1.ノルデスチのショーロ



<文 中川恭太>


Natal



ナタウ、リオ・グランデ・ド・ノルチを訪問して その2





今回は、ノルデスチに生まれ、地元で活動してきた音楽家達について触れます。

彼等の音楽的な実力はリオに行った者に比べて、ひけをとるものではありません。また、地元の音楽を志す若者達にとっての最初の目標、いわば父親のように身近で絶対的な存在でもあります。

ブラジルにはどの街にもそのような名士がいます。若者達はその姿勢から多くのものを学び、伝統が自然に次世代に受け継がれていくのです。世界中のどこにいても、ナタウ出身の音楽家は、誇り高き「父親」達の存在を忘れることはありません。

私もそんな名士の一人に会うことができました。
ジョアン・フヴァンクリン"João Juvanklin"というマルチ弦楽器奏者です。

w/Joao

彼の音楽はルペルシ・ミランダ直系のノルデスチのショーロがベースで、更にこの地方独特のフレーヴォやバイアォンのリズムや吟遊詩人のバラッドを取り入れています。
ジョアンは私の演奏スタイルをさして「コブラ」と私を呼び、初のブラジルでのレコーディングに緊張する私をコントロール・ルームから温かく見守り励ましてくれました。
私はノルデスチのショーロ、そしてナタウを愛する一人として、彼が作った珠玉の楽曲の数々を、演奏を通して出会う全ての人に伝えようと思いました。

Tico da Costa

ナタウが生んだ偉大な音楽家にもう一人、惜しくも2009年にこの世を去ったチコ・ダ・コスタ"Tico da Costa"がいます。
生涯を通して2000曲を作り、ブルー・ノート・ニュー・ヨークでフィリップ・グラスとも共演したギタリスト兼歌手でもあります。

ノルデスチには外国人がステレオタイプに思い描く「サンバの国ブラジル」とはまた違った味わいがあります。混血の割合が50%を超え、インディオやアフリカをはじめ世界各地の歴史的な民俗文化が交錯しており、誰でもどこか懐かしさを覚えてしまうはずです。
人間として極めてプリミティブな感動を与えられ、時としてスピリチュアルなものを喚起させらることもあります。チコの作る曲がどれも土着的かつ神秘的なのは、ノルデスチという出自によるものかも知れません。
彼の出身地で彼の曲をステージで演奏し、レコーディングすることもできたのは私にとって非常に幸運なことでした。

サウダーヂ・ド・ブラジルという感情と共に私に根付いたのが、このような地元の名士たちへの敬愛の情です。

ブラジルの辞書に、「別れ」という言葉は載っていません。
マカシェイラ・ジャズのベーシスト、エンヒッキと移動中、ふと「明日、日本に帰るんだ。寂しいよ」とつぶやいたら、「寂しくないよ。これは最後じゃない、最初だ。次は日本で一緒に演奏するんだ」と彼は言ってくれました。
ドラマーのハファエルとは、滞在中ずっと一緒でした。「あれは日本語で何て言うんだ?」「あれは?」とひっきりなしに私に尋ねる彼のそばにいると、自分がポルトガル語に不自由であることを忘れてしまう程でした。
バンドリンのディオゴとはサンバのグループのレコーディングもしました。知性溢れる歌詞と実に上品なサウンドで、日本でも受け入れられること間違いなしと思われます。

Photo by Mariana Do Vale

サウダーヂとは、失われたものへの懐旧の情ではありません。常に人の心の中にあり続けるものを想うということなのです。私はいつでも心の中で彼達と再会することができます。
日本とブラジルには物理的にはかなりの距離がありますが、人の心の間には距離はありません。私はこの旅で、自分が日本人であり、かつ地球人でもあることをを実感しました。

ディオゴ・グアナバラ&マカシェイラ・ジャズは、ジョアン・フヴァンクリン、チコ・ダ・コスタ作品集のレコーディングを進めています。

音楽を通して、ナタウ、リオ・グランデ・ド・ノルチを世界に知らしめようというこの壮大なプロジェクトに、私は心から賛同します。

そしてこのエッセイを読んでくださった方々が、ナタウ、リオ・グランデ・ド・ノルチ、ノルデスチに少しでも魅力を感じ、いつの日かそれぞれの心にサウダーヂが生まれることを願って止みません。

2012 05 12