作曲家列伝 

彼らの生んだショーロスタンダード





João Tomé




João Tomé
1920 (Uberaba MG) - 1971 (Brasilia DF)

ジョアン・トメは、1920年ミナス・ジェライス州の南西部の片田舎ウベラバ(Uberaba)で生まれました。
生まれつき盲目でしたが、幼い頃から竹でフルートを作って誰に教わることもなく演奏を覚えました。

Pequenique

後年「7つの楽器の男」と呼ばれましたが、長女のドロレス(Dolores)によればそれ以上に多くの楽器を操れたようです。

15才で既に地元ダンスホールなどでプロフェッショナルとして演奏を始めていました。

17才の時、フルートを習うため、音楽教授アンテノジェネス・マガリャエンスの門をたたきました
「君、楽器を持っているの?」と聞かれて、ジョアンが見せたのは、手製の竹のフルートでした。
ジョアンの才能に驚いた教授は、キーが5つのフルートを与えました。
アンテノジェネスは後日「1937年8月のあの午後は忘れ得ぬ時になった」というコメントを残しています。

36年には、地元新聞(A Marreta de Uberaba)がこの盲目の少年の作曲の才能を称えたコラムを掲載しています。

ファンと

オーケストラや自分の(盲学校の)生徒たちと組んだコンジュント(Grupo Yucatan)のクラブやボアッチでの演奏も評判でしたが、ラジオ局の仕事もジョアンにとって大きな位置を占めていました。
ウベラバPRE5ラジオ局(Radio Sociedade - PRE5 de Uberaba)、ブラジリア・ナショナル・ラジオ局、ブラジリア・ナショナル・テレビ局(Radio e TV Nacional, de Brasilia)などで働き、特にブラジリア・ナショナル・ラジオでは音楽番組の制作だけでなく、自分自身のプログラム"Festival de João Tomé"も持っていました。

もし彼がリオデジャネイロやサンパウロに活動の場を移していたら、その名はもっと知られたであろうという記事も見ましたが、彼なりに故郷ウベラバとブラジリアから動かなかった理由がきっとあるのでしょう。
ウベラバには彼を偲び、その名を冠したRua João Tomé(ジョアン・トメ通り)があります。

教育者としては、ウベラバ盲人学校音楽教授、ブラジリア音楽学校創立者兼音楽教授でもありました。
そして自身が盲目者用に10年近くかけて完成させた「点字音楽教書」(Prefacios dos Livros de Musica em Braille)全7巻を残しました。
生涯にわたり600曲以上作ったようですが、その内200曲余りが、この全書に収められています。

Todos Sabem

演奏家、作曲家、番組プロデューサー、教育者、そして先導者としてなど、色々な彼の顔が浮かびます。

71年ブラジリアで亡くなりました。5人の子供を残し、2005年にはドロレスが父の残した曲のCD "Piquenique"を制作しました。
2010年に2枚目のCD "Todos Sabem"も発表されていますが、いずれも、そのジャケットにはタイトルが点字で印刷されています。

参考:サイト:http://www.musibraille.com.br/biblioteca
サイト:http://www.sitecurupira.com.br/tecnomanivela/cds/tome.htm
サイト:http://www.samba-choro.com.br/noticias/arquivo
Original CD "Piquenique"
サイト:http://www.intervox.nce.ufrj.br/musibraille/cd_todos_sabem/home.htm
Radio Camara; a programa de "Roda de Choro" a entervista com Dolores Tome

作品


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