<文 宇野智子>


(1) エイトール・ヴィラ=ロボス
(Heitor Villa-Lobos, 1887-1959)



エイトール・ヴィラ=ロボス




ヴィラ=ロボスは、リオデジャネイロで生まれ、同地で没した作曲家です。教育機関で音楽を学ぶことは殆どありませんでしたが、ヨーロッパの音楽に加え、ブラジル各地のあらゆる音楽を聴いて感性を磨きました。

garota de indio

ヴィラ=ロボスの研究家リサ・M・ペッパーコーン(Lisa M Peppercorn)によると、彼はリオの国立博物館に何度も足を運んでブラジルの歴史、とりわけ植民地時代の原住民の暮らしについて調べ、学んだようです。

Sátiro Bilhar

そして父と叔母から与えられるクラシックの知識だけに飽き足らず、10代の時からショーロに親しみました。
彼をホーダ・ヂ・ショーロに引き入れたのはサッチロ・ビリャール(Sátiro Bilhar)です。もっとも、二人が積極的に演奏することは少なく、皆の演奏を聴いて夜遊びを楽しんでいたようですが。

また、彼は非常に社交的な性格で、人脈作りにも長けていました。
友人や支援者の協力を得てフランスへ渡航し、世界的な音楽家となるきっかけをつかんだのです。

ミヨー
ルービンシュタイン

協力者の筆頭に挙げられるのは、ブラジルの資産家グインル(Guinle)兄弟ですが、フランス行きを後押ししたのは、作曲家のダリウス・ミヨー(Darius Milhaud)と世界的なピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein)でした。

外交官秘書としてリオデジャネイロに滞在していたミヨーが、オデオン座で演奏していたヴィラ=ロボスのことを知り、演奏旅行に来たルービンシュタインに紹介したのです。

ヨーロッパに上陸したヴィラ=ロボスは、1923-1930年の間パリを拠点として精力的に活動しました。

1930年にはブラジルへ完全帰国しましたが、帰国後は音楽教育活動の整備に尽力しました。多忙を極めていたはずですが、亡くなるまで作曲活動を続け、多作家としても知られています。

そんな彼は、1934年に出版された「ヴィラ・ロボス <現代世界音楽家叢書 9>」によって、初めて日本に紹介されました。
この本は、フランスの「ラ・レビュ・ムジカーレ」を資料として書かれたようですが、作曲家の存命中に書かれたため、少々誤りもみられます。 彼の生まれた年が1890年となっていたり、無調主義に組する作曲家とみられているような文章があったりします。

しかし、地球の裏側で生まれた個性的な作曲家が、昭和初期の日本で既に紹介されていたというのは、非常に興味深いといえるでしょう。

2012 04 08

Villa-Lobos


注:記事内の写真はインターネット上、ダウンロードできるものを添付しました。