2017年6月29日

イリネウ・デ・アルメイダ(イリネウ・バチーナ)

Irineu Gomes de Almeida (Irineu Batina)
1873 Rio de Janeiro – 1916 Rio de Janeiro

 

イリネウはアナクレット・デ・メデイロスの楽団”Banda do Corpo de Bombeiros” の創設(1896)以来のメンバーで、副指揮者でもありました。

当時、ショーロ・ミュージシャンの集まることで有名だったカバキーニョ・デ・オウロ(Cavaquinho de Ouro)に足繁く通い、キンカ・デ・ラランジェイラス(Quincas Laranjeiras)、ビラロボス( Heitor Villa-Lobos)、ルイス・デ・ソウザ( Luís de Souza)たちとホーダを行なっていたようです。
いつも愛用していたフロックコートがカトリック僧の着衣”Batina”に似ていることから、あだ名”Irineu Batina”が付きました。

ショーロにおけるトロンボーンのパイオニアの一人で、チューバも演奏していますが、一番気に入っていたのはオフィクレイド(Oficleide, Ophicleide, Ophycléide)でした。
このオフィクレイド(マウスピース使用のキー付き金管楽器)は現在ではあまり見かけませんが、セルパン(serpent)という楽器に代わるものとして、1817年にフランス人(Jean Hilaire Asté)により発明され、1920年頃までは使われていましたが、その後、チューバにその役割を譲りました。


またイリネウについて、重要なもう一つのエピソードは、ピシンギーニャの最初の先生であったことです。ピシンギーニャの父親アルフレッド・ダ・ビアーナ(Alfredo da Rocha Viana)は8部屋ある安下宿ビアーナ(Pencao Viana)を経営していましたが、音楽好きで、この下宿がショーロ・ミュージシャンのたまり場にもなっていました。
ピシンギーニャは彼らの演奏に自然と興味を持ったのでしょう。下宿人のイリネウはこの大家の息子、若きピシンギーニャにチューバと作曲法を教授し、現役ミュージシャンの間を引き回しました。
1913年、ピシンギーニャのレコード録音(ショーロ・カリオカ”Choro Carioca”によるサン・ジョアン・デバイショ・ダグア “São João debaixo d’água”)に際し、イリネウはオフィクレイドで参加しています。イリネウ自身は、ピシンギーニャを独学のミュージシャンとして称えていますが、ピシンギーニャにとって、師への尊敬の念は失せなかったようです。

2017 June 29 wp

イリネウの曲

Os Olhos Dela

O morcego

Nininha

Aí, morcego!

 

ショローンとその時代

 

参考:Trombone Atrevido Uma homenagem ao trombone popular brasileiro
Diconario Clavo Albin de MPB
Almanaque do choro André Diniz>

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