2017年7月5日

カ・シンビーニョ

K-Ximbinho
(Sebastiao Barros)
(1917-1980)

 

セバスチャンはリオ・グランデ・ド・ノルチ州都ナタルの北西約50キロメーターにある古い町タイプで生まれクラリネットを学び町の楽団で演奏していました。彼もブラジル人の魂の故郷ノルデスチーノ、セルタン育ちです。
家族がナタルに引っ越すとジャズバンド、パン・ジャズにセカンド・クラリネットとして入団します。ナタルで徴兵され、軍のバンドに入りましたが、ここでサキソフォンに持ち替えました。

ここで推測。
あだ名の K-Ximbinhoがなぜ付いたかという問題です。色々資料を探しましたがこの言葉そのもの語源は見つかりませんでした。唯一の品とは、軍隊でサキソフォンに持ち替えたときにこのあだ名が付いたということだけでした。多分ブラジル人なら当たり前の話で、改めて説明する必要も無かったからでしょう。K-Ximbinho(カ・シンビーニョ)は「カシンビーニョ」とも発音出来ます。ポルトガル語には、Cachimbo(カシンボ)と言う言葉があり、タバコを吸う為の「パイプ」の意味です。私の推論は、同じような形状のサックスをパイプに見立て、小さなという意味のinho(イーニョ)をつけて、カシンビーニョ(小さなパイプ野郎)と言うダジャレではないかということです。このイーニョからセバスチャンはその頃、若かくて小さかったとも想像できます。

閑話休題
1938年21歳の時に、パライバ州都ジョン・ペソアで、ヒット曲「エスピーニャ・デ・バカリャウ」が有名なセルビーノ・デ・タバジャラ・アラウジョ と出会い42年にリオに移るまでの間彼の楽団所属いしていました。この楽団でショーロとジャズに触れることが出来、演奏だけでなく編曲その他にも興味がわいたようです。
リオではマエストロ・フォンフォン楽団、ナポレオン・タバレスの楽団と渡り歩き、セルヴィーノ・アラウジョがリオデジャネイロにやってくると再びそこに入ります。アラウジョの楽団には49年まで在団し46年には最初のショーロ「ソノローゾ」を録音しています。

その頃(51年-54年)コエレルテール(Hans-Joachim Koellreutter)より音楽理論を学んでいます。同時期にブラジルの大きな楽団の多くに参加し、有名なダンスホール、サシャス等の有名な楽団でも吹いていました。60年代になるとラジオだけでなくテレビ・グローボのオーケストラにも入っています。
1980年にリオデジャネイロで亡くなりました。

 

 

参考:Acari Records(Artistas)

Clique Music

2017 July 05 wp

 

ショローンとその時代

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