2020年4月7日

メイラ

メイラ
Meira
(Jaime Tomás Florence)
1909 Paudalho PE – 1982 Rio de Janeiro RJ

 

メイラはギタープレイヤーであり作曲家であると共にギターの教授でもありました。
教え子にはバーデン・パウエル、マウリシオ・カリーリョラファエル・ラベーロがいます。

マウリシオ・カリーリョの最初のギターの先生は9歳の時のジノ(7コルダス)、次いで10歳から15歳まではメイラに習っています。

マウリシオ・カリーリョのインタビュー記事を少しだけ紹介します。

「ジノの授業では教科書を使いませんでした。ジノは一連の和音を教えてくれました。メイラはギター教則本を使い(‘La Escuela de la Guitarra Moderna’,  Mario Arenas)、一回の授業(3-4時間)の殆どの時間を二人で楽譜なしで弾くことに費やしました。メイラからは音楽を読むことを習いました。耳で聴くだけでメロディーを覚え、知らない曲に即興で和音をつけるという訓練が自分の音楽を形成する一番重要な基礎になっているようです」

「バーデン・パウエルもメイラの弟子(マウリシオより25年前)でした。(ラファエル・ラベーロはマウリシオの10年後の生徒)。ある日クリチバのピアオル劇場で開かれたバーデンのギター教室に自分の生徒を連れて行ったところ、バーデンは調子が悪そうでした。か細い声を辛そうに絞り出していました。これはバーデンではない、自分は彼を知っているが生徒は知らないと心配し、バーデンに聞きました。“バーデン、あなたにとってメイラはどんな人でしたか?” すると突然エネルギーが充電されたようにバーデンが生き返りました。声もまともになり“サンバ・デ・ベンソン”を千通りに弾いて見せてくれました。その後生徒にも一緒に弾くよう促します。バーデンにとってメイラはそんな存在だったのです」

マウリシオが通ったマンゲイラ駅近くのメイラの家の門や窓には五線譜とト音記号の鉄格子がはめられていたとも語っています。

メイラは1909年ペルナムブッコ州のパウダリーニョ、州都レシフェから100キロメートル程西の小さな町に生まれました。
余談ですが、このパウダーリョという町の名前の語源は、その昔町の近くにニンニクの匂いがする木があり、つまりパウ・デ・アーリョ”Pau de Alho”(ニンニクの木)から来ているとのことです。
もう一つの余談はあだ名のメイラ。子供の頃本名ジャイメがジャメイラとなり、いつの間にメイラと呼ばれるようになったとか。
音楽一家でメイラの先生は長兄のロブソン。1927年16歳の時にロブソンと共にレシフェにいたルペルセ・ミランダが率いるボス・ド・セルタン”Voz do Sertão”に入りました。翌28年兄弟でリオへ上京。同郷のジョアン・ペルナンブッコの部屋に厄介になり、また隣はノエル・ローザが住んでいました。ノエルの
カーザ・ド・カボクロでのショーに参加しています。

以下作曲家、プレイヤーとしての軌跡を追ってみます。

1934年 Primavera (後に Arranca Toco)最初の自作のレコード化 Benedito Lacerda
1935年Falando ao teu retrato (歌詞 De Chocolat), 歌手Augusto Calheiros
1937年ベネジット・ラセルダのレジオナル参加(ジノ・7・コルダスと長いデュエットの開始)
1943年Aperto de mão (共作Dino 7 cordas, 歌詞Augusto Mesquita), 歌Isaura Garcia
1945年Deixa pra lá (歌詞 Augusto Mesquita)、歌 Isaura Garcia
1947年Amar foi minha ruína (歌詞Augusto Mesquita)、歌Gilberto Alves
1950年ベネジット・ラセルダが引退、カニョート・ド・カヴァキーニョがリーダーとなる。Regional do Canhoto
1955年Molambo,歌詞Augusto Mesquita、歌手Roberto Luna, na Odeon. 自身の最高のヒット曲
1956年同じ曲で Cauby Peixoto
1956年同じ曲でJuca do Acordeom, Neusa Maria, Pedroca do Trombone, K-Ximbinho, Luiz Eça  e Waldir Calmon
1957年同じ曲で Bola Sete, Lindolphjo Gaya, Robledo do Clarinete, e Elizeth Cardoso.

凡そ20曲のサンバ・カンソン、ショーロが録音されそのほとんどの歌詞はアウグスト・メスキータ(Augusto Mesquita)が付けています。自分の名前で出したレコードは一つもありません。

メイラが亡くなるまでジノ・7・コルダスとのデュエットは続きました。メイラがハーモニーとリズム、ジノが低音のコントラ・ポント。彼たちのユニークなスタイルは後々まで大きな影響を残しました。

メイラと少年バーデン・パウエルとメイラの愛妻ドナ・エルザがありました。再びマウリシオの言葉です。「ドナ・エルザ。背が低くって可愛らしくて気さくだった。メイラが亡くなって数か月後、スポーツくじを丸めている時に心臓が止まったって人は言う。何処にも悪い所は無かったんだ。僕にはメイラの後を追ったんだって分かる。写真を見れば誰だって僕の言うことに納得してくれるだろう」

Apr. 07 2020

参考:Casa de Choro Meira
Biografia de Jaime Florence
Mauricio Carrilho
Baden e Meira, o encontro do moderno violão brasileiro
Dicionario MPB Augusto Mesquita
Centenário de Jayme Florence – Meira

ショローンとその時代