片山叔美のエッセイ

「ブラジル浪漫暦話」

片山叔美 私はショーロを歌う


<文:片山叔美>




(7)「マリア様と子供の日」



時は1717年10月。
同年6月ポルトガルからやってきてサンパウロとミナス・ジ・オウロ(植民地時代の行政区)の知事に任命されたドン・ペドロ・デ・アルメイダがミナス・ジェライス州のヴィラ・リッカへ向かう途中にサンパウロ州のグァラチンゲタという村に立ち寄ることになりました。

Pescatores

ドン・ペドロを迎える宴席に供するため、パライーバ川で魚をたくさん獲ってくるように言われた村の3人の漁師。時間の猶予もない上に、川ではもうずいぶん前から不漁が続いていました。
不安を抱えたまま漁に出た3人は、マリア様に心から祈りました。
「どうか、魚が獲れますように…」
でも一向に魚はかかりません。
もはや諦めかけましたが、1人が思い直してもう一度網を川に。
すると何かが、かかったのです。
引き寄せてみると…

Dona Maria

それは頭部の無い銅像。
きっと聖人の像に違いないと、再び網を投げて頭部を見つけたのです。
褐色の肌のマリア像でした。

その直後、奇跡が起こりました。
突然、魚が大量に網にかかり始めたのです。
知事ドン・ペドロ・アルメイダを迎えるパーティも無事、終えることができました。

人々は、この奇跡を起こした褐色のマリア像を「ノッサ・セニョーラ・アパレシーダ」と呼びました。聖母アパレシーダです。

引き上げられたマリア像は3人のうちの1人の漁師の家に保管されたのですが、この時の奇跡は噂になって少しずつ広まり、多くの人が漁師の家を訪ねて来るようになりました。
その後も聖母に祈りに捧げようとする人々が増え続けたため、像は何回かの移動を繰り返し、現在はアパレシーダ教会(サンパウロ州)に安置されています。

マリア像が見つかってから263年を経た1980年。
10月12日がアパレシーダに祈りを捧げる日として国民の休日に制定されました。
この日、アパレシーダ教会への道のりは今も聖なる力を信じる巡礼の人々で埋め尽くされます。

聖堂内には「奇跡の部屋」という場所があり、人々はそこに自分の願いに関係のあるものを置いていきます。
手脚の悪い人は杖や義足のようなもの、子供が欲しい人は子供の人形…あまり気味のよい部屋ではなさそうです。
あのサッカーのロナルド、度重なる膝の怪我に悩まされていましたが、2002年のワールドカップの前にこの奇跡の部屋にやってきて祈りを捧 げたそうで、念願成就したワールドカップの優勝後には感謝の気持ちをこめて自筆のサイン入りのユニフォームを寄贈したそうです。

NS Aparecida

一方で、10月12日は、ブラジルでは子供の日でもあるのです。
日本は子供の日といえば、端午の節句。
鯉のぼりや五月人形を飾り、柏餅を食べたり菖蒲湯につかったり…
ですが最近ではゴールデンウィークの中の一日に過ぎなくなってしまっているような。

ブラジルの子供の日はいったいどんな感じ?
かつてサンパウロの小さな町に住んでいたという友人に訊いてみました。

「10月12日は町で運動会があった。運動会じたいも楽しかったけど、最後に子供たち全員がプレゼントをもらえたの!
大小さまざまなカラーボールを積んだ大きなトラックが何台も町にやって来てね。
運動会の終わりに大人たちがそのトラックからカラーボール投げて寄こす。大きいのや小さいの、1人でいくつも拾ったりして、とても楽しかった!
昔のブラジルは貧しかったし、普通の家庭には子供の遊び道具なんて無かったから、ボールのプレゼントはすごく嬉しいものだった。
そうそう、町にお金があるときは移動遊園地が来て、子供の日に限り遊具が無料になったから思い切り乗って遊ぶことができたのよ。」

ん!? 移動遊園地!?
組み立て式の遊園地だそうで…
移動サーカス小屋ってありますよね、その遊園地版。
昔は日本にもあったとか…知らなかった…!

ブラジルの田舎では、町の人口はそんなに多くないし、常設の遊園地を作ったところで大した利益を上げられないので、移動式の遊園地を時々呼ぶ方が現実的とのことです。
その友人の町では年に2回ほど、遊園地がやって来たそうです。
いつもは何もない町にいきなり現れる遊園地…子供たちにとって本当に夢のようだったでしょう。

お金を出しさえすれば、大抵のことができてしまう現代。
逆にお金がなければ不自由で、自分が不幸に思えてしまう。

余分なものを持たない暮しならば、何かを得たときの喜びは大きいはずです。
もっとハッピーになるために、もっとシンプルに生きてみようかなぁ。

2014年10月8日
写真は著者より