2015年10月3日

エルネスト・ナザレ

Ernesto Nazareth
(1863~1934)

エルネスト・ナザレ

エルネスト・ナザレ

 

ピアニスト兼作曲家。リオデジャネイロ生まれ。ジョアキン・カラッド、シキーニャ・ゴンザガ、アナクレット・メデイロスと共にショーロ創世期の4大作曲家の一人と密かに勘定しています。(現在でもエルネストの曲が愛され、繰り返し演奏されているのを見れば大きな間違いではないでしょう)

幼児期に母親からピアノを習い、母親の死後もピアノを続けました。母親もエルネストもショパン好きだでした。それで周囲の人間がが勝手にブラジルのショパンとも呼んでいたとか。(僕たち日本人には戦前によく聞いた「東洋のナポリ」、「日本のシャンゼリゼ」の響きと同じような気恥ずかしい感情が伴いますが)

少年期を過ぎると、ホーダ・デ・ショーロに通い、ルンドウ、マシシなどアフリカ系のリズムに接していたことは確かですが本人は自分はヨーロッパクラシックの子弟として考えていましたようです。でも当時のカルナヴァレスコであるハンショ・アメノ・ヘゼダ(rancho Ameno Resedá)へは同名の曲を捧げており、市内のショローン達との交流が無いはずがありません。
自分の数多くの曲にはブラジリアン・タンゴと副題を与え、ピアノ曲は200曲を数えます。

 
リオの映画館のオデオンで弾いていたときはヴィラ=ロボス(Heitor Villa-Lobos)も同じ楽団でチェリストとして演奏していました。
オデオン劇場以外の彼の仕事はピアノ店の実演でした。客が彼の曲を試しに弾こうものなら仕事の範疇を超えて厳しく指導した(!)という話が伝わっています。気難し屋だった気がします。
当時は電気録音のレコードやラジオ放送の開始前で、未だ19世紀的文化(ブルジョアジー的嗜好)下にあり、有産階級の家にはピアノが必需品でありリオデジャネイロにもピアノや楽譜店が数多くありました。

 
エルネストの音楽について、初期ジャズ、ラグタイムとの交感、スコット・ジョップリン(Scot Jopilin)や1829年にニュー・オーリンズに生まれ、1869年にリオ・デ・ジャネイロに没したピアニスト、ルイス・モロー・ゴットシャルク(Louis Moreau Gottschalk)との類似も指摘されていますが、世界中でアメリカン・ジャズが流行った30年代、影響を受けない大衆音楽家というのも有り得ないような気がします。

晩年聴覚に問題が起き、また娘や妻を次々失う悲劇に見舞われました。その所為か、精神的な安定を欠きリオ郊外の山に囲まれた療養所に収容され、そこで亡くなりました。
 

MK

 

作品

Odeon「オデオン」
Brejeiro「やくざ者」
Atlantico「大西洋」

 

参考:「Choro No Mundo Todo !」by Kyota Nakagawa

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