2017年6月27日

ガロート

Garoto
(本名 Anibal Augusto Sardinha)
(1915 サンパウロ – 1955 リオデジャネイロ)

 

天才少年ガロート
ガロートは指で弾く弦楽器なら何でも出来たと伝わっています。
ギターを始めテノール・ギター、バンジョー、エレクトリック・ギター、チェロ、ウクレレ、ポルトガルギター、カバキーニョ、バンドリンそしてピアノも弾きこなしていました。

ガロートは音楽一家の出です。父親はポルトガル・ギターを弾き、兄弟はそれぞれバンジョー、ギターとボーカル。彼以外はすべてポルトガルで生まれたポルトガル移民一家でした。11歳までには兄弟たちからバンジョーを習い、37年サンパウロ芸術学校に入学して和声と作曲を学び始めましたがここは長続きしませんでした。

39年カルメン・ミランダのバックバンドBando da Luaとして(ポスターにはカルメン・ミランダ、ガロートそしてバンド・ダ・ルアと表記)渡米しました。
この期間(39年10月-40年7月)は短くとも彼に大きな影響を与えています。

当時のアメリカはパリに代わる芸術・文化の発信地になっていました。
39年当時、例えばコールマン・ホーキンス、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、そして「世界一(ウディ・アレンいわく)」のジャズギタリスト、ジャンゴ・ラインハルト等のミュージシャンが活躍していました。
帰国後43年から52年に渡ってラダメス(Radames Gnattali)と共に働き、また51年にはシキーニョ・ド・アコーデオン(Chiquinho do Acordeon)、ファファ・レモス(Fafa Lemos)とトリオ・スルジア(Trio Surdina)を結成しました。このトリオはギター、アコーディオン、バイオリンという珍しい編成で、53年に録音したアルバムDuas Contasでは曲・詞共にガロートが担当しています。
同じ年ラダメス作の「ギターとオーケストラのための協奏曲2(Concertino no 2 para violao e Orquestra da Camara)」がリオデジャネイロの市立劇場で演奏され、ガロートは同劇場での最初のギター演奏者となりました。
その2年後の55年、ガロートは39歳で世を去りました。

 

2017 June 23 WP

ショローンとその時代

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