロッパは、フルートの超絶技巧全盛の時代でした。フルーティストが自分のテクニックを最大限披露出来るような曲を自作自演して、みんな競うようにして吹いていたんです。

F:新しいフルートを?

N:そうそう。そして、皇帝ペドロ二世の宮廷楽士としてリオにやって来たベルギー人フルーティスト、アンドレ・ライヒェルト(編集部注:Mathieu-Andre Reichert)が、そのベーム式フルートを初めてブラジルに持ち込んだと言われています。

ショーロの中でフルートが中心的な楽器として活躍するようになるのは、明らかにベーム式フルートが到来してからです。
ライヒェルトとジョアキン・カラードはかなり親交が深かったらしく、彼らの間でかなりの情報交換がなされていたと想像します。それもショーロの形成に大きな影響を与えたでしょう。

例えばキューバでもフルートをよく使いますが、未だにキーの少ない木のフルートを使っている人が多いのを見ると、ベーム式ではなく旧式のフルートで音楽が形成されてきたようですね。逆に、ベーム式フルートではやりにくいフレーズがキューバ音楽にはよく出て来ます。

勿論、フルートは日本でもポピュラーな楽器で、フルート人口は多いですよ。

F:そういえば去年でしたか、全国大会がありましたね。(編集部注:日本フルートコンヴェンション / 日本フルート協会主催)
例えばブラス・バンドでも人気楽器になるんですか?

N:一番じゃないですか?トランペットに並んで花形楽器ですよ。楽器のつくりがシンプルだというのもあるかもしれませんね。

クラリネットとかサックスだとリードがあるから、それを付けて調整してといった作業が色々あるけれど、フルートは複雑な付属品も要らないし、組み立てればすぐ使える。

F:アウタミーロのフルートがきっかけでショーロを始められたとか。
残念ながら、去年亡くなってしまいましたが、アウタミーロに直に教えてもらったことはあるんですか?

N:レッスンを受けたことは無いです。向こうでの教え方は、一緒に演奏するというやり方だから。初めて行った頃はよく一緒に演奏させてもらいましたよ。

F:そういう場で教えてもらったみたいな?

N:うん、そうそう。
あの人は指導しなくも無いけど、生徒をとって教えるみたいなことはしてなかったですね。
逆に彼は、クラシック音楽にものすごく憧れが強い人だったんです。
だからむしろ私からクラシックを学びたい、知識を得たいという気配がありました。
一緒にモーツアルトのコンチェルトやバッハのソナタなんかを吹いたりして。
心の中では、「私、クラシックよりショーロを吹きたいんだけどなー」って思いつつも、アウタミーロに頼まれちゃイヤとは言えないし。で、お互い情報交換みたいなことを。

F:年齢も国籍も関係ないですね。

N:当時、私はポルトガル語もそんなに喋れなかったから、言葉では伝えられないので、お互い演奏して、持ってるものを相手に伝えるというやり方でしたね。

F:ラッキーでしたね。

ウンアゼロをフルートで出来る人はあまりいない、と書かれたものを読んだことがあるんですが。

N:ウンアゼロは難しい。すっごく難しい。

F:確か、カバキーニョのカニョートがそう言っていたとか。

N:高度なテクニックがいりますからね。

F:それと、アンドレ・ヂ・サパト・ノヴォをアウタミーロが吹いているところをユーチューブで見た時も、あれをフルートで?って驚いたんですが。

N:あの曲はそんなに難しくないですよ。意外とフルートでも心地よく演奏出来ます。
難しそうに見えたのは、なにか複雑なアレンジがされてたのかもしれませんね。

第5回 日本在住のブラジル人

F:去年(2012年)から日本に住むブラジル人にショーロを紹介するプロジェクトを始められていますね。
こちらに住んでいるブラジル人も殆どショーロのことを知らないと想像していますが。

N:そうですね、殆どの場合。

プロジェクト自体は色々な経緯があって始まったんですが、元々は、高崎健康福祉大学の岡本拡子教授が実は私の大学時代からの大親友で、彼女との会話がことの始まりです。

群馬県というのは大泉町というブラジル人街がある町を抱えている県で、ブラジル以外にも沢山の外国人が住んでいるところです。そんな経緯から国際交流にも力を入れていきたいという方針も有り、大学としても日本側からブラジル人に歩み寄ることも必要だと考えていたようです。

彼女は幼児音楽教育の先生なので、教え子が幼稚園とか保育所へ巣立っていくわけです。そこにはブラジルの子供達もいるんだけれど、言葉や生活習慣の違いが原因でコミュニケーションに問題を生じることがあるらしいんです。そこで、私がブラジルに住んでブラジル音楽をやっていることを思い出して、二人で何か一緒にやろうよと相談を始めたところからこのプロジェクトに繋がりました。

日本生まれでありながら日本語を喋れず、その上ブラジルで暮らしたこともないという特殊な環境に生まれ育っている子供達が沢山いて、ブラジル人コミュニティの中では教育や治安といった様々な社会的問題を抱えているそうです。

そこで、リオに住んでいる日本人の私がポルトガル語を喋って、ショーロをやっていることを見せることが彼達にとって刺激になり、また人生を考えるに当たって何かのきっかけになれば良いなと思ったんです。

内容としては、ショーロと国の歴史を照らし合わせながらのポルトガル語によるお話と演奏、というコンサートの形で行います。他の言語をマスターするということが如何に人生の可能性を広げてくれるか、といった教育的な話も少し含めながら、彼達の母国であるブラジルの歴史や文化に興味を持ってもらうことが目的です。

1808年、ナポレオンから逃れる為にポルトガルの王ジョアン6世がリオに渡って来ます。それは、それ以降の国の発展に大きな影響を与える大事件だったのですが、ショーロもそこから歴史が始まるんですね。ショーロは、ブラジルの歴史と共に歩んできた、そして未だに一緒に歩み続けている唯一の音楽です。最初に生まれたブラジル音楽なんです。
だから授業で歴史を学んでいる子供達に、「1888年は何があった年だっけ?その頃に流行っていた音楽はこんなのだよ」なんて言いながら演奏してあげれば、より身近に感じられるかな、と思って。

私がショーロを学ぼうと初めてリオへ行った時、ブラジルの歴史を全然知らなくて、ショーロを学ぶ為にはこの国の歴史を知らないと無理だ、とすぐに思ったから。音楽と国の歴史は密接に結びついていることに気がついた私の経験からの発想ですね。

F:子供達は何かを見つけた感じでしたか?

