エクボのマリキーニャス
マリア・ダ・ピエダーデ
デュルヴァリーナ
Mariquinhas Duas Covas
Maira da Piedade
Durvalina
生没年不明
アレシャンドレ・ゴンサルヴェス・ピント
Alexandre Gonçalves Pinto
1870年代 Rio de Janeiro – RJ – 1930年台 Rio de janeiro –RJ
通称「アニマル」。郵便配達夫であり、ギタリスト、カヴァキニストであり、まず第一にショローンであった。1936年に「オ・ショーロ 昔のショローンの思い出」(邦題 ショーロはこうして誕生した)を出版。この作品は19世紀後半から20世紀初頭のリオ・デ・ジャネイロのショローンたちの生活ぶりを描いた貴重な記録である。( Dicionario Crabo Albim -Alexandre G. Pinto)
「あの時代を生きたリオ・デ・ジャネイロの人間ならばいつも音楽が自分たちの傍らにあったことを覚えているだろう。月夜のショローンたちの集まり、家族が開くバイレ、気心の知れた者同士で人生を祝い合った陽気なフェスタ、すべてに音楽が求められた。」(アレシャンドレ・G・ピント)
「ショローンたちはお金の為には演奏しなかった。とはいうもののバイレに招待されればいつだって台所が気になって仕方が無い。テーブルに山盛りの料理とお酒が用意されるかどうかが重要なのだ。もし期待通りで無かったら、つまり『猫が焜炉で眠っている』(焜炉の火が付いていない)ようであるならば何とか屁理屈をつけてでもその場からおさらばし、もっと良さそうなバイレを探さなければならない。ショローンであることはボヘミアンであることなのだ。バイレやセレナータは翌朝のパンとコーヒーで終わるのを常としていた」(アンドレ・ジアス)
19世紀後半に生まれたショーロは貴族やお金持ちのサロンの音楽ではなく階層で言えば一番下から上、真ん中から下の人々の音楽でした。
演奏するのは町のあんちゃんたちです。多くが郵便配達夫とか警察官、裁判所書記、鉄道員といった公務員ですがその中にはショーロ好きが高じて職を失い路頭に迷った者たちもいます。
ショーロの曙の時代、リオ・デ・ジャネイロには何人かの熱烈なショーロファンのバイア出身のおばさんたちがいました。ショーロがあれば他に何も要らないおばさんたちです。それに困窮したショローンたちに寝床や食べ物を施し、病気になれば医者も探してくれる、アレシャンドレはそんな天使のような女性たちの名前も残してくれました。
以下の文章は邦訳「ショーロはこうして誕生した」を下敷きに原文を簡単にまとめたものです。
彼女たちはミュージシャンではありませんが、ショローンを支えショーロと共に生きた彼女たちをオマージュしたくて「ショローンとその時代」の列に加えました。
エクボのマリキーニャス
サン・クリスタヴァンに住む太ったおばさん。素振りが可愛いらしくちょっとした小話が大好きであだ名は両頬に現れるエクボから。ヴァタパ料理を産んだバイアの娘。バイアの悪口でも言おうならどんな奴でも直ちに敵とみなす。
マリキーニャは寝る場所が無く空腹に泣いている人間を見過ごすことができない女神のような存在だった。彼女の家の扉は開けっ放しでいつもショローンたちが屯している。勿論「焜炉で猫が眠っている」ことはない。
マリキ―ニャを支えるのは煙草工場を経営するイイ男。彼女が大好きで彼女の為ならと財布はいつも開けられていた。
マリキーニャスは困窮した女も不運に泣く女も、職を失ったショローンも頼る者がいないショローンも全部まとめて面倒をみる。だから家には料理もお酒も欠かせない。
