作曲家列伝 

彼らの生んだショーロスタンダード







Otávio Dutra






Otávio Dutra (Octávio Dutra)
(オターヴィオ・ドゥットラ)
(1884 Porto Alegre-1937 Porto Alegre)



オターヴィオはブラジル最南端のリオ・グランデ・ド・スル州(以下「・」を省略)を代表する作曲家です。
リオグランデドスルはウルグアイやアルゼンチンと国境を接することもあり、歴史や風土が他の州とは多少色合いの違う独特の文化があります。

Getulio Vargas

ブラジル共和制(1889年)以降の大統領で最も毀誉褒貶が激しいのは、ジェトゥリオ・ヴァルガス(Getulio Dornelles Vargas,1882-1954)でしょう。この元大統領も同じリオグランデドスル生まれで、オターヴィオの2才上になります。

1917年、オターヴィオは、州都ポルト・アレグレ(以下「・」を省略)でカヒス都市鉄道会社(Carris Urbanos de Porto Alegre)の新型路面電車を見て、彼の代表曲の一つ、「路面電車の中で作られたショーロ」(Choro composto em um bonde)を作曲しました。

一生の殆どをポルトアレグレで過ごしたオタービオにとって、「ガウショ(gaucho;リオグランデドスル生まれの呼称)」であることが、人生に或る意味を与えていたと思います。(「故郷への愛着以上の何かが有ったに違いない」という個人的な推測です。)

1900
1906

20世紀初頭のポルトアレグレで、音楽の第一人者に数えられ、「ガウショ」に初めてバンドリンとギターをもたらしたとされています。

15才で「第一ワルツ(Valsa no1)」を作曲し、1904年までに数曲のワルツ、ポルカを作り、1910年、後年ハダメス(Radames Gnattali, 1906-1988)も学んだポルトアレグレ音楽学校(Conservatório de Música de Porto Alegre)に入学し、対位法と和声を学びました。また、同年から37年まで、自ら音楽教室を組織し運営していました。

13年、この音楽教室の優秀な生徒と、グループ・テホール・ドス・ファコンエス(Terror dos facões)を結成し、リオデジャネイロのオデオンから数曲のレコード録音をしました。
エンヒッキ・カゼス氏(Henrique Cases)によれば、これらは10年代に残されたレコードの内でも秀でたものの一つだとの事です。

Noel Rosa

このファコンエス(facões)は当時の軽口で、「下手な演奏家たち」を意味する蔑称でした。これは、臆病な生徒らに人前で演奏する度胸を持たせる為にあえて命名したようです。

その数、500にも及ぶ曲をつくりましたが、著作権がまだ弱い時代でした。1915年にはリオデジャネイロの国立図書館著作権担当(seção de Direitos Autorais da Biblioteca Nacional)に出向き、エジソン出版に譲渡されていた30曲の保護を求めています。

20年代にはポルトアレグレのカーニバル・第一ブロックの指導者でもありました。
21年のカーニバルで、自分のチーム、TigreとBatutasが交差点でライバルと出会った際に、互いに相手チームを茶化して即興でサンバを歌い合ったというエピソードは、同じ頃リオで活躍したノエル・ホーザ(Noel de Medeiros Rosa 1910-1937) とも共通しています。

1920
1918

ボヘミア的生活、友人への援助、その一方で自分の家を持つことにこだわり続けるアンビバレントな性格に加え、著作権自体が不確かな当時の状況から経済的にも苦しかったようです。
「路面電車の中で作られたショーロ」から丁度20年後の37年にポルトアレグレで亡くなりました。

参考:Insutituto Cultral Cravo Albin: Musica Popular Brasileira
ACARI Records (choro carioca musica do Brasil)
Porto Alegre市ホームページ

作品




貝塚正美

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