N:うん、すごく興味を持って聞いてくれましたよ。
みんな目を丸くして釘付けになって、「これが僕達の音楽か!」っていう感じで聞いてくれてました。

F:パゴーヂやサンバの向こうにはショーロという土台があるって彼達は知っていたのですか?

N:それは学校によって違いました。
一つの学校では先生がこういうイベントがあるからって事前にショーロを聞かせてくれていたみたいです。ですから、そこの子供達は予備知識がありましたが、学校によっては聞いた事もない、という子供達も沢山いました。

F:日系ブラジル人はリオから来ている人が少ない所為もあるでしょうね。

N:そうでしょうね。それにリオでもショーロのこと知らない人は一杯いるし。

F:リオに住んでいる日本人はショーロを知っているでしょう。

N:リオにはそんなに沢山の日本人はいませんよ。

F:2、3000人いるのじゃ?

N:そんなにいるかな?2年位前に日本人学校の生徒が10人ちょっとしかいなくて潰れそうだと言ってたもの。去年、校長先生にお会いした時には、少し増えてきたと仰ってましたけれど。

F:12、3人じゃまるで寺子屋ですね。

そうか、日系企業が増えたとしても、リオ市内には工場作れないものね。

(コッポ・ド・ヂアのスタッフが皿を運びながら)
C:尚美さん、サウスポーなんですね。

F:あっ、カニョータだ。(編集部:女性の左利きの意味)
フルートは反対向きに持たないのですか?

N:持たないですよ。そう言えば、さっき話が出たヴィルトゥオーゾの時代、ドップラー兄弟というのがフルートを二人で左右対称に構えて演奏していたそうなので、当時は左利き用のフルートがあったみたいですね。今はもう見ないですけれど。

F:カニョート・ダ・パライーバはそのままギターをひっくり返して弾いていたらしいですね。

N:カヴァキーニョのカニョートもそうですよ。だから音の出方が違うんですよね。

左利きの弦楽器奏者の場合、2つタイプがあって、1つは楽器をひっくり返して弦の並びも逆にする、もう1つは弦の並びはそのままで楽器をひっくり返すだけ。
楽器をひっくり返すと、一番上にあった弦は一番下になって弦の高低が変わるでしょ。
カヴァキーニョはピックで4本の弦を同時に弾くので、ひっくり返しただけだと最初にピックに当たる音が変わるわけです。
そうすると音の響きがすごく変わるので、カニョートのカヴァキーニョは独特だったみたいですね。

第6回 ヨーロッパの影響

N:日本へ帰って来る途中にパリに寄って一週間ほど滞在した時に、オーケストラのコンサートを聴きに行ったんです。ブラームスのシンフォニーだったんだけど、こんな解釈なんか聴いたことが無いっていう演奏でした。

本当にフランス人が喋るように、さらっとしているんです。今まで聞いてきたものと全然違いました。ああいう解釈は日本ではなかなか聞けないですね。日本はやはりドイツから音楽を取り入れているからでしょうか、想定外の演奏で意表をつかれました。

F : コンサートの出来は良かったんですか?

N:素晴らしかったですよ。オケはフランス放送フィルハーモニー管弦楽団でした。正直言って、ブラームスを聞くのに良かったのかどうかは分からないけれど。「あー、そこはそうじゃなくて・・」と思う部分も確かにあったんだけれど、それは国民性とか言葉のリズムとかがそうさせているんだなと感じました。

F:指揮者もフランス人?

N:そう、フランス人でした。

リオの市民劇場(Teatro Municipal)のモデルにもなったガルニエ(編集部注:パリ・オペラ座)にも行ったんですが、中に入った瞬間、「ん〜!」って。美しすぎて言葉が出ませんでした。リオの劇場も奇麗ですけど、元祖であるパリのは歴史や文化の重みを感じました。ここでラベルのオペラを見たんですよ、これが!曲も演奏者もお客さんもみんなフランス人で、それであの空間で、初演当時のセットを使っての上演!大感動でした。
(編集部注:インタビュー後、「子供と魔法」と確認)

F:そういう話聞いたことあります。オペラのセットを大きな倉庫にずっとしまって使い回すって。

N:初演が1920年代ごろなんですけれど、100年後も同じセットを使ってるわけですよね。フランスにはモダンなアートもたくさんあるけど、伝統を重んじる意識が色んなところで感じられるのがステキですよね。それに音がね、例えば日本のオーケストラだと、ああいう風には出ないですね。フレンチスタイル独特のシャレた繊細な音でした。ブラジルのオーケストラの音も軽いですよ。ベートーヴェンも重くならないし、そうそう、ジャズもあんまり後ろにもたれない。

F:音楽が郷土料理みたいになっちゃいませんか?そこに行かなきゃ食べられないって。

N:それは、ワークショップで言ったかも知れないけれど、個人の問題だと思うんですよ。

F:弾き手の?

N:弾き手も、聞き手も。
日本人は外から色んな文化を取り入れて日本流にするというのが上手な国民ですが、私はそこになかなか納得が出来なかったんですよ、性格的に。

ショーロに出会う前、「私はどうして自国の音楽をやっていないんだろう」と言うことをすごく考えた時期がありました。こどもの頃からやってるクラシック音楽ですが、いつまでたっても外国の音楽であることに変りが無いわけで、距離を感じながら演奏する事にずっと違和感があったんでしょうね。

F:今は10年近くリオに住まわれていて、その差は縮まったのですか?

N:ショーロとですか?

