Severino Araújo de Oliveira






Severino Araújo de Oliveira
(セヴェリーノ・アラウジョ)
1917 - 2012


これまでショーロ作曲家列伝では、故人のみを取り上げてきました。
今回は、伝説でありながら「現役」の指揮者、名曲"Espinha de bacalhau"(鱈の小骨)の作者であるセベリーノ・アラウジョです。

(後記注:2012年8月3日 95才で亡くなりました。)

K-Ximbinho

セヴェリーノは1917年ノルデスチ(ブラジル東北部)の一つ、ペルナンブッコ州の片田舎で生まれました。カシンビーニョ (K-Ximbinho)とは、州は違いますが同じノルデスチ出身で、同じ年の生まれです。
父親も音楽家で、兄弟もそれぞれ楽器演奏者として育ち、後年セヴェリーノが楽団を率いていく時に助けています。

19才で隣のパライバ州の首都ジョン・ペソアの警察楽隊(Banda da Policia)にクラリネット奏者として参加しました。ここでカシンビーニョと知り合います。


少し脇道に逸れます。
ノルデスチは1630年から1650年前後にかけオランダ移民が最も多く住んだ地で、ブラジル独立以前にはポルトガル人移民との交戦もありました。
当時のオランダは、ポルトガルを併合した旧教国スペインと、独立を守るため戦っており、一方では、世界で最初の株式会社である東インド会社設立や、日本での貿易(平戸から長崎出島へ)を独占し始めた頃で、新興新教徒国として元気でした。


それから凡そ300年経ちます。
ジョン・ペソアに住むオランダ移民二世、オランダ領事を30年間務めたオリベール・アドリアン・ヴォン・ソステン(Oliver Adrian Von Sohsten)はテナーサックスを吹く音楽好きであったこともあり、1930年にジョン・ペソアでラジオ局(Rádio Clube da Paraíba)を開局し、33年には市内で活躍する音楽家たちを集め、ルナ・フレイレ(Luna Freire)をバンドマスターにして、楽団ジャズ・タバジャラ(JAZZ TABAJARA)を結成しました。
オリベールのヨーロッパ留学体験や楽団名から、この楽団は当時流行のジャズの影響下にあったことが推測できます。

サックスに欠員ができたとき、楽団員たちの「警察楽団に良い演奏家がいる」という噂を耳にしたオリベールは早速その若い演奏家を呼びつけ「楽団に入りたいか」と尋ねました。すると若者(セベリーノです)は「俺にクラリネットを吹かせたいのか、サックスなのか」と聞き返したとのことで、相当な自信家だったことがうかがえます。

こうして入団した翌年、ルナ・フレイレが急死。ラジオ局はセヴェリーノにバンドマスターの地位につくよう要請し、セヴェリーノはこれを快諾しました。
ここに21才の指揮者兼作曲家が登場し、彼の兄弟やカシンビーニョも仲間に加わったセヴェリーノ色の楽団タラバジャができました。

43年にセヴェリーノは1年間の兵役に就きジョン・ペソアを離れます。
この頃Um chorinho em Aldeiaを作曲しています。

44年、兵役が終わってもジョン・ペソアには戻らず、タラバジャでの旧友ポルフィリオ・コスタ (Porfirio Costa)の誘いでリオデジャネイロのカジノ・コパカバーナ(Cassino Copacabana)とラジオ・ツゥピ(Radio Tupi)にクラリネット奏者として契約しました。

orquestra tabajara

しばらくはラジオ局専属の楽団と組んでラジオやレコードの仕事をしていましたが、ジョン・ペソアの仲間たちを呼び寄せ、後にこの楽団にタラバジャの名を付ける承諾を取り、ここに新生タラバジャ (Tarabaja)が正式に彼の楽団となりました。
45年にオーケストラ・タラバジャはラジオ・ツゥピと契約し、Espinha de Bacalhauを放送、レコード録音をして大ヒットとなりました。

以後、2003年には楽団結成70年の記念コンサートを開催し、2005年にも指揮棒を振っています。

セヴェリーノ・アラウジョは、ラジオ、テレビのマスメディア、78回転のレコード、LP、カセットテープ、CDのそれぞれの時代の全てを第一線で活躍したことになります。

参考:タラバジャ楽団公式ホームページ
Jornal de Rede Alcar, 2003 Feb 01 no.62
cliquemusic
Portal Pernambuco Nacao Cultural
Dicionario Crabo Albin Mussica Popular Brasileira



作品

貝塚正美
2012 Jan 22

緑字はユーチューブにリンクしています。