作曲家列伝 

彼らの生んだショーロスタンダード





Meira




Meira (メイラ)
(1909 Paudalho - 1982 Rio de Janeiro)

(本名 Jaime Tomás Florence)




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メイラ(Meira)というあだ名は、子供の時分に、本名のJaimeからJaimeira(ジャイメイラ)と呼ばれていたのが、いつの間にかMeira(メイラ)になったとのことです。

20世紀初頭、ペルナンブッコ州の州都ヘシフェ(Recife)から100キロメートル程西のパウダーリョという小さな町に生まれ、一番上の兄ホブソン(Robson)に音楽を教わりました。

その後、ヘシフェの普通学校に通いましたが、偶然、ジョン・ペルナンブッコ(João Pernambuco)やカニョット(Waldyro Frederico Tramontano)もこの学校で学んでいます。

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メイラには、二つの履歴があります。
バーデン・パウェル(Baden Powell)、ハファエル・ハベーロ(Raphael Rabello)のギターの先生として、そして、ジノ・7・コルダス(Dino 7 Cordas)とのデュエットが有名な演奏家としてです。


<演奏家として>

メイラは、1920年代後半にヘシフェで活動していたルペルセ・ミランダ(Luperce Miranda)のバンドVoz do Sertao(セルタンの声)に入りました。
28年に、このルペルセと一緒にリオへ行き、そこでノエル・ホーザ(Noel Rosa)と知り合い、何回か演奏を共にしたようです。

35年には、歌手アウグスト・カリェイロス、Augusto Calheirosが、メイラの曲、Falando ao Teu Retrato (あなたの写真に語りかけ))を録音しました。

37年に、メイラは、ベネジット・ラセルダ(Benedito Lacerda)のバンドに入り、そこで7弦ギター奏者、オロンジノ・シルバ(Horomdino Silva)つまり、ジノ・7・コルダス(Dino 7 Cordas)と出会うことになります。

Dino 7 Cordas

この二人のギタリストの合奏はブラジル音楽界最高のデュエットに数えられます。

ジノが低音部を担当し、メイラがハーモニーとリズムの調和を作り上げるその演奏は、他とは全く隔絶したものでした。

6弦ギターと7弦ギターとのデュエットは、この二人によって創りあげられた言われています。

ベネジットの引退後も、カニョット(Waldyro Frederico Tramontano)が引継いだバンドの一員として、色々な録音の伴奏に参加しましたが、メイラ自身はソロ録音を一枚も残さなかったようです。

1951年から61年にかけ、このバンド(Regional de Canhoto)は、その頃一番光っていたジャコー・ド・バンドリンと度々共演しました。

ジャコーは、61年にエポカ・ヂ・オーロ(Época de Ouro)を結成しましたが、これにはメイラは参加していません。


<教授として>

バーデン・パウエル(Baden Powel)lやハファエル・ハベーロ(Raphael Rabello)が教え子であったら、誰でも自慢したくなるでしょう。
そして、マウリシオ・カヒーリョ(Mauricio Carrilho)もその列に加わります。

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マウリシオが思い出を語っています。

「私が13才の頃(70年頃)、叔父(Altamiro Carrilho)は父(Alvaro Carrilho)にいつも、<習わせるならメイラだ>と言っていました。」

「メイラのメソッドは現代的なものでした。1時間ほどの音楽理論の講義と実技の後、ギターを手に取り、<さあ、これからは一緒に弾きましょう>となります。楽譜を横におき、メイラが弾き始めると、私は即興で合奏しなければなりません。タンゴ、ボレロ、ボサノバ、ショーロ、ワルツ、何でもありでした。」

「それは、感覚を磨くことやハーモニーを身につける完璧な練習でした。これが後ほど、プロになったときに役に立ちました。練習なしの演奏、聞いたこともない曲の伴奏、そんなことが度々起こりましたが、メイラの授業が活かされていると思います。」

参考:cliquemusic、musicos do brasil.com.br

貝塚


作品


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