セヴェリーノ・アラウジョ

セヴェリーノ・アラウジョ

Severino Araújo de Oliveira
1917, PE-2012, RIO

ショーロの古典”Espinha de Bacalhau”(鱈の小骨)の作者セヴェリーノ・アラウジョは才能と運を持って生まれてきたのかもしれません。

セヴェリーノは1917年ペルナンブッコ州の片田舎で生まれました。(カ・シンビーニョとは州は違いますが、同じノルデスチ出身で同じ年の生まれです)
父親も音楽家で、兄弟もそれぞれ楽器演奏者として育ち、後年セヴェリーノが楽団を率いていく時に助けています。

19才で隣の州パライバの首都ジョン・ペソアの警察楽隊にクラリネット奏者として参加しました。(ここでカシンビーニョと知り合います)

ノルデスチ地方は1630年から1650年前後にかけオランダの移民の中心地でした。(日本で長崎出島が出来た頃です)

ジョン・ペソアのオランダ人二世でオランダ領事を30年間務めたオリヴェール・アドリアン・ヴォン・ソステン(Oliver Adrian Von Sohsten)は財産もありテナーサックスを吹き音楽好きであったこともあり、1930年にラジオ局(Radio Clube da Paraíba)を開局し33年に市内で活躍する音楽家たちを集めて地元で活躍していたルナ・フレイレらと共に楽団ジャズ・タバジャラ(Jazz Tabajara)を結成しました。
オリヴェールのヨーロッパ留学体験から推測するとこの楽団は当時流行のジャズの影響下にありそうで、後年のアルビーノの音楽趣味からもそんな感じがします。(タバラジャはインディオ・ツピ族の中の一つの部族の名前です)

楽団のサックスに欠員ができた時、楽団員たちがオリヴェールに「警察楽団に良い演奏家がいる」と耳打ちしました。早速オリヴェールはこの若者を呼びつけ「楽団に入りたいか」と質問するとこの若者(セヴェリーノです)は「俺にクラリネットを吹かせたいのか、サックスなのか」と聞き返したのことで、セヴェリーノ相当な自信家だったようです。

こうして入団した翌年、ルナ・フレイレが急死してしまいます。ラジオ局は彼にバンドマスターの地位をセヴェリーノに与えました。
ここで21才の指揮者兼作曲家が登場し、彼の兄弟やカシンビーニョも仲間に加わったセヴェリーノ色の楽団タラバジャができました。

43年にセヴェリーノは1年間の兵役に付きジョン・ペソアを離れます。44年兵役が終わるとタバジャラでの旧友ポルフィリオ・コスタ (Porfirio Costa)の誘いでリオデジャネイロのカジノ・コパカバーナ(Cassino Copacabana)とラジオ・ツゥピ(Radio Tupi)にクラリネット奏者として契約しました。
しばらくはラジオ局専属の楽団と組んでラジオやレコードの仕事をこなしていましたが、ジョン・ペソアの仲間たちを呼び寄せバンドを結成します。最終的にこのバンドは正式に(許可を得て)「タバジャラ・オーケストラ」と呼べるようになりました。
45年にオーケストラ・タバジャラは正式にラジオ・ツゥピと契約し、36年には出来上がっていた”Espinha de bacalhau”(鱈の小骨)を放送、レコード録音をしました。

以後2003年には楽団結成70年の記念コンサートを開催し2005年にも指揮棒を振っています。
つまりラジオ、テレビ、78回転、LP、カセットテープ、CDのそれぞれの時代全てを第一線で活躍したことになります。

Jun.2018

余談ですが、「ショローンとその時代」を書き始めた頃(2011年頃)、セヴェリーノが現存なのか故人なのか分からずブラジルの音楽家(名前を失念!)に問い合わせたことがあります。”故人”のショローンの事蹟を書くと決めていたからです。
返事は「生きている」でしたが、「鱈の小骨」好きが高じて”故人”のという原則を曲げ上記文章(の元文)をエクスキューズ付きで掲載しました。
その翌年セヴェリーノの訃報を知り慌ててエクスキューズ部分を削除したのを、この項を書きながら思い出しました。長い現役活動に脱帽です。(貝塚 2018年6月)

参考:Portal Pernambuco Nação Cultural
Orquestra Taravaja
Cliquemusic-Severino Araújo

ショローンとその時代