ジョアン・ペルナンブコ

ジョアン・ペルナンブコ (João Pernambuco)
本名 Joao Teixeira Guimaraes (1883-1947)

ルアール・ド・セルタン (セルタンの月の夜)
曲 ジョアン・ペルナンブコ 詞 カツロ・セアレンセ

Ai que saudade do luar da minha terra
La na serra branquejando
Folhas secas pelo chao
Este luar ca da cidade tao escuro
Nao tem aquela felicidade
Do luar la do roca

Nao ha, oh gente, oh nao
Luar como este do sertao
Nao ha, oh gente, oh nao
Luar como este do sertao

故郷の月は
丘に浮び
岩陰の落ち葉は白く光る。
この町の月は何を照らす
故郷に残してきた幸せを
丘に浮かぶあの月は覚えているのか

友よ、聞いてくれ
セルタンの月の夜のことを
友よ、聞いてくれ
セルタンの月の夜のことを

(貝塚正美訳)

ギターの詩人 ジョアン・ペルナンブコ

ブラジルが大西洋に向かって東に尖がった部分の地はセルタン( Sertão)と呼ばれています。
バイア州の上のペルナンブコ州からセアラ州まで、暑くって、乾いていて、貧しくて、何にも無く、そこの男達はなめした皮で出来た平べったいハットを被り、タバコの脂で真っ黒になった歯を見せ、馬に乗って痩せた牛を追う、そんな所です。

この地方の言い伝えによると「神がセルタンの地に降り立った時、右手に銃を持っていた」と言います。それ位、乱暴で、単純で、悲しい地です。
1920年代30年代にはカンガセイロと言うブッシュに住む武装グループが州政府と争っていました。

しかし、個人的にはセルタンはブラジルの魂の地であると感じています。映画の「セントラル・ド・ブラジル」でバスの窓に映っていた地です。
丘陵をうねりながら進むアスファルトの道路から見ると遥か海岸線に沿って真っ白な山続きます。白い砂山です。道路わきには岩とサボテンが乾いた地の墓標のように並んでいます。

ジョアン・ペルナンブコはそんなセルタンのペルナンブコ州ジャトバ(Jatoba 海岸線より500キロ位奥地)で、ポルトガル人とインディオの間に生まれ、そしてその町でストリートミュージシャンの演奏を見て、聞いて、ギターを覚えました。

1904年にリオに移り、そこで6年間鍛冶場で働いていました。
1908年頃には既にショーロ・ミュージシャンとして名も上がり、11年にはブラジル史上最もレコード化された回数の多い「ルアール・ド・セルタン」(セルタンの月夜)が作曲されています。
その後、パリ公演以前のピシンギーニャのオイト・バツータスに入っていたりしました。

モーツアルト・デ・アラウジョはギターにおけるエルネスト・ナザレと評価しています。(ラファエル・ラベーロも同じようなことを言っていますが)リオ生まれのカリオカであるナザレと比べると一昔前のブラジルの地方色が感じられます。
特に、「鐘の音 (Sons de Carrilhões)」はセルタンの乾いた大地の崩れかけた教会堂で鳴る鐘の音のように聞こえます。

色々な人が彼の音楽に言葉を残しています。

ヴィラ=ロボス 「バッハでもジョアン・ペルナンブコの作品に署名するのに躊躇しないであろう」

マウリシオ・カリーリョ「ジョアン・ペルナンブコにお世話にならなかったブラジルのギタリストはいない」

モーツアルト・デ・アラウジョ「ギターにおけるナザレだ」

ラファエル・ラベ-ロ 「(鍛冶屋の?)ナザレだ」

ヴィラ=ロボス 「ジョアン・ペルナンブコはブラジル人がギターを弾く為のルールブックだ」

参考:Dicionario Cravo Albin

ショローンとその時代