エヴァンドロ・ド・バンドリン
Evandro do Bandolim
Josevandro Pires de Carvalho
19/03/1932 Joao Pessoa, PB, – 30/10/1994 Sao Paulo, SP,
ジョン・ペソアで生まれ、リオデジャネイロで学び、サンパウロで活動したバンドリニストです。
19世紀後半より始まったショーロという音楽スタイルは1930年代にレコードやラジオの普及やジャズなどの新しい音楽の出現により変容せざるを得ませんでしたが、ピシンギーニャやベネジット・ラセルダ、ジャコー・ド・バンドリン達により「ショーロの魂」は保持し続けられました。
1960年代は混乱の時代です。
学生や青少年による”革命的”大騒ぎ、つまり紅衛兵、ソルボンヌの学生革命、カルフォニアのヒッピー、日本の全学連など(と一括りはできないのは承知ですが)のヤング・ジェネレーションによる運動は世界中に伝染病のように広がました。
また同じ頃、テレビジョンの普及が始まりました。
世界のニュースは直接家庭に送りこまれるようになり、海外で始まった新しい音楽つまり電気楽器によって演奏されるロックは瞬く間に若者の心をとらえたのです。(なんとまあ、我田引水か!)
ブラジルもこの世界的な変動、波動に無縁ではいられません。
番組「イエイエ」の大人気が若者文化の変化の印でした。
このロックの持つ国際性、同時性は「ブラジル的」であろうとするショーロの持ちえない物であり、ショーロの凋落が始まりました。
ブラジルに於ける学生や市民の”運動”に対する政治的なレスポンスは1964年の軍事独裁の開始です。
1964年軍事革命の翌々年の1966年、34歳のエヴァンドロはリオからサンパウロへ活動の場所を移します。
ショーロという伝統が消えかかっているとき、サンパウロのボヘミアンが集まるバー”Bar Jogral”(バル・ジョグラル)で派手さがなくとも伝統的なスタイルを守ったエヴァンドロはショーロの火をともし続けました。
元々13歳で名手ルペルセ・ミランダに手ほどきを受け、彼に引き連れられリオの様々なホーダに参加し、またラジオ局ツピやマイリンク・ベイガにも出演するなどショーロの盛んな時期にそのキャリアを始めています。
その風貌から、前時代的ショービジネスを忘れられない老ショローンのようにも見られそうですが、数々の逆境を乗り越えてきたミュージシャンであり、見掛けに騙されてはいけません、渋みと洗練、悲しみと明るさといった正反対の物を一つを調べに乗せてしまう「ショーロの魂」がその演奏から響いてくるからです。
死後、彼の業績を称え、サンパウロ市内サンタ・イフィジェニア地区にあるの楽器店にサーラ・エヴァンドロ・ド・バンドリンが設けられ、ホーダ・デ・ショーロなどに使われています。
参考:Brasil, Flauta, Bandolim e Violao ライナーノーツ Jose Ramos Tinhorao
Evandro e Seu Regional「ショーロの調べ」ライナーノーツ 高場将美
Dicionario do Cravo Albin, Musica Popular Brasileira Evandro de Bandolim
Musico do Brasil, Uma Encyclopedia Instrumental