マーケット通いは戦争みたいなものだ。一度マーケットに行けばものすごい量の魚を袋に詰め込んで運び屋に担がせて帰って来る。家に着くや袋から魚を桶にぶちまけ「今日はやることがあるよ」とごろごろしている連中に命令し、各々に包丁を持たせる。みんなで魚を開いて内臓を洗えば巨大な魚の山が出来上がる。
マリキーニャはバイアの誇り「ピラン」の準備にとりかかかる。直ぐにデンデ椰子の油とコエントロとトウガラシの香りが漂ってくる。
テーブルが出され美味しいごちそうと愛しのラム酒が並んでいる。大量のスープがあっという間に平らげられて皿には魚の骨しか残らない。
腹一杯のショローンたちはバイアの地を褒め称え、マリキ―ニャは笑顔でそれに応える。
常連はアレシャンドレ、キンチリアーノ、ジュッカ・ルッソ、エルネスト・マガリャエンス、ビル、クリスチーノ・アンドラーデほか。
注:1986年ニカノール・テイシェイラによりマリキーニャに捧げられた4本のギターの為のバツケ「Mariquinhas Duas Covas」が作られ同年Quarteto Carioca de Violões により録音されている。
YouTube Mariquinhas Duas Covas Afonso Machado他
マリア・ダ・ピエダーデ
チジュッカに中年のクリオーラが住んでいた。ショーロ狂いの彼女の名前はマリア・ダ・ピエダーデ。(ピエダーデとは「信心」「憐み」「同情」という意味がある)
昼夜を問わず彼女の家には職を失ってお金もなく空きっ腹を抱えたショローンが屯していた。
病んだショローンにとっては彼女の家は新鮮な空気に満たされた療養所のようなものだった。どんな病気のショローンだって願えばその願いを聞き入れた。
大概の病む者は生きるのも下手である。ポケットはいつも空っぽだ。ピエダーデは哀れなショローンたちを窮鳥を保護するように世話をする。食事を与え、薬を用意し、必要ならば医者も呼んでくる。医者にとっても町内の有名人マリア・ダ・ピエダーデは家族みたいのものだ。だからお金を請求するようなことはしない。
ピエダーデの仕事は洗濯にアイロンかけ。注文の多い時は女傑フェリスミーナの助けも借りていた。この二人は根っからのショーロ好きで稼いだお金はみんな酒屋肉屋パン屋の支払いに消えていた。月末にお金が一銭も無くても全然気にしない。近所の娘を呼び、屯すショローン共に命じてショーロを始めるのだ。始まれば夜中まで踊り続ける。
ピエダーデの鍋は灯油の缶である。まず熱湯でよく洗い、それから3から4キロの干し肉を放り込み、半キロの豚の脂身、腸詰、胃袋、他の内臓も投げ入れる。これを朝の四時からお昼まで煮込むのだ。
裏庭に大テーブルを出せば自然にショローンが集まって来る。フェイジョアーダにはラム酒が付き物だ。こちらはアントニオ・フレイラ氏のお店からやってくる。
常連はアレシャンドレ、ビリャール、オラシオ、テベルジ、ジョアン・カベレイラ、キンタリアーノ、コルテ・レアル、バジザ、ルイス・ブランダン、ジュッカ・ルッソ、マリオ・カヴァキーニョ、イスマエル・ブラジルほか。
デュルヴァリーナ
ボン・ジャルジン通りにデュルヴァリーナの家があった。ここに沢山の若いショローンが屯していた。デュルヴァリーナは綺麗なムラータ(褐色の女性)でみんなに愛されていた。
デュルヴァリーナは誰も差別せず誰にでも素敵な夕食を振る舞った。バイレが始まれば一週間続くこともある。あの喜びに満ちた時間、一分一秒がもっと長くなり、もっともっと続いて欲しかった。
常連はアレシャンドレ、ジョアン・トマス、ルイス・ピント、ブランダン、ネコ、ビリャール、オラシオ、テベルジ、コルテ・レアル、キンカス、エンリッケ・ローザ、ジョアン・デ・ブリット、ルル・バストス、ジョゼ・マリアほか。
Apr.24 2020
参考:O Choro: Reminiscências dos Chorões Antigos
ショーロはこうして誕生した
Almanaque do Choro