F:そうですショーロとの距離。

N:少しは縮まったかもしれませんね。ブラジル人になりたいと思った時期もあったし、ブラジル人と同じように演奏したいと思った時期もあった。でも、時間が経てば経つほど、それは可能でないことも分かりました。だけど、出来る限り近づくという努力は出来るでしょう?

F:ブラジルをもっと理解できると予感した、というようなことでしょうか。

N:そう、肌で感じる事の大切さですね。耳にする声や音、目にする風景や建物、それに、あのリオの空気の中で生活する事で、心で感じる事も変わって来ますよね。少なくとも、近づくということは出来る。それを一生の課題にしようと思ったんです。

日本に於けるクラシック音楽は既に100年以上の歴史がありますよね。
教材も沢山あるし、良い先生も沢山いらっしゃる、音楽大学の平均レベルも高いですし、日本国内で十分な事が学べます。回りには、大学卒業後に海外へ留学しに行った友人もいましたが、当時の私はその条件にも恵まれてなかったし、その必要性をあまり感じる事もなく、そのまま現場へ出て演奏家としての活動を始めたんです。それはそれで良かったと思っていますが、もし留学していたら今頃全く違った音楽観を持っていたかもしれませんね。

F:どんな時にショーロに少し近づいたと感じたのですか?

N:私の場合は、日本からブラジルという以前にクラシック音楽からポピュラー音楽と言う大きな変化があります。ショーロの起源はヨーロッパの音楽なので、共通の要素はたくさんあるんですけど、「クラシックの人がポピュラーをやってる」という域には留まりたくなかったので、まずはそのハードルを越えるのが正直言って大変でした。でも、経験を積むしか方法はない事は分かっていたので、とにかく自分から歩み寄る事を忘れずにやっていくうちに、ある日ふと気がついたら、普通にポピュラー音楽が出来ているのを感じました。やっとスタート地点に立てた気がしましたね。

私は好運な事に、リオに引っ越して1年くらい経った頃だったかな、Escola Portátil de Música(編集部注:ポルタチル音楽学校)の講師になり、否が応でもブラジル人にショーロを教えなきゃいけない立場になったんですね、なんか変な図式なんですけど。私は感覚人間なので、それまでは感覚で演奏していたショーロも、教えるとなると言葉で説明しなくちゃいけません、しかもポルトガル語で。それも良い経験のひとつでした。ブラジル人にとって人生は「楽しむもの」。音楽を通してどういう風にものを考え、どういう風に人と接し、どういう風に時間を使って生きるのか、ということを生徒たちからたくさん学べたし、何よりもショーロのどの要素が彼らの血の中にあり、何が外から補われる事なのかという大きな発見をさせてもらいました。それなら彼らの血にあるものを私に取り入れ、私が持ち得るものを彼らへ与えと、お互い提供し合えば良いんだと言う事に気がつき、現在までその方法でお互いが学んでいます。それは生徒とだけの話ではなくて、ブラジル人演奏家と演奏する時も同じです。お陰で、日本人以外にも外国人にショーロの演奏法のコツを具体的に教えてあげられるようになりましたよ。

後は、やはり時間ですね。リオに暮らす時間が長くなれば長くなるほど、いろんなことに慣れて来ます。最近は、ブラジルの話をして下さいと言われても、何が日本人にとって目新しい事なのかが分からなくなって来ました。ショーロも、そうやって時間が経って行くうちに自然と自分の中に浸透して行くんだと思います。ブラジルもショーロも、それが日常的に感じられた時に少し距離が縮まった事を実感しますね。

F:リオに住みフランスでブラームスやラベルを聞く今の自分と、日本でクラシック音楽をやっていたときの自分とを、比べることは出来るのでしょうか?

N:そうですね、年齢的な事もあると思うんだけれど、各国の特色や、時代によっての音楽様式の違いがよりはっきり見えて来るようになりました。なんでも経験ですよね。色んな事を経験すれば、見えてくるものが増えて来ます。特にラベルのようなフランス音楽は、日本ではあまりポピュラーではないので特別な感じがしていましたが、まさにラベルの時代のフランスの影響を大きく受けたリオデジャネイロに暮らすことで、昔よりは身近な存在になったかもしれません。リオにはフランス様式の建築物もたくさんありますしね。ショーロがまだジャンルとして確立していなかったような創始期の頃の作曲者Henrique Alves de Mesquita(編集部注:エンヒッキ・アルヴェス・ジ・メスキータ)は、初めてブラジルからフランスへ音楽の勉強をしに行った人です。その後、ヴィラ・ロボスもフランスに住みその影響を強く受けてますし、1922年にはピシンギーニャも彼のグループ「Os Oito Batutas」を率いて、パリ公演を実現しています。現代のショーロの作曲家や編曲家、例えばマウリシオ・カヒーリョやクリストーヴァン・バストスらもラベルの時代、フランス印象派の時代の色彩を、ハーモニーやアレンジの中に大いに取り入れようとしていますね。

第7回 インテリジェンス

F:ハダメス・ジニャタリの作品にはインテリジェンスを感じますが、今のショーロ界にはあの流れがあるのですか?

N:ハダメスの影響は大きいと思います。ハダメス以降、特にマウリシオ以降の世代のショーロ演奏家達は、その流れを汲んでコンテンポラリーショーロを開拓して行く方向と、伝統的な手法を守る方向とに分かれて行ったような気がします。

F:楽しければいいじゃないかと言う人と、何で楽しいんだろうと分析していく人というタイプなのかな。

N:ショーロと言うのはインテリの音楽だって言われることがあるんですけれど、クラシック音楽の要素が強く流れの中にあるのは事実ですよね。クラシック音楽をポルトガル語ではMúsica eruditaという風に言いますが、これは直訳すると「教養のある音楽」と言う意味です。こんな呼び方をする国、或は言語はなかなかないんじゃないでしょうか。Música clássica (直訳するとクラシック音楽) とは言いませんから。と言うことは、ショーロはそういう素養を持っている音楽なんですよね。ショーロのことを、meio erudito – meio popular (半分クラシックで半分ポピュラー)なんていう言い方をする時もあります。

リオの郊外(Suburbio)で発達した昔からの伝統的な演奏法は、現在まで根強く継承されているし、ジャコー・ド・バンドリンが残したコンジュント・エポカヂオーロも伝統的サウンドを守り続けていますよね。逆に、マウリシオ達のようなハダメスの後を行く作曲家やアレンジャーは、如何にハーモニーに凝るかというところに命を賭けてます。それを突き詰めていくとラベルに行くんですよね。

F:ラベル?

