作曲家列伝 

彼らの生んだショーロスタンダード





Zequinha






Zequinha de Abreu 

(ゼキーニャ・デ・アブレウ)
1880-1935






チコ・チコ・ノ・フバ(Tico-Tico no funa トウモロコシの粉を啄ばむ雀)は言うまでも無く、ショーロの最大のヒット曲です。

44年にアウロラ・ミランダ(Aurora Miranda)の歌で、ウオルト・ディズニーの The Three Caballerosで歌われ、47年には姉のカルメン・ミランダ出演コパカバーナで世界的な大ヒット曲となりました。

1952年に製作されたゼキーニャの伝記映画 "TICO-TICO no fuba"は、彼の故郷、サンタ・ヒッタ・パッサ・クアトロ(santa Rita de Passa Quatro 「4回渡った聖リッタ」)の風景から始まります。(イタリア人Adolfo Celi監督 (007サンダーボール作戦、2度死ぬでは俳優出演))

そして、サーカス団の団長の姪、馬の曲乗りの美しい娘と恋に落ち、彼女の名、「ブランカ」という曲を作りますが、これは映画の創作。
本当のところは、この曲は、町の駅長の娘(9才?)のブランカ・バヘット(Branca Barreto)に捧げたのが真実らしいのです。
この曲もまたショーロの古典となりました。


2010年のサンタ・ヒッタの人口は約26,000人。

サンパウロから北へ、カンピナス市を抜けアニャンゲイラ街道を220キロ余り。
1860年に地方自治体として認められていますので、今から150年位昔には小さくとも町の機能は持っていました。
ゼキーニャの生まれたのは、自治体設立30年程後で、鉄道も敷設されたばかりだったでしょう。

サンシモン教会

この奇妙な町の名前、「4回渡る聖リッタ」は、本題とは関係ないですが、つい、由来を聞きたくなります。

直接の聖リッタ伝説は見つけられませんでしたが、似たような話で、ゴイア州の小さな町(人口3.6千人)のSao Miguel Passa Quatro(4回渡る聖ミゲル)市では、「ミゲルさん、どちらへ行かれるのですか?」「川を4回渡れば、私を見つけられます」とか。

サンタ・ヒッタの方の由来は、次の通りです。
町の更に北20キロに、サン・シモン(Sao Simon)と言う小さな町があり、ここの解放奴隷が川を4回渡って、サンタ・ヒッタの地に着きました。
この時、4回と言う数字に、4つの州を巡り布教したサンタ・ヒッタ・パッサ・クアトロを連想し命名したとのことです。


閑話休題。

彼はこの小さな町で1880年に生まれ、1935年にサンパウロで死にます。


サンパウロのパカエンブ(Pacaembu)競技場(コリンチャンのホーム)の近くにゼキーニャ・アブレウ通り(Rua Zequinha Abreu)があります。

サンタ・ヒッタとサンパウロの間が彼の人生でした。

ゼキーニャは、この小さな町で、薬屋の息子として、8人兄弟の長男として生まれました。
彼の母親は、彼が牧師に、父親は医者にと望んだようですが、10歳の頃には、レキンタ、クラリネット、フルートを吹いていました。

エピスコパル学校

中学はサンパウロのチラデンテス大通り(AV. Tiradentes)にあるエピスコパル学校(Seminario Episcopal)で学び、卒業後再び故郷に戻ります。

故郷で直ぐに、地元の14歳の娘、デュルバリーナ・ピレス・ブラジル(Durvalina Pires Brasil)と結婚し、結婚後は、市役所の秘書と州の徴税官をしながら、楽団を運営していました。

映画では、都会で作曲家として試したいと言う希望を隠しながら、小さな町から、一歩踏み出せないままいたと描かれています。

1917年37歳で、町のダンスパーティーで「Tico-Tico no Farelo」(おがくずの雀)を発表しました。
この曲は、後年(31年)にカニョット(Canhoto, Americo Jacomino)に同名の曲があるということで、「Tico-Tico no fuba」と改題。

1920年父の死と共に、ようやく、サンパウロに移り、バー・ビアドット(Bar Viaduto)、喫茶店セレッタ(Confeitaria Seleta)他、サンパウロの中心街ジレイタ通り(Rua Direita)にあったカーザ・ベートーベンでも、よく働いたと書かれています。
この間に、有名な出版社(Editora Irmao Vitale)の創立者Vincent Vitaleと出会い、毎月1曲書くことでの専属契約を結んでいます。

31年には チコ・チコ・ノ・フバは指揮ガオ(maestro Gao)、オーケストラ コルバズ (Orquestra Colbaz)により、レコード化され、大ヒットとなり、40年代までレコードカタログにノミネートされていました。
彼の死は1935年です。チコチコの成功を見ています。
ですので、映画のように、貧困と絶望の中で死んでいったと言うのは、少しステレオ・タイプだと、私は思います。
それでも、ゼキーニャは、金銭的な欲望は少なく、困っている友人に融通し、言葉少なく、笑みを絶やさなかったと伝えられています。

Aguas de Lindoia

”リンドイアの午後”(Tardes em Lindoia)

サンパウロから北東へ180キロ程離れたミナス州境にある一群の泉の町の一つ、リンドイアの町を歌った曲です。
(サンパウロに行かれた方なら、「Lindoia」と書かれたミネラルウオターを飲まれていると思います。)
リンドイアは、丘陵に囲まれ、清らかな泉が流れ、古くからサンパウロの上流階級の保養地として有名です。
地元の言い伝えでは、リンドイアに住む誰かが、ゼキーニャにこの曲を聞かせ、ゼキーニャがレコード化した際、彼の名前をクレジットしたとありますが、これも美しい曲です。


貝塚正美

参考:UOL Educacao Biografia compositor brasileiro
Info. Munincipio da Santa Rita de Passa Quatro, e do Sao Simon
Filme "TICO-TICO no fuba" pela direcao Adolfo Celi,com.Bela Cruz





作品



Lua Branca


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