作曲家列伝 

彼らの生んだショーロスタンダード







Ratinho & Jararaca






Ratinho (ハチーニョ (子鼠))

(本名 Severino Rangel de Carvalho)
(1896 Itabaiana (Paraiba) - 1972 Duque de Caxias (Rio de Janeiro))



ある喜劇人の死



ハチーニョはジャララッカ(Jararaca 本名Jose Luiz Rodorigues Cazalans)と二人組の音楽コメディアンでした。


この二人組は1925年にウルグアイのモンテビデオで結成された後、64年まで続き、一時はラジオの聴取率70%を稼いでいます。

二人は冗談音楽だけでなく、我々に名曲を残してくれました。
ハチーニョは、サキソフォン・ポルケ・ショラス(Saxofone, Por Que Choras? サックスよ、どうして泣いちゃうの?),
ジャララッカは、カルメン・ミランダが歌って世界的なヒットとなったMamae Eu Quero (ママ、僕は欲しいんだ)を私達に残してくれました。

特にサキソフォン・ポルケ・ショラスは、サックスだけでなく、クラリネット、アコーデオン、バンドリン、或いはカニョット・ダ・パライバではギターと様々なミュージシャンにより取り上げられ、生きている名曲です。
そう言えば、カニョット・ダ・パライバもハチーニョと同じパライバ州(首都はJoao Pessoa)生まれのノルデスチーノです。

ハチーニョは、パライバ州のイタバイアナ(Itabaiana)生まれで、母親を知らず、父方の兄弟だけで、25人いたそうです。
名が売れる前には、リオのカシノ・モデルノ(Cassino Moderno)で、ピシンギーニャのオイト・バツータス(ジョン・ペルナンブッコがいた頃)の前座も勤めていたらしいです。

1922年にリオに上京、それから長い芸暦が続きましたが、ジャララッカは64年の軍事革命で成立した軍事政権により、コミュニストのルイス・カルロス・プレステスの友人であった事を理由に、番組を降ろされました。
ちなみに、ルイス・カルロスのパートナーだったユダヤ人コミュニスト、オルガはナチスによってガス室で殺されています。
彼女の人生はブラジルで2004年に映画化(Olga)されています。

72年にハチーニョは、貧困の中、寂しく死んでいきました。
ジャララッカも、ハチーニョの後を追うように、5年後に亡くなっています。

貝塚

参考:Boa Musica brasileira

作品




画像の説明

緑字はユーチューブにリンクしています。