ジョアキン・カラッド
Joaquim Antônio da Silva Callado Júnior
(Rio de Janeiro,1848 — Rio de Janeiro,1880)
「ショーロの父」と呼ばれるジョアキン・カラッドの人生は32年と短いものでした。しかし彼の残した音楽は我々の手元に生きて残っています。
ジョアキン・カラッドの人生を語る上で、二人の人物の名前を忘れることはできません。
マチュー・アンドレ・レイシェ(Mathieu-Andre Reichert) と、エンリッケ・デ・メスキータ(Henrique Alves de Mesquita)です。
レイシェはベルギー人でブリュッセルの音楽院で学んだフルート奏者でブラジル王ペドロ二世の招待で1859年ブラジル・リオデジャネイロに渡り1880年にブラジルで亡くなっています。
フルートの新しいシステムのベーム式のブラジルへの紹介者としても知られています。(現在のブラジルがフルート天国とも呼ばれるのは彼のお陰とも云えるのではないかと聞いたことがあります)
リオでの演奏会活動やポルカ(La Coquetto ,A Faceira)の作曲がカラッドに直接間接の影響を与えました。
またフランス留学前のエンリッケにカラードは8才の頃からフルートの個人レッスンを受けています。また後年、和声、作曲法、指揮も指導を受けています。
カラッドはペドロ二世の統治の後半の治世時代にリオに生まれ、共和制になる前にリオで死にました。
黒人との混血で、父親はコルネット奏者で楽団指揮者でもあり、つまり奴隷を先祖に持つものとしては比較的豊かで音楽的環境に恵まれ、且つ初等教育を受けられる経済状況であったと推測されます。
家では常に音楽たちが出入りし、それは後年のピシンギーニャと父親の下宿屋ヴィアナの関係を彷彿させます。
またシキーニャ・ゴンザガの友人であり彼女の苦境時代ピアノ演奏の機会を設けることにより彼女を助け、彼女へのオマージュ曲「ケリーダ・ポル・トードス”Querida por todos”」を作っていることも忘れられません。
「ショーロ」というジャンルの音楽が何故「ショーロ」と呼ばれるようになったのかはいくつかの説があります。
先ず普通に語られるのは、”chorar”(泣く)が語源であるという説です。
この他にも農場の奴隷黒人のお祭り”xolo”からという説、他に当時有名なインストルメンタル・バンド”Os Chorameleiros”であるという説もあります。
ただ1800年代後半には”choro”があったことは事実で1870年ジョアキン・カラッドのコンジュント”Choro Carioca”はペドロ二世の宮邸のパーティーに招かれ、演奏しています。
しかしリオの音楽ショーロがブラジル人全体に愛されるのは1920年代ピシンギーニャが音楽スタイルと「ショーロ」という名前をジャンルとして一般化してからではないでしょうか。
カラッドはリオ音楽院の3代目フルート教授であり79年には王室より薔薇勲章を授かりました。(この年、音楽院の教授は全て叙勲されましたが、どういうわけかエンリッケ・デ・メスキータだけは外されています)
アニマル(アレシャンドレ・ピント)の「オ・ショーロ」に登場する最初の音楽家はカラッドであり、演奏会でキーの螺子を緩められていても動ずることなく吹き終えたエピソードが語らています。
しかしその傍ら(なのかこちらが本来の姿であるのか)カラッドはコンジュントを組んで、一般家庭で開かれるダンス・パーティー、洗礼式、結婚式、誕生日、あらゆる機会に招待され、そこの主人に特別な曲を頼まれれば、即座に引き受け、その場で色々な紙に書き込み、演奏したと伝えられています。
この即興曲のリズムはポルカを主としワルツ、タンゴ、ルンドゥ他。このバンド仲間とはヴィリアット・ダ・シルヴァ、イスマエル・コレイア(Ismael Correia)、レキーニョ(Lequinho)等々。
また彼のコンジュント”Choro Carioca”のフルート、カバキーニョ、2本のギターと云う編成はアニマルによるればこれがカラッドの始めたショーロの基本編成だとのことです。
実際カラッドがショーロを確立したので「ショーロの父」と呼ばれるのか、ショーロ・ミュージシャンの中心的存在であったので「ショーロ・ミュージシャンの父」なのか論争があるようですが、日本人にとっては同じようなものです。
4人の子供を残しています。
奴隷の子孫の証である黒人の血と天性のフルート技能は彼のものです。
良き先達と音楽仲間の間で演奏会や街場のダンスパーティ楽しんでいる内に王室より勲章を与えられました。そしてその翌年流行の脳炎で死んでしまいます。
葬式には罹病を恐れられ誰も来なかったとも伝えられています。2年後シャビエールの彼のお墓の隣に親友ヴィリアットが葬られました。
参考:ショーロはこうして誕生した
O BAÚ DO ANIMAL por Pedro de Moura Aragão
Dicionario Crabo Alvin da Musica popular Brasireila