カニョート (Canhoto)
本名 Americo Jacomino
1889 São Paulo, SP – 1928 São Paulo, SP
カニョ-ートは1889年2月サンパウロのセ地区のカテドラル(現在の大聖堂は1913年建設ですので、当時はその前のカテドラル)から東へ300メートル程のカルモ通り(Rua Carmo)で生まれました。
一方サンパウロのパウリスタ通りの下を走る地下鉄をそのまま西へ向かうとアウグスタ駅から二つ目がヴィラ・マダレナ駅です。この駅はアメリコ・ジャコミノ公園内に建っています。
ヴィラ・マダレナ地区は高級住宅街でもありますが、ボヘミアンが集っていた家があった名残か、多くのライブハウスがあることでも知られています。
音楽史家兼ギタリストのジルソン・アンツネス(Gilson Antunes)によれば、ギターはブラジルへ持ち込まれたのは16世紀にインディへの布教のためイエズス会の修道士によるとされていますが、クラシック音楽界においても認められたのは1920年代以降のことであり、これには3人のギタリスト、カニョート、パラグアイ人のオースチン・バリオス( Agustin Barrios)、スペイン人のジョセフィーナ・ロブレード(Josefina Robledo 1897-1909)の名前を欠かすことは出来ないとのことです。
カニョートは規模の大きなコンサート開催、数多くのレコード録音、コンクールでの優勝、カイピーラ音楽(サンパウロ郊外の音楽)のグループ結成(Trio Viterbo, Abigail & Canhoto)、現代まで増版されているギター教則本、マスコミから(オエスタード新聞)からの最初の評価、またワルツ「崖の薔薇」(Abismo de rosas)によって偉大なるギタリストとして歴史的な賞賛を受けています。
カニョ-トとは左利きのことであり、伝説ではギターを左に持ち替えてもその弦は張り替えなかったとのことです。それでも最初から音楽家としてスタートしたわけでなく、塀のペンキ塗り、日雇い労働者等々、職は転々としています。その間セレナード弾きのグループを結成し歌手のパラグアス(Paraguacu)と知り合っています。
レコード録音は1912年から15年の間に行い、これに引き続いてのドラマチコ劇場(Conservatorio Dramatico)に於ける成功によってマスコミの賞賛を受けギターの新しい時代を開きました。
参考 Jornal O Estado de Sao Paulo, de 07/09/1998, “A Cancao no Tempo” (Vol.1), de Jairo Severiano e Zuza Homem de Mello.
Anais do II Simposio de Violao da Embap, 2008 AMERICO JACOMINO “CANHOTO” E O INICIO DO VIOLAOOLO EM SAO PAULO Gilson Antunes
代表的な曲
Abismo de rosas
Marcha Triunfal
Brasileira
Marcha dos Marinheiros
choro Olhos Feiticeiros
Fantasia sobre o Guarani de Carlos Gomes
tango Guitarra de Mi Tierra
fox A
Menina do Sorriso Triste.