片山叔美のエッセイ (3)

私のサウダージ、アデミルジ・フォンセーカ




片山叔美


アデミルジとの交流

アデミルジのレッスン ~技術(?)編



「私にショーロの歌を教えて下さい。きちんとレッスン料も払います」
と請う私に、アデミルジはしばらく沈黙した後、言った。
「私のこの歌手人生は神様から賜ったもの。神様が私にショーロを歌う才能と、歌手として生きる運命を授けてくれた。すべて無償でね。それなのに、どうしてあなたからお金を取れるというの?お金は必要ないのよ」
今度は私が沈黙してしまった。思うように言葉も話せない私はただ、ありがとう、と繰り返すことしかできなかった。

片山叔美

さて、そのレッスンはというと…
とにかく一緒に歌う、もしくはアデミルジが歌うのを間近でずっと聞くという形だった。同時に、私の持っている歌詞をチェックし、普通は書かれていない句読点を補ってもらった。意味の分からない箇所については簡単な言葉に置き換えて説明してもらうこともあった。

アデミルジは暇があれば何かを磨いているほど、大の掃除好き、整理整頓好きだった。ある日、クローゼットに大事に仕舞ってあった手書きの歌詞やタイプライティングした歌詞、譜面などの束を持ってきた。
早速預かってコピーをとったものの、写り具合が良くないと知るや、「私はもう使わない、あげる」と言う。
遠慮なく頂戴してきてしまったが、それらの中にはクラリネット奏者のアベル・フェレイラ(1915-1980)が書いたであろうパートごとのアレンジ譜のコピーまで入っていたりもした(実際、そのアレンジ譜で演奏された録音があるのだ)。

Abel Ferreira

アデミルジのショーには必ず付いて行った。伴奏のミュージシャンは決まってValter 7 Cordas、Darly do Pandeiro, Marcio do Cavacoの3人。特にValter (7弦ギター)とDarly(パンデイロ)の二人はかなり高齢で、ずいぶん長い間一緒にやってきたようだ。
ステージでは必ず私を呼び寄せ、「この子は日本人で、ポルトガル語もまるで話せないし歌詞の意味も全然分からないのに、私のショーロが歌えるのよ」と嬉しそうに紹介した。(おいおい、そんなこと言わないでよぉ、ちゃんと勉強してるでしょうがぁ…)と内心で思う私だったが、お陰で彼らの演奏で歌う機会も頂いたのである。

それにしても、アデミルジの歌声は不思議だった。大音量になることなく、柔らかいまま高音が出る。ビブラートは浅く均一で、高音でもオペラの発声ではない。
当時83歳で、自分でももう喉がだめだ、と言っているくらいなので多少枯れた声ではあったが、それでも小鳥のようだった。

アデミルジは通常の会話では現代ブラジル・ポルトガル語の発音なのだが、歌を聴いていると時々、昔の発音になったりする。単語の頭のR(例:requeza)や単語中のR(turma)を巻き舌にするのだ。アデミルジの昔の録音でも、やはり大部分そうなっている。初めは、歌に巻き舌が出るのは単に昔の癖かと思っていた。

でも、気が付いた。
そのRの巻き舌をした箇所は楽曲中、思いが強い所(単語)、巻いたほうが歌いやすい所、もしくはメロディの流れの中で弱くしたくない音の所だったのだ。(現代発音のRでは喉からの息が聞こえるだけで、音程が無いに等しいので。)

Adimilde

もともと個人的に巻き舌が好きだった私は、Rは全部巻いて歌えるように練習してしまっていた。後に、そういう発音は昔の人のものだから若いあなたがやらなくてもいい、という意見もあったりして、現代的に戻そうかと思ったものの、そう簡単に直せるものでもなかった。
さらにアデミルジのレパートリーを歌っているうちに、現代的発音でも気持ちの良いRと、巻いたほうが気持ちの良いRがあることを実感した。
そうやって自分なりに分別したRの発音が、目の前で聴いた晩年のアデミルジの歌と同じだったのだ。このことについて、本人に尋ねてみたわけではない。恐らくほとんど意識することもなく、ごく自然に使い分けていたのだろうと思う。

といったわけで、私も公式な録音ではいい子ちゃんぶって(?)Rの発音を現代的にしてみるが、それ以外の時は自然に任せることにした。特に早口の部分については、単語中のRを喉から出したりしていると遅れるし、かといって省けばその音程が抜け、スピード感が緩んで何か調子狂うし…で、とにかく気にしないことに決めた。

今でも時折、アデミルジのレパートリーを歌いながら、私は気付くのだ。彼女のあの録音で早口が滑っているのは、ここの単語やここの音列のせいだ、とか…(笑)。
アデミルジのように曲芸的な速さでショーロを歌う時、私は彼女の気持ちを共感する。歌詞を滑ったのにもかかわらず、私がほくそえむ瞬間、それはアデミルジの気配を感じ取っているのである。

次回、「アデミルジのレッスン~生き方編」をお楽しみに。



<おまけ>


2013 01 23

注:記事内の写真は著者から提供されました。