カ・シンビーニョ K-Ximbinho (Sebastiao Barros)
1917 RN -1980 RJ
パウリスタ通りにあったCDショップをウロウロしていた時、”K-Ximbinho”と書かれたCDを目にしました。その人間とは思えない名前(CDはショーロの棚にありました)に不審を覚えましたが手を伸ばしませんでした。その時は他の誰かのCDを探していたと思います。
それから二三日後、再びその店を訪れずっと気になっている例のCDを棚から引き抜いてレジに持って行きました。(古い話で記憶違いかもしれない)
という事で、”K-Ximbinho”です。
本名はセバスチャン・バッロス。リオ・グランデ・ド・ノルチ州のタイプ(Taipu)生まれ。この町でクラリネットを始め町の楽団で演奏していました。
家族が州都ナタル(Natal)に引っ越すと共にジャズバンド、パン・ジャズ(Pan Jazz)にセカンド・クラリネットとして入団しました。
ナタルで徴兵され軍のバンドに入隊しサキソフォンに持ち代えました。そしてここで例のあだ名(K-Ximbinho)がつきました。
除隊後1938年21歳でパライバ州都ジョン・ペソアで有名なオーケストラ・タバジャラ(Orquestra Tabajara by Serverino de Tabajara Araujo)に所属し、42年にリオに移るまでの間所属いしていました。
この楽団でショーロとジャズに触れることが出来ました。そこで演奏だけでなく編曲その他にも興味がわいたようです。
リオではマエストロ・フォンフォン(Orquestra do Maetro Fon-Fon)、ナポレオン・タバレス(Naploleao Tavares)の楽団と渡り歩き、タバジャラがリオデジャネイロにやってくると再びそこに入ります。
タバジャラには49年までいましたが、46年には最初のショーロ、ソノローゾ(Sonoroso)を録音しています。
その頃(51年-54年)マエストロ・コエレルテール(Hans-Joachim Koellreutter)より音楽理論を学んでいます。また同時期にラジオの黄金期にブラジルの大きな楽団の多くに参加し、有名なダンスホール、サシャス(Sachas)等の有名な楽団でも吹いていました。60年代になるとテレビ・グローボ(TV Globo)のオーケストラにも入っています。
残した曲は「静かにさせてくれ」(Eu quero sossego)、「夢見て」(Sonhando)、「いつまでも」(Sempre) 「あのクラリネット」(Saudades de Um Clarinete)、「ジルカ」( Gilka)等。
1980年にリオデジャネイロで亡くなりました。
さて、”K-Ximbinho”です。
私見ですが、サキソフォンがパイプにその形が似ていることから隠語(音楽仲間の間のことでしょうが)でカシンボ(ポルトガル語でパイプ)と呼ばれていたとの記事を読んだことがあります。
写真を見るとカ・シンビーニョは小柄です。軍隊で「小さなパイプ吹き」の「カシンビーニョ」と呼ばれたのではないか、と憶測しています。
redacao:Sep.04 2021