2015年6月5日

カニョート (アメリコ・ジャコミーノ)

Canhoto(本名 Americo Jacomino)
(1889-1927)

Canhoto

カニョート

アニマルは「オ・ショーロ」(邦題「ショーロはこうして誕生した」)の中でバイアをブラジル伝統の発祥地、サンパウロを栄光の州と呼んでいますが、サンパウロに対するその丁寧な物言いに却ってどこかよそよそしさを感じさせます。
当時はサンパウロとミナスジェライス州で大統領を交代で占めていた通称カフェ・コン・レイテ時代がまだ続いていました。
だからカリオカのアニマルには複雑だったんだって無理に理解しようってのは牽強付会に違いないですが、幾分そう思いたい気持ちが残ります。

アメリコ・ジャコミーノ、通称カニョートは1889年2月サンパウロのセ地区のカテドラルから東へ300メートル程のカルモ通りで生まれました。(現在の大聖堂は1913年建設ですので、当時はその前のカテドラル)
一方、サンパウロのパウリスタ通りの下を走る地下鉄をそのまま西へ向かうとアウグスタ駅から二つ目がヴィラ・マダレナ駅です。この駅はアメリコ・ジャコミノ公園内に建っています。
ヴィラ・マダレナ地区は高級住宅街でもありますが、ボヘミアンが集っていた家があった名残か多くのライブハウスがあることでも知られています。

音楽史家でギタリストのジルソン・アンツネスの修士論文(PUC大学)に次のような記述があります。

<抜粋 抄訳>

ギターは、16世紀にイエズス会の修道士により、インディオへの布教の為にブラジルに持ち込まれていたが、大衆的(下層階級的)楽器としての地位であり、上流階級が手に取るものではありませんでした。
これが、ブラジル音楽史上(クラシック、ポピュラー)での地位が固められたのは1920年代以降のことで、これには3人のギタリスト、カニョート、パラグアイ人のアグスチン・バリオス、スペイン人ジョセフィーナ・ロブレードの名前を欠かすことは出来ません。
特にブラジル人であるカニョートは大規模なコンサート開催、数多くのレコード録音、コンクールでの優勝、サンパウロ郊外の音楽のカイピーラ・トリオの結成、現代まで増版されているギター教則本、マスコミから(オエスタード新聞)の評価等やワルツ”Abismo de rosas”により今でも偉大なるギタリストとして賞賛を受けています。

「カニョート」とは左利きのことであり伝説ではギターを左に持ち替えてもその弦は張り替えなかったとのことです。
16才でカヴァキーニョを覚え、セレナータに参加しながら日々の暮らしは塀のペンキ塗り、日雇い労働者等々。
1907年サンパウロのモッカ地区で歌手のパラグアスともセレナータグループを結成し、劇場で一晩5000レイス稼げるようになりました。ギター演奏(ポピュラー音楽の)で大きなお金を稼げる時代。ブルジョアに代わって大衆が音楽界での中心になってきたという証じゃないでしょうか。
(これより30年程前シキーニャ・ゴンザガがパーティーのピアノ演奏で一晩5レイス稼いでいたとの記録が残っています)
彼たちの出演場所はいずれもサンパウロ市内で、シネマ・ブレッセル(ブラス地区)、シネ・ブラス・ビジョウ、エデン・テアトロやサーカスなど。
1913年頃には市内ではギタリストとして名が売れ、最初のレコードを録音しています。
それからは音楽家として順調にサンパウロ市内や州内各地の劇場やラジオで活躍し、1927年にはリオのコレイヨ・マニャン新聞主催のギターコンクールで「ジョアン・ペルナンブッコ賞」を受賞しました。
翌年リオでレコードを録音しますが体調を崩しサンパウロに戻った後半年余りで亡くなりました。

60曲以上のレコードを残しました。その内幾つかはユーチューブ上にアップされています。甘い香りが泣かせます。

 

 

参考 Jornal O Estado de Sao Paulo, de 07/09/1998, e “A Cancao no Tempo” (Vol.1), de Jairo Severiano e Zuza Homem de Mello.
Anais do II Simposio de Violao da Embap, 2008 AMERICO JACOMINO “CANHOTO” E O INICIO DO VIOLAOOLO EM SAO PAULO Gilson Antunes
letras.com.br/biografia/americo-jacomino
A.G.Pinto “O Choro”

2017 Sep.06 wp

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