N:みんなそこを目指してますね。クリストーヴァンなんてもうそのもの。みんなラベルの管弦楽法やハーモニーをよく研究していますよ。

F:ラベルとは初耳です。

N:言葉で聞く事はないかもしれませんね。でも、一緒に活動していると彼等が何を求めているかが伝わって来ます。教えてもらう事も出来るし。クリストーヴァンの曲で、あるコードから次のコードに行くその意味が分からない時があったんです。実際に鳴ってる音自体は奇麗なんですけどね。それで「ここはどうしてこうなるの?」と聞いたら、「ほら、ラベルのあの曲のあそこにこんなのがあるだろ?奇麗だろ?」と、ピアノで弾いて見せてくれました。そうやってすぐに教えてもらえる事は、私にとってとても大切な時間です。チャイコフスキーやストラヴィンスキーなんかの名前も良く会話に出て来ますよ。ラベルだけでなく、クラシックの色んな楽曲を作曲や編曲の為の参考にしてるようですね。みんな良く聞いてるし、良く知ってます。

F:ラベルはフランス人でしたよね?

N:フランス人です。色彩豊かな印象派の作曲家です。それまではショーロには機能的なハーモニーしかなかったんですよね。もちろん、それは今でも使いますけど。

F:それまではと言うのはクリストーヴァン以前?

N:ハダメス以前と言った方が良いかもしれません。ハダメスが、みんなが知らなかった事をショーロの世界にもたらしたこと、要するにクラシックの要素とショーロを具体的に繋いで音楽を作り、それをカメラータ・カリオカに代表される当時の若手ショーロ演奏家と一緒に演奏しながら彼らを育てた、その事実がショーロの流れに大きく影響を与えました。それ以前は、楽譜が読めるギターやカヴァキーニョ奏者はほとんどいなかったそうですし、弦楽器用にアレンジを書くなんてこともされてなかったそうです。ピシンギーニャがオーケストラアレンジを書いていましたが、あれは全部管楽器ですもんね。ハダメスがクラシック的にギターやカヴァキーニョにまですべて書き譜のアレンジをし、それをカメラータ・カリオカの面々にやらせた、そこが岐路になったというわけです。そこにいたのがマウリシオ・カヒーリョやルシアーナ・ハベーロ、現代のショーロを代表する音楽家達です。

その流れを引き継いだ人もいれば、ずっと伝統を守り続けている人達もいます。私はこれが素晴らしいと思うんですよ。これもショーロだし、あれもショーロ。そういうのも私は分かりたかったんです。日本でCD聞いているだけだと、ショーロと呼ばれるジャンルの中にも色んなスタイルの曲がありすぎて、よく「一体、ショーロって何なの?」という疑問にぶち当たってました。幅が広いんですよね。ハダメスもショーロ、ピシンギーニャもショーロ、マウリシオのこれもショーロで、なんて感じで。エルメート・パスコアルのショーロもあったりするし。ショーロと言うジャンルの定義がどういうものなのか、それも知りたかったんです。

F:僕の悩みは、ショーロ・サイトをやるあたって、どこまでがショーロかって言うのが分からなくて、もう区切りをつけないで、ショーロ・ミュージシャンのやる音楽は全部OKということにしてしまったんです。

N:でも区切りはあると思いますよ。

F:あるの?

N:言葉では説明しにくいけれど、「ショーロ」と言うくくりはやっぱりあると思うんです。コンテンポラリーショーロでも、その中にはちゃんと伝統が残されてますよね。伝統を覆す事なく新しい事を盛り込んで行く、それがショーロの魅力であり、分かりにくくさせている部分でもあるのかもしれませんね。でも、それら全体を通じて流れるのは、やはり共通の「スピリット」でしょう。それが感じられればショーロだと言えるんじゃないでしょうか。

F:例えばマウリシオのやっている音楽は全部ショーロと言って良い分けではない?

N:「スピリット」という意味では全部ショーロだと言えるでしょうね。根っからのショラゥンですから。彼は、いつも実験的な事をしながら可能性を追求するタイプの作曲家ですが、最近はクラシック音楽的なものを書いたりもしています。「最近の彼が目指しているものは、もはやショーロではない」と言う人もいるくらいです。ただ、楽譜を書く時に彼はコードを使うので、そう言う意味でクラシック音楽と言い切る事は出来ないですね。でも、ギターとオーケストラの為のコンチェルトとか弦楽4重奏なんかも書いています。あれは全部書き譜です。

F:コードを使うとクラシック音楽とは言えないんですか?

N:クラシック音楽の場合は、全部楽譜に書いてあります。音もリズムも、強弱もアーティキュレーションも、すべてが作曲家の手によって書かれています。それに、コード譜に対応出来るクラシックの演奏家は、ほとんどいらっしゃらないと思います。その逆も同じです。書かれてある事すべてを読み取って音に表現する高い技術を身につけて、そして自己の音楽性と、楽譜には書かれていないその奥にあることを汲み取る能力を高めながらオリジナリティのある演奏を求めて行くのがクラシック音楽の演奏法、逆にショーロのようなポピュラー音楽の楽譜には簡単な事しか書かれていません。メロディとコード、それだけです。演奏法は、そのジャンルの音楽言語を身につけて、楽譜に書かれている最小限の情報をその音楽言語を使って最大限に表現して行きます。その「音楽言語を身につける」という作業、要するに「伝統」を身につけるということが大切なわけです。

