2017年6月30日

ジョアン・トメ

João Tomé
1920 (Uberaba MG) – 1971 (Brasilia DF)

 

ジョアン・トメは1920年ミナス・ジェライス州の南西部の片田舎ウベラバで生まれました。
生まれつき盲目でしたが幼い頃から竹でフルートを作って誰に教わることもなく演奏を覚えました。後年「7つの楽器の男」と呼ばれましたが長女のドロレスによればそれ以上に多くの楽器を操れたようです。
15才で既に地元ダンスホールなどでプロフェッショナルとして演奏を始めていました。

17才の時フルートを習うため音楽教授アンテノジェネス・マガリャエンスの門をたたきました
「君、楽器を持っているの?」と聞かれてジョアンが見せたのは手製の竹のフルートでした。ジョアンの才能に驚いた教授はキーが5つのフルートを与えました。
アンテノジェネスは後日「1937年8月のあの午後は忘れ得ぬ時になった」というコメントを残しています。
36年には地元新聞(A Marreta de Uberaba)がこの盲目の少年の作曲の才能を称えたコラムを掲載しています。

ファンとオーケストラや自分の(盲学校の)生徒たちと組んだコンジュント(Grupo Yucatan)のクラブやボアッチでの演奏も評判でしたがラジオ局の仕事もジョアンにとって大きな位置を占めていました。
ウベラバのラジオ局(Radio Sociedade – PRE5 de Uberaba)、ブラジリア・ナシオナル・ラジオ局、ブラジリア・ナシオナル・テレビ局(Radio e TV Nacional, de Brasilia)などで働き、特にブラジリア・ナショナル・ラジオでは音楽番組の制作だけでなく自分自身のプログラム”Festival de João Tomé”も持っていました。

もし彼がリオデジャネイロやサンパウロに活動の場を移していたら、その名はもっと知られたであろうという記事も見ましたが彼なりに故郷ウベラバとブラジリアから動かなかった理由がきっとあるのでしょう。

ウベラバには彼を偲びその名を冠したRua João Tomé(ジョアン・トメ通り)があります。教育者としてはウベラバ盲人学校音楽教授、ブラジリア音楽学校創立者兼音楽教授でもありました。そして自身が盲目者用に10年近くかけて完成させた「点字音楽教書」(Prefacios dos Livros de Musica em Braille)全7巻を残しました。

生涯にわたり600曲以上作ったようですがその内200曲余りがこの全書に収められています。
演奏家、作曲家、番組プロデューサー、教育者、そして先導者としてなど、色々な彼の顔が浮かびます。
71年ブラジリアで亡くなりました。5人の子供を残し2005年にはドロレスが父の残した曲のCD “Piquenique”を制作しました。
2010年に2枚目のCD “Todos Sabem”も発表されていますがいずれもそのジャケットにはタイトルが点字で印刷されています。

 

2017  June 29 wp

 

 

参考:Original CD “Piquenique” ライナーノーツ

ショローンとその時代

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