2017年7月7日

メイラ

Meira
(1909 Paudalho – 1982 Rio de Janeiro)
(本名Jaime Tomás Florence)

 

メイラ(Meira)というあだ名は子供の時分に本名のJaimeからJaimeira(ジャイメイラ)と呼ばれていたのがいつの間にかMeira(メイラ)になったとのことです。

20世紀初頭、ペルナンブッコ州の州都レシフェから100キロメートル程西のパウダーリョという小さな町に生まれ一番上の兄ロブソンに音楽を教わりました。その後レシフェの普通学校に通いましたが、偶然にもこの学校ではジョン・ペルナンブッコやカニョート・ド・カヴァキーニョも学んでいます。

メイラには、二つの履歴があります。
バーデン・パウェル、ラファエル・ラベーロのギターの先生としての顔、そしてジノ・7・コルダスとのデュエットが有名な演奏家としてです。

<演奏家として>
メイラは、1920年代後半にレシフェで活動していたルペルセ・ミランダのバンドVoz do Sertao(セルタンの声)に入りました。28年にはルペルセと一緒にリオへ行きノエル・ローザと知り合って何回か演奏を共にしたようです。35年には歌手アウグスト・カリェイロスがメイラの曲、Falando ao Teu Retrato (あなたの写真に語りかけ)を録音しました。
37年メイラはベネジット・ラセルダのバンドに入り、そこで7弦ギター奏者、オロンジノ・シルヴァ、つまり後のジノ・7・コルダスと出会います。今でもこの二人のギタリストの合奏はブラジル音楽界最高のデュエットの一つに数えられます。ジノが低音部を担当し、メイラがハーモニーとリズムの調和を作り上げるその演奏は、他とは全く隔絶したものでした。6弦ギターと7弦ギターとのデュエットは、この二人によって創りあげられた言われています。
ベネジットの引退後もカニョート・ド・カヴァキーニョが引継いだバンドの一員として色々な録音の伴奏に参加しましたがメイラ自身はソロ録音を一枚も残さなかったようです。
1951年から61年にかけ、このバンド(Regional de Canhoto)は、その頃一番光っていたジャコー・ド・バンドリンと度々共演しました。ジャコーは61年にエポカ・ヂ・オーロ(Época de Ouro)を結成しましたがこれにはメイラは参加していません。

<教授として>
バーデン・パウエルやラファエル・ラベーロが教え子であったら誰でも自慢したくなるでしょう。そして、マウリシオ・カヒーリョもその列に加わっています。
マウリシオが思い出を語っています。
「私が13才の頃(70年頃)、叔父(Altamiro Carrilho)は父(Alvaro Carrilho)にいつも、<習わせるならメイラだ>と言っていました。」
「メイラのメソッドは現代的なものでした。1時間ほどの音楽理論の講義と実技の後、ギターを手に取り、<さあ、これからは一緒に弾きましょう>となります。楽譜を横におき、メイラが弾き始めると、私は即興で合奏しなければなりません。タンゴ、ボレロ、ボサノバ、ショーロ、ワルツ、何でもありでした。」
「それは、感覚を磨くことやハーモニーを身につける完璧な練習でした。これが後ほど、プロになったときに役に立ちました。練習なしの演奏、聞いたこともない曲の伴奏、そんなことが度々起こりましたが、メイラの授業が活かされていると思います。」

 

参考:Dicionario do Cravo Albin, Musica Popular Brasileira

 

 

2017 July 07 wp

 

ショローンとその時代

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