でも、クラシックもバロック時代はそういう風に演奏していたんですよ。楽譜にはアーティキュレーションも装飾もないシンプルなメロディ、通奏低音に数字譜(当時のコード譜のようなもの)で、演奏者にも自由がありました。メロディを演奏する楽器の指定すらなかった時代もあります。ショーロはバロック音楽に良く似ていると言われる事もあるくらいです。

話は元に戻りますが、両者にはそんな違いがあるので、クラシックとポピュラーの間を行き来するというのは難しいことなんですね。
マウリシオがヤマンドゥ・コスタの為に書いた「7弦ギターとオーケストラの為のコンチェルト」、初演時はオーケストラが上手くいかなかったらしいんですよ。それで、オーケストラでの演奏経験のある私に楽譜の校正の依頼が来たんです。いつもマウリシオはそうなんですが、この時もパリでの再演の日程ギリギリになって言って来たので、仕方なくカーニバル中も外に出ず、家で黙々と校正の仕事をしなきゃいけない羽目になったりして。オーケストラスコアにあるすべての音にアーティキュレーションを書き込み、強弱も付け、ショーロの言語なんて知らないクラシックのオケが演奏してもさまになるような楽譜にしました。リオでのブラジルのオケとの初演も大変だったんですから、いくらフランス国立管弦楽団とはいえ、演奏に苦労するのには想像がつきます。なので「外国のオケが演奏する」と言う事を常に念頭に置きながら作業をしました。これが私が始めてやった楽譜校正の仕事だったのですが、お陰さまで評判も良く、以来時々そう言う仕事をさせてもらってます。クラシック音楽をやってきて、途中でショーロに転向して、その言語習得にのめり込んだ私が持つ知識を最大限に生かせる、とてもやりがいのある仕事です。

じゃあ、逆にショーロを楽譜にしてみたらどうか?そんな事も思いつきました。ショーロのメロディを演奏するのは、伴奏よりもずっと楽です。というのは、とりあえずは楽譜があるし、なくてもメロディはCDを聞けばちゃんと聞こえて来ますから真似は出来ます。だけど、伴奏の部分が一体どうなっているのか、そこを聞き取るのは至難の業です。それに、「もしクラシックのギタリストが弾けるようなショーロの楽譜が世の中にあったら、より多くの演奏家に親しみをもってもらえるんじゃないかな」とも思いました。そんなアイデアで、私がメロディパートの校正をし、ギターパートをマウリシオ・カヒーリョとパウロ・アラガゥンの両アレンジャーにすべて音符で書いてもらい、クラシックの演奏家にも使ってもらえる「フルートとギターの為のショーロコレクションvol.I」というCD付楽譜集を中央アート出版社から出版しました。もちろんコードも書いてあります。何が良いって、リズムが知れる、っていうのが画期的でしょ。これがこの本の大きな特徴です。日本以外にも、ヨーロッパの方達が沢山購入してくれています。そう言えば偶然か否か、買ってくれてるのはやはりフランス人が多いですね。
出版社とも意見が合い、続号が出せるようにとの願いを込めて「vol.I」を表示することになったんですよ。そのせいか「第2巻はいつ出るんですか?」と良く聞かれるんですが、残念ながら次号の出版予定はありません。もちろん次号を出したい気持ちは山々です。出版社とも話してはみましたが、出版業界も大変そうです。ショーロの本なんて売れる部数は知れてますからね。

F:その他に何か新しい企画はあるんですか?

N:まだ夢の段階なんですけど、「フルートとピアノの為のショーロ楽譜集」という本を作りたいなあと思ってます。日本では伴奏楽器と言えばやはりピアノが主流なので、今度はピアノでどうショーロの伴奏が出来るか、と言うのを楽譜にしてみたいと思い、少しずつ、これは私がピアノ譜を書いています。最近、たまにピアノを人前で弾いてみたりもするのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、実はピアノが6歳くらいの時に始めた私の最初の楽器なんですね。その後、中学校のブラスバンドでフルートを始めたんですが、フルーティストになってからもピアノが大好きな事には変わりなく、またヤマハのこども音楽教室で学んだお陰で、コード譜を読んだり即興演奏したりという事が既に出来ていたので、ショーロのリズムが弾ければなんとかなるかもしれないと思って、ギターとカヴァキーニョのリズムやフレーズをピアノの両手に取り入れてピアノでの伴奏スタイルを組み立てる、という実験作業をやってみました。私はいつもフルートでメロディを吹いて伴奏してもらう側なので、よく伴奏が見える立場に居るのも好都合でしたね。EPMではいつもピアノで生徒の伴奏もしていますので、実際に音を出して試してみれる場所もありましたし。で、これが結構自分の手の中で良い感じになってきたので、楽譜に書いて出版して、もっとたくさんのフルーティストやピアニストに演奏してもらって、ショーロの楽しさを感じてもらえたら嬉しいですね。私がクラシックをやっていた頃みたいに、「ポピュラー音楽もやってみたいけど、ジャズみたいなアドリブは出来ないし」なんて思ってるフルーティスト、きっと他にもいらっしゃると思うんですよ。そんな方々に活用してもらえるような本が出来たらいいな、と思ってます。興味を持ってくれる出版社が見つかればいいんですけれど。

第8回 音楽と国民性

C:ブラジルとアルゼンチンのワインがありますが、どちらになさいますか?

N:じゃあアルゼンチンワインをください。

F:裏切り者じゃあありませんか。

N:ブラジルのはいつもリオで飲んでますからね。

個人的な話ですが、実は前から音楽と国民性については気になっていたんです。昔、日本でクラシックを演奏してた頃からずっと気になってました。音がなかなかしっくり合わなかったんですよね。みなさん上手なんだけれど。

F:熊本さんは日本の演奏家と合わないと言うこと?

N:そういう意味じゃなくて、音が交わって来ないんですよね。

F:合奏をする上で?

