連載 エッセイ ヴィラ=ロボス


<文 宇野智子>


(24) インドの「音」をききながら 2


一日中、夜明け前から夜が更けるまで、クラクションの洪水が止まない。
「インドは、本当に人が多いでしょう? あれですね、ほら、ムシみたいに沢山いるから、ハハハ…」
アラムさんの言葉を「虫…!? そんなことありませんよ!」と全力で否定出来ないのが辛い。

5時間以上車に揺られる行程を、<ブラジル音楽と共に楽しむ世界の車窓から~北インド編>(?)と密かに名付けていたのだが、その心積もりは塵と消えた。

ならばホテルはどうか。
旅行中に割り当てられたホテルは全てスタンダードクラス。代理店の説明によれば「日本のビジネスホテルよりもちょっと下」のランクだそうだ。

やはりうるさい。
街の喧噪が響いてくるわけではなく、天井がうるさいのだ。
インドでは、天井にファン取り付けられていて、それが結構な勢いで空気を掻き回し続ける。

Hotel

「うるさいって止めちゃうお客様もいますけどね、あれ、風を起こすことで虫避けにもなってるんで、お休みになる時も止めない方がいいですよ。」
インド渡航経験のある代理店のHさんのアドバイスを記憶していたので、うるさかろうが、仰向けの目が風で乾燥しようが、お構いなしに付けっぱなしにしておいた。そのためか夜中、野外で雑魚寝しているような錯覚に襲われ、はっと目を覚ますことも度々。
このファン、どういう違いがあるのか知らないが、安宿ほどうるさい(気がする)。
全てスタンダードクラスといっても、泊まる土地によってクオリティがかなり異なっていた。
その気になれば私たちでも蹴破れそうに施錠のあまいデリーのホテル。コオロギが先住していたバラナシのホテル。両者、甲乙付け難い喧しさで、イヤホンを耳にさしても、ファンのブンブン回る音が響いてくる。
ジャイプールで泊まった比較的設備の良いホテルで、やっとイヤホンからの音楽を聴くことができた。時折ファンの軸がぶれてカタカタとリズミカルなビートを刻んではいたが。

さて、それではガンジス川を舟で揺られながらの音楽鑑賞というのは?
そんな俗っぽいプランも実際のガンジスを前にして、瞬時に消えた。

Ganges

4時起きで向かったガンジス川は薄曇り。緑灰色の水と空の青灰が、水平線を待たずに曖昧などこかで一つに溶けてしまう。
アルティプージャと呼ばれる夜の祈りを見学するまでもなく、静かな川は、神やその世界のことを想起させる。
上流では、食器を洗う人、水を口に含んで漱ぐ人、身体ごとざぶんと水に浸かって沐浴する人、頭だけを海坊主のように出して泳ぐ人。
観光客は、そうした人々の間をボートに揺られて漂っている。誰が買うのか、土産物屋のボートがすれ違っていく。

下流ではほぼ24時間、次から次へと遺骸が焼かれているという。実際、近くへ寄った時も、二つの火の塊を、集まった人々が神妙な面持ちで見つめていた。

Ganges

ガンジスを、死と生を内包する川と形容しているガイドブックは多いけれどまさにその通りだ。
月並みな表現だが、他にぴったりくる言葉が見つからない。
あえて言葉を探すなら<虚無>。
自分の存在がどうであれ、生きている間は生きていていいという<自己肯定的な虚無>、<穏やかな虚無>。
仮に、朝日が燦々と降り注ぐような日であれば、今日とはまた違う<虚無>の姿を見られるかも知れないとも思う。

すぐ側の岸辺で、人々が思い思いにガンジスの恩恵に浴しながら日々の営みを繰り返している。
輪廻を繰り返すヒンドゥー教は、あの世という概念を持たない。
けれどガンジスの流れは、観光客の目に黄泉の国、あの世そのものであるように映る。

きっと現地の人にとっては、この川に対する外国人の感傷さえも含め、当たり前の光景、生活の一部なのだろう。

岸辺の石段に座る白人カップルは長期旅行者だろうか。何をするともなくぼんやりと水面を眺めていた。


続く
2014 08 08
写真は著者より