2017年11月12日

チュチ

 

チュチ(Tute)
本名 Arthur de Souza Nascimento
1886 リオデジャネイロ生〜1951

 

ブラジルの奴隷制の廃止は世界に比べ遅れ1850年に奴隷貿易が停止され、1888年にようやく黄金法という名の法律により禁止されました。

19世紀後半期に活躍した黒人ショローンであるジョアキン・カラッド、ヴィリアット・ダ・シルヴァ、アナクレット・デ・メデイロス等は奴隷制時代を生きました。(シキーニャ・ゴンザーガも奴隷解放運動に参加していたと知られています)
チュチ、ピシンギーニャ兄弟、パタピオ・シルヴァたちは解放後の世代には当たりますが、彼たちが活躍した20世紀に入っても解放奴隷の集会を恐れサンバやカンドンブレが禁止されたり等、奴隷制度の廃止の意味が社会に浸透するまでの変化は漸進的だったと想像がつきます。

チュチはシナ(China ピシンギーニャの兄、本名Otávio Littleton da Rocha Vianna)と共にジノ・7・コルダスからラファエル・ラベーロへつながる7弦ギターの祖です。

19世紀にロシアで生まれた7弦ギターがどのようにしてブラジルのショーロの世界に入ってきたかについては幾つかの逸話が残っています。

「ショローンたちが集っていたチア・シアッタの家へロシア系ジプシーが持ち込んだ」
「チュチがフランスから輸入した」
「チュチがリオのギター職人に注文した」等々。
7弦ギターを定着させた功績はチュチとシナにあるのは間違いなさそうです。

彼らはそれまで使われていたチェロの弦をスティール弦に変えピックで弾いています。
これはアンプの無かった当時チューバやトロンボーン等の低音部の代わりを務める7弦ギターにもサーカスの楽隊のような大音量が求められていたからです。

チュチの演奏はジノが開発した奏法に比べれば単純かも知れませんがジノにとってのチュチは7弦ギタリストの偉大な手本でした。
「チュチの7弦ギターの演奏はとても素敵で自分もやりたかったけど、物真似だと言われるのが嫌で彼が亡くなるまで7弦ギターを手にしなかった」とジノは語っています。

 チュチは1900年代の初め、アナクレット・デ・メデイロスの消防団楽団(Corpo de Bombeiros)のパーカショニストとして音楽活動を始めました。
シキーニャ・ゴンザーガのバンドでは既に7弦ギターを弾いており、その他にはジェンチ・ボア(Gente Boa)、ヴェーリャ・グァルダ(Grupo da Velha Guarda)、シンコ・コンパニェイロス(Os Cinco Companheiros)、コパカバーナ・オーケストラ(Orquestra Copacabana)、リオブランコ劇場オーケストラ(Orquestra do Teatro Rio Branco)等に参加しています。
29年からレシフェ生まれのバンドリン奏者ルペルセ・ミランダ(Luperce Miranda)と何回も演奏を共にし、アリ・バローゾ、カルメン・ミランダ、ルイス・バルボーザの録音にも二人の名が残っています。

1912~3年頃にはまだ15才だったピシンギーニャをリオブランコ劇場オーケストラの指揮者パウリーノ・サクラメント(Paulino Sacramento)に紹介しそのデビューを助けています。

2017 Nov.11 wp

参考:Portal Luis Nassif,
Musicos do Brasil;Uma Enciclopedia Instrmental,
Antonio de Padua Gomide(Luthier)

 

チュチの曲

Sonhos de Nair
Pra frente e que se anda
Alma e coracao

ショローンとその時代

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