N:そうですね。音楽は一人では出来ないので、いつも誰かと一緒に演奏するわけですが、音楽としてなかなか一つにならなかったんですよね。音がうねらないというか。
ある時、その話を私が尊敬する日本人フルーティストにしたんです。その方もオーケストラで演奏していた人で、「どうしてなんでしょうね?」って聞いてみたんです。そしたら、「日本の大学で勉強してからフランスに留学する人もいれば、ドイツに留学する人もいる。アメリカに留学する人もいるし、留学しない人もいる。そういう色んなところへ行って勉強して来た人達が日本へ戻ってきて一緒に演奏する。合うわけがないでしょ?」って言われて。言われてみて「そりゃそうだな」と納得しました。

F:ヨーロッパのオーケストラの演奏者も世界中から来ているのじゃないんですか?

N:オーケストラによると思いますが、やはりその土地の人が大半なんじゃないでしょうか。アメリカのオケなんかはもっと門戸が広いかもしれませんね。移民の国ですし。ヨーロッパはやはり伝統を保持しているオケが多いですよ。オペラハウスなんかもね。最近は随分緩和されて来てはいるみたいですけれど。

イタリアの伝統的なオーケストラや、ベルリンフィルなんかも門戸をあけたのは最近じゃないですか。私も最近クラシック界から離れてるので現状にはあまり詳しくないのですが、ウィーンフィルは外国人を入れてなかったんじゃなかったっけ?あ、そう言えばこの間、韓国人、しかも女性フルーティストがトップ奏者として入りましたね。このニュースにはかなり驚きました。

F:色々な背景の人が混ざると音が合わなくなるということですか?

N:その通りです。それぞれの持つ背景が違うんですよね。想像する音も、風景も、空気も、匂いも、食べ物も、すべて含めて。善し悪しと言う事じゃなくて、「違い」なんですよ。

この間、フランス放送管弦楽団を聞いた時は、プログラムを見ると一人だけ日本人で残りはみんなフランス人でした。一緒に行ったフランス人の友達がフランスの名前しかない、って言ってたから間違いないでしょう。その友人とも話してたんですが、例えばパリのオケに入る人達は、たとえ外国人であったとしてもフランスのコンセルヴァトアールで勉強した人が多いだろうと。そうすると演奏スタイルは似て来ますよね。「同じ釜の飯を食う」という表現が日本にもありますが、「共存」という事は文化を共有する上でとても大切なことなんですね。リオでショーロを語る時にもみんな「Convivência」という言葉を良く使います。EPMなんてまさしくそのもの。週に一度、あそこに集まって顔を合わし、一緒に音を出す、そんな日常の中でショーロが継承されて行く、それこそがあの学校の大きなテーマです。
背景の違いの他に、国によって奏法も変わりますしね。

F:奏法も?

N:フランスの奏法とドイツの奏法はかなり違いますよ。ウィーンに行けばホルンやオーボエなど、楽器自体も違います。フランスでも、オーボエやファゴットは楽器が違ったり奏法が違ったりリードの削り方が違ったり、各国特有の音色感がありますよね。

F:閉鎖的ということ?

N:閉鎖的というより、それは伝統だと私は思います。というか、伝統というものは閉鎖的ですよね。閉鎖的な中で進化をする。だから特性が保たれるわけで。先に話した「各言語の音やリズムの違い」というのと同じ話ですよ。もっと具体的に言えば、言語が違えば口の筋肉や舌の動きが変わります。管楽器だと大きな影響が出るでしょ?それに体格だって違うわけですから。そうすると必然的に奏法は変わって来ます。そして、言語の音が違えば耳が変わる。そうすると、楽器に求める音も変わって来るでしょう。昔、ベートーベンの第九を演奏した後の帰り道、「3楽章のあんな大きなフレーズ、小さな体の日本人に表現出来る分けがないわ。ドイツ人くらいでかくないと無理よ。」って、ヴァイオリンを弾く友人が言ってたのを今思い出しました。

F:日本でやってる人達はそれぞれ違和感もってやっていると言うことですか?

N:どうなんでしょうね。持ってる方も持ってない方もいらっしゃるのかもしれません。私が細かい事を気にし過ぎなのかもしれませんが、そういうことがずっと気になっていて、その延長線上で「私はどうして日本の音楽をやってないのか」という疑問にたどり着いたわけです。実際に日本の笛を手にしてみた事もありますが、音の出方が全然違って私の欲するものではなかったし、私の中にある音楽性はやはりドレミファソの西洋の12音音階で、5音の日本音階ではないんですね。

それに、伝統音楽をやっている人達から出て来るものって強いんですよ。まず音が強い。ボリュームが大きいとかではなくて、アピールする力が強いという意味です。マウリシオ達の演奏を初めて目の前で聞いた時、どうしてこんな風になるのかな、ってびっくりしたんですよ。音と音が磁石のように引っ付くんですよね。

F:そりゃあ、興味津々になっちゃいますね。

N:それで思い出したけど、随分前、まだショーロのことも知らなかったような頃ですが、イタリアのボローニャ歌劇場の引っ越し公演を見に行った事がありました。歌手、コーラス、ダンサー、オケ、スタッフ、セットや小道具まで全部持って来ての引っ越し公演。もちろん演目もイタリアもの。クライマックスで、役付きの歌手達もコーラスもみんな舞台にいて、全員の歌声とオケが一丸になった時、そこにいた何十人の出す音がひとつになって、一点に向いたんです。まるで音にスポットライトが当たったみたいに。あれは圧巻でした。伝統、そして国民性というものを強く感じた最初の体験でした。その後、マウリシオ達のショーロを聞いて全く同じ事を感じたわけです。音が吸い付いて1つになって行く感じ。

リオで暮らしていると、色んな国からやって来るミュージシャンと出会う機会がよくあります。南米には、ゲストが来れば必ずと言っていいほどみなで集まって食べたり、飲んだり、演奏したりして楽しむと言う習慣があるんですよ。リオには世界中の色んなところから人々がやって来ますが、特に中南米諸国、アルゼンチン、ヴェネズエラ、コロンビア、ペルー、ボリヴィアなどの人達が集まるととっても盛り上がります。ブラジル以外はすべてスペイン語圏ですが、それでも各国の音楽の特色の違いは大きく、みんな自国の音楽を演奏して聞かせてくれます。スペイン語の音や訛りも国によってかなり違うんですよね。みんなで一緒に演奏するというのは、まあやってみることはありますけど、それぞれの持っている音楽言語が違い過ぎてやはり無理があるので、お国自慢のようにそれぞれが自分の国の伝統音楽を奏でるわけです。私は日本人だけど、そう言う時はもちろんブラジル側の一員としてブラジル音楽を演奏するわけですが、居場所があって良かった、なんて思う事も正直言ってありますよ。本当はそこで「私は日本人です。日本の音楽を聞いて下さい」って出来るのが私の理想なんでしょうね、きっと。

F:リオで最近参加されているカルテットには、たしかペルー人がいませんでしたっけ?

