連載エッセイ

Choro No Mundo Todo ! 

(世界のショーロ)

<文 中川恭太>



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2.ニュー・オーリンズとショーロ

その1




Black Soldiers

時は19世紀後半。
南北、両アメリカ大陸では、奴隷解放により市民権を得つつあった黒人たちが、ヨーロッパの音楽と故郷アフリカのリズムを融合して多くの新しい音楽を生み出していました。

南米ではショーロがその一つであったことは言うまでもありませんが、いっぽう北米には、その後の人類にとてつもなく大きな影響を与える潮流がありました。
それはジャズです。

ジャズはショーロとほぼ時を同じくして、ほぼ同じ経緯で生まれた音楽です。
現代のジャズという言葉からは連想しにくいですが、かつてジャズはショーロと同様、ラグタイム、フォックス・トロット、ワルツなどの多様なリズムを持ち、コール・アンド・レスポンスと呼ばれる対旋律を常に伴い、楽曲の様式もブルースからロンド形式(主題が異なる旋律を挟みながら何度も繰り返される楽曲の形式のこと)まで豊富な選択肢がありました。
そう考えると、ショーロとジャズは生まれた国こそ違え、その生成の様子が極めて類似していると言えます。

ただしその後の発展の過程では大きな違いが生じました。
ショーロが演奏家による演奏家のための大衆芸術として育まれたのに対し、ジャズは、ジャス・ハウス(=女郎屋)という語源が示す通り、当初はニュー・オーリンズの売春宿のバックグラウンド・ミュージックとして発展します。

ストーリーヴィル

現代ではただ一軒の古びた家屋にのみその面影を残す旧歓楽街、ストーリーヴィル。1917年の風営法の改正でこの一角が閉鎖されると、多くのニュー・オーリンズの音楽家は仕事の場を求めてアメリカ合衆国各地(特筆すべきはアルフォンス・カポネの牛耳るシカゴ)に散っていきました。それほど、ジャズと性風俗の関連は密接だったのです。
ジャズの初録音、全米への普及はちょうどこの時期と重なっています。

New Orleans, Louisiana

大量生産・大量消費が豊かさの象徴とされたこの時代の聴衆が、ジャズに対して高度な音楽的要素を求めることはほとんどなかったのでしょう。
楽曲の様式は単純化され、ミュージカルのテーマなどの流行曲(現代においてジャズのスタンダードと呼ばれている曲のほとんどはこれ)ばかり演奏されるようになって、演奏を複雑かつ困難にする対旋律は排除されました。

更には、音楽家の売り出しがレコードと結びつくようになると、マーケティングの路線に乗ったステレオタイプな黒人のリズム=ストンプばかりがジャズとして録音されることとなり、ジャズが本来持っていた多様なリズムまで失われ、この為、後世へある種のジャズのイメージが形成されていったのです。

<続く>

2012 06 10

参考図書:「ジャズ 1930年代」 レックス スチュワート (著)、 村松 潔 (翻訳)

注:記事内の写真はインターネット上、ダウンロードできるものを添付しました。