連載エッセイ

Choro No Mundo Todo ! 

(世界のショーロ)

<文 中川恭太>




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2.ニュー・オーリンズとショーロ

その2 




第二次世界大戦が始まり、享楽的刹那的なスウィングの時代が幕を閉じようとする頃、かつてのニュー・オーリンズを取り戻そうとするリバイバル ムーブメントが起こります。

Danny Barker

例えばダニー・バーカー"Danny Barker "(ギター)、ポール・バーバリン"Paul Barbalin"(ドラムス)のように、一時期はニュー・ヨークでトップ・ミュージシャンとして活躍しながらも時代に流されて仕事を失い故郷に戻った音楽家がいます。ニュー・オーリンズでの彼等の再出発と活躍は目覚ましいものがありました。

Bunk Johnson

また現地に残っていたバンク・ジョンソン"Bunk Johnson"(トランペット)やジョージ・ルイス"George Lewis"(クラリネット)は、いわゆる貧困層にあって人々から忘れ去られた存在でしたが、このムーブメントの中で発掘され、音楽家として華々しい再デビューを果たしました。

この頃の録音や資料から、私たちは黎明期のジャズの姿を知ることができます。
ニュー・オーリンズには伝統的に「あらゆるものをごちゃ混ぜにして一つにする」という考え方があります。(当地の名物料理、ガンボやジャンバラヤなどはその象徴かも知れません。)

George Lewis

リバイバル ムーブメントの中で演奏される楽曲は、当時のラグタイム等だけでなく、メキシコのクラシック作曲家の楽曲から、キューバのポピュラー音楽、賛美歌まで多種多様でした。その多様性は今も継承され、海を超えてジプシー音楽やパリのミュゼットまでもが取り入れられています。
ショーロも例外ではなく、今日では「カリオカ」や「ガロート」などエルネスト・ナザレーの楽曲がニュー・オーリンズ ミュージックとして演奏されているのです。

実は、ニュー・オーリンズとショーロの架け橋となった人物が19世紀に既に存在していました。
1829年にニュー・オーリンズに生まれ、1869年にリオ・デ・ジャネイロに没したピアニスト、ルイス・モロー・ゴットシャルク"Louis Moreau Gottschalk"がその人です。新大陸初のホープとして、若くして単身ヨーロッパに渡り、ショパンやベルリオーズにさえ賞賛された腕前を持ちながら、クレオール、つまり植民地生まれであることだけを理由に受け入れられませんでした。

Louis Moreau Gottschalk

現代人にとって彼が全くの無名であることは、まさに歴史がヨーロッパ人の画一的な価値観によって記述されてきたことの証でしょう。

ゴットシャルクはその後、コンサート ピアニストとして中南米を周遊する中で当時の各地の音楽をそのままの形で数多くのピアノ曲に残しています。
それが可能だったのは、彼が生涯ニュー・オーリンズ人として、その伝統的な考え方に則っていたからでしょう。

ブラジル人ではないためか、ショーロの文脈でゴットシャルクが語られることはありません。しかし、録音文化のない19世紀、彼のような存在が中南米の多元的なエッセンスを各地に伝播していったことは明らかで、その結果ショーロも初期の段階で、様々な文化圏の人々に広く受け入れられる下地が出来たのです。

もしかすると若かりしジョアキン・カラードやシキーニャ・ゴンサーガも、リオ・デ・ジャネイロで彼が自作のハバネラを披露するのを聞いて感動し、初期のショーロの様式であるハバネラの楽曲を作った…のかも知れません。
「ブラジルの魂」と称される偉大な作曲家、エルネスト・ナザレー"Ernesto Nazareth"の作品にさえ(ゴットシャルクの没年にわずか6才の少年だったにも関わらず)、その影響を見ることができます。(※)




(※) ワルツ曲の比較

Louis Moreau Gottschalk (1829-1869)
THE DYING POET

Ernetso Nazareth(1863~1934)
TORBILHAO DE BEJOS


2012 06 30

注:記事内の写真はインターネット上、ダウンロードできるものを添付しました。