N:Los Cuatroの事ですね。このグループはリオ在住のペルー人ギタリスト:セルジオ・ヴァルデオスの発案で始まりました。彼はラテン音楽のマウリシオ・カヒーリョみたいな人で、何でも知ってると言う意味でね、ペルーだけでなく中南米諸国のリズムを研究してる人なんです。彼の他に日本人の私、ブラジル人バンドリン奏者:ペドロ・アラガゥン、そしてポルトガル人、と言っても10歳でブラジルに移住してますが、クラリネットのフイ・アウヴィンのインターナショナルな4人組です。セルジオの選曲とアレンジでのファーストCD「Outros Caminhos do Choro」(ショーロが歩んだ別の道)が既に録音済みで、今年中には出ると思います。ショーロの他にペルーのワルツ、ベネズエラのメレンゲ、コロンビアのパシージョやバンブーコなど、ショーロと同じような歴史的背景を辿った南米諸国の作品を我々の演奏スタイル、ショーロテイストでやろう、という実験的グループです。

大変なんですよ、演奏が。セルジオは簡単そうに弾くんだけれど、私達3人がなかなかその上に乗っかれない。お国柄の違いでここまで音楽が変わるかということを体感させてもらってます。ここだけの話、私は良くも悪くも器用な日本人、それでも苦労するんだけど、不器用を絵に書いたようなブラジル人、その上を行くポルトガル人には可哀想なくらい大変そうですよ。

そう言えば、レコーディングだけして未だに発売されていないCDもあります。その時は、リオから私を含めて数人、アルゼンチン人が2人、ヤマンドゥ・コスタもいました。彼はブラジル人ですが南部出身なので、文化的にはアルゼンチンに近いんですよね。音楽的にも、言葉の訛りなんかもね。
その時にショッチスだったかな、ブラジルの曲をみんなで一緒に録音しようとしたのですが、同じ楽譜を見て演奏していてもそれぞれの解釈が違ってどうしても上手く行かず、ディレクターのマウリシオは遂に一緒に演奏するのを諦めてしまいました。「繰り返し毎にグループを変えよう。一回目はアルゼンチングループ、二回目がブラジルグループということにしよう」というので「で、私は?」なんて冗談で聞いてみた事もありましたね。

F:自然に「ブラジル組」になっていたのだろうと想像しますが。

N: それはそうなんですけど、そこで私本人がボケたらウケるかな?って思って。思惑通りスタジオ内は大爆笑でしたよ。かなり関西人的なノリかもしれないですけれどね。話がそれますが、リオの人達も冗談大好きだから、そういう意味でも気が合うのかもしれませんね。

まだリオに引っ越す前、ブラジルに数ヶ月勉強しに行ってから日本へ戻った時に、たまたまフランスからオーケストラが来るっていう情報を入手したんです。リヨンのコンセルヴァトアールの学生オケ。ソリストはそこのフルートの先生のフィリップ・ベルノルド。イベールのフルートコンチェルトをやるっていうので、興味津々で聞きに行きました。この曲は、よくコンクールの最終課題曲になる、とにかく技巧的難易度の高い曲で、私はあまり好きではなかったんです。難易度が高い以上に楽曲の理解が良く出来なかったと言うか。オーケストラパートも難しく、正直言って技巧的だけではなく、音楽的に上手く噛み合ってる生の演奏をそれまで聞いた事がなかったんですね。難しくてみんなしゃかりきになって演奏して終わり、というようなイメージがいつも残ってました。なので、学生オケがどこまで聞かせてくれるかな?と思って聞きに行きましたが、なんのなんの、するすると流れるようにオーケストラが紡ぐ音の上で、ベルノルドのフルートが軽やかに響くと言う、いとも簡単に見えるほどの素晴らしい演奏でした。演奏者が音楽を消化してると、聴衆にもスムーズに伝わって来るもんです。当たり前だけれど、フランス人にとってフランス音楽はストレートに入れますもんね。「やっぱり・・・」って、その時に国民性の強さをもう一度再確認したんです。この日に聞いた演奏も、リオへ引っ越す為に私の背中を押してくれたものの1つでした。

F:国民性と音楽の相関関係ってこのインタビューの最初の方に出た話ですね。

N: そうですね、また話が戻りましたね。私、そんな事ばっかり考えてるんだわ、きっと。

この間、日本へ帰って来るちょっと前に、リオの市民劇場でメリーウィドウを見たんですよ。ウィーンのオペレッタで、当時大流行しました。初演は1905年だったかな。それを見て「これこれ!これがショーロの源流だ!」って感じました。歌手もオケも、ワルツやポルカを得意そうに楽しんで演奏してたし。ブラジルのオペレッタではなかったけど、これこそ国民性ですよね。

F:どういう意味ですか?

N:当時流行ったオペレッタを見られたらいいと思いますよ。ヨハン・シュトラウスの「こうもり」と言うオペレッタなんかは日本でも良く上演されるし、有名ですよね。ショーロの源流はこれっ!ってきっと感じますよ。

F:そういう意味ね、なるほど。

N:メリーウィドウも同じような感じの作品です。

F:作曲は?

N:オーストリア生まれのレハールです。ワルツとかポルカの続出。ワルツのきれいなメロディーで歌いあげ、ポルカで踊り狂う。このオペレッタはウィーンスタイルですがストーリーの舞台はフランス、当時のパリのベルエポックがいかに浮き足立った時代だったかがうかがえます。そんな頃の人達がリオへたくさん来てたわけですからね。そりゃあその影響を受けたブラジル音楽も陽気になりますよ。

ブラジル人の友達と一緒に行ったんですが、彼女が終わってから「さっき聞いたあのワルツはブラジルのあるワルツを思い出させるわ。何故かしら?」って聞くので、「ヨーロッパのワルツがブラジルに来て根付いたんだから、似ているのは当然じゃない?」ってありきたりな返事をしたけれど、彼女があまりにもそれに感動したようだったので、後日、ブラジル音楽の歴史に詳しい私の友人に聞いてみたら、当時、メリーウィドウに出て来るワルツやポルカを抜粋してカーニバルで演奏していたほど、リオでも大流行したらしいんです。そう言えば、会場にもメロディを口ずさんでいる人がたくさんいましたね。
今回の上演は歌がポルトガル語だったので、ちょっと残念でした。「原語で歌って欲しかったよね」って一緒に行った友達3人とも同意見でした。言葉が変わるとリズムが変わるのでメロディに自然に乗らなくなるし、声の響きも変わってしまうので、せっかくのウィンナオペレッタの魅力が半減してしまう。

F:そういえばシキーニャ・ゴンザーガもオペレッタを一杯作っていましたよね。

N:同じ時代ですよね。

F:シキーニャのオペレッタって忘れられて誰もやらないのですか?

N:忘れられてるってことはないと思いますが、上演されてるのを見た事がないですねえ。モレイラ・サレス財団(Instituto Moreira Salles)っていう、ナザレーのサイトを運営している財団があるでしょ?あそこの次の企画がシキーニャ・ゴンザーガで、今、楽譜を掘り起こしてカタログを作ってるから、いつかやるかもしれませんね。関係者から、自筆楽譜のスキャン作業は終わったと聞いています。

F:ポルトガル語のオペレッタが見られるかもしれないと思うと楽しみですね。

N:そうですね。私もいつか見てみたいです。

F:さて、このインタビューの最後に、尚美さんより、日本のショラオンたち、後輩たちにエールを送っていただきたいのですが。

N:エールを送るなんておこがましいですが・・。今日はうだうだと理屈っぽい話をしてしまいましたが、これは私の個人的興味なので、実際にショーロを演奏する事とはあまり関係ないかもしれませんが、何かの参考やヒントになったら嬉しいなあ、と思います。

私がショーロを始めた十数年前から比べれば、日本にも随分と演奏する人が増えて来ましたよね。とても喜ばしい事だと思います。仲間が居なくちゃ始まりませんからね。それに、地方にも少しずつ広がりを見せているのが頼もしい。東京はもとより、沖縄、福岡、広島、岡山、大阪、名古屋、仙台、北海道と、まだまだ少数みたいですがここ数年で各地にショーロを演奏する人が現れてきました。リオまで学びに来る人もいらっしゃいます。こうやって点が増えて、いつか線になり、それが広がりながらやがて面になって行くと言う事が真の「普及」なんですよね。時間はかかるし地道な活動ですが、誰かがやって行かないと途絶えてしまう。地方では、場所が見つからなかったり、仲間が見つからなかったりと皆さん色んな苦労をされてるみたいですが、諦めないで続けて行って欲しいですね。地方都市で根気よく継続して行くというのは想像するよりもずっと大変な事は私もイヤというほど経験しているし、ほんとに沢山のエネルギーがいりますから。それまでは大阪は大都市だと思っていたけれど、ショーロをやりたいと思って活動をし始めて、初めて実は小さな地方都市だったという事に気づかされました。当初は、「今や日本では市民権を得ているクラシックやジャズだって百数十年前に本気になってやり出した最初の日本人が居たはず。百年後の日本にショーロが根付いている事を夢に頑張ろう!」なんてよく自分を励ましていました。

少し前から構想していることが1つあるんです。いつか「日本ショーロ協会(仮称)」みたいなのを立ち上げて、もっと普及をしやすい形を作りたいという夢を描いています。具体的にはサイト運営になるでしょうか。日本に暮らさない私が旗を揚げるのは変な話かもしれませんが、今の時代インターネットを大いに活用すれば色んな事が出来そうでしょ。リオで私がすぐに手に入れられる最新情報や楽譜、資料、その他可能な限りのものを、日本に居る愛好家の皆さんとリアルタイムで共有出来るような、そして全国に広がるショーロ愛好家みんなが仲間になれるような、そんな場所をイメージしています。正に、点を線に、そして線を面にする為のアイデアです。
それに、もうすぐリオには「Instituto Casa do Choro」というのが出来るんですよ。団体は既にあるのですが、Rua da Cariocaというセントロにある歴史的な通りにショーロセンターとも言えるような建物が出来るんです。小さなホール、レコーディングスタジオ、図書館、レッスン室などを備えた、そこへ行けばショーロの事がなんでも知れる、と言うような場所になる予定です。そこと日本ショーロ協会(仮称)とが提携を結んで連動するような図式を作りたい、そんなことも妄想中です。リオへショーロを学びに来たい人達の足がかりにもなったら嬉しいし。もちろん私一人では出来ないので、日本側で私の思いに賛同してくれる方に協力して頂きたい。興味のある方は私までご一報くださいね!

F:それでは、本日はお忙しいところありがとうございました。

N:こちらこそありがとうございました。

Fim

フォンフォン編集部より

ご読了頂きありがとうございました。
インタビュー後に、熊本尚美さんより連絡がありました。
「インタビュー当時は知らなかったのですが、実は7月13日から「Forrobodó」というシキーニャの作品の上演が始まりました。公演は9月まで続きます。」

詳細は

2013 07 15

ショーロ・ミュージシャンのエッセイ集

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