2018年2月1日

熊本尚美「ショーロ、もうひとつの人生」

熊本尚美インタビュー

 

「ショーロ、もうひとつの人生」

 

Foto:Silvana Marques

 

熊本尚美ホームページ

 

2013年2月西荻窪「コッポ・ド・ジア」にて

編集部注:インタビューを文字に起こす際に分かり易いように8回に分けました。

 

サイトが2017年12月に海外よりの不正攻撃によりダウン、最終稿が失われました。
手元に残っていた初校を活用して再開しましたので以前の文章と異なる可能性があります。予めご了承ください。

2018年1月

 

 

第1回

身体と言語と音楽

 

略称
N:(熊本尚美)
F:(フォンフォン編集部)

F:今日はお忙しいところありがとうございます。

N:こちらこそ、宜しくお願いします。

F:先日のワークショップで、熊本さんがおっしゃっていた中で、個人的に面白いなと感じたことがありました。
象徴的な意味合いで言われたのだ思いますが、「ブラジル人が座ると回りに一杯荷物を置いて一人分の場所を多く取る。日本人だと身の回りを整頓し面積を取らない」,「ブラジル人が合奏するとゴツゴツしているけど、日本人だと意識しないでもきれいにフラットに聞こえる」と。
それが音楽とどう関係するのか、まるで授業のおさらいのようですが。

N:それを言葉にするのは中々難しいですね。

F:コンサートの時にも似たような話をされていて、その時は言葉と音楽の関係の話だったかと思います。

N:音楽を立体化させるのは、言語の働きだと思います。
それぞれの言語には固有の法則があって、ポルトガル語の場合ではアクセント、リズムがきちんとしていないと通じない。
呼吸法も日本語とは違います。
ぐっと呼吸を腹のほうに合わせないと声が出てこない。
そうすると、出てくる音も大きい。
それに引き換え、日本人の呼吸は喉から上でするから、口元で喋ることになり、そのため管楽器を吹くときも口元で吹いてしまい、出てくる音も違っています。
日本的な和の美学からからはそれでいいのだと思います。
そのお陰で繊細になっているのでしょうし。
例えば、私がブラジルでブラジル人とポルトガル語で喋っている最中、突然に日本人から電話がかかってきたりして、彼達の目の前で日本語で喋り始めるとみんな笑い出したりします。

F:日本語が聞きなれない可笑しい言葉だから?

N:そうではなくて、それまでとは全く違うリズムで話し出すので、知らない熊本尚美が突然に現れたように思われて、それが可笑しいようです。
ポルタチル音楽学校のフルートの授業では、ブラジル人に呼吸方を教えることはありません。
それは既に彼達の体が自然に出来ているからです。
ところが、日本で日本人に教える場合、息を吸ったり吐いたりする基本から教える必要があります。
つまりその楽器を使う体を作る所から始めなくてはならないのですが、ブラジル人はそこが自然に出来ています。

F:体と音楽性は関係があるということですか?

N:そうですね。
勿論、気候とか風土とかも作用しているので呼吸法の差だけとは一概には言えませんが。
自分自身の経験で言うと、ポルトガル語で喋っていれば、そのまますぐにショーロ演奏に移行できますが、日本でのツアーかコンサートなんかで、日本語で喋った後、直ぐに演奏に入ろうとすると、非常にやりにくい。
気持ちの切り替えが大変です。
とにかく日本語とショーロではリズムが違うから。

F:ブラジル国内でツアーもされていると思いますが、ブラジルの中での方言には、そういった差は感じられないですか?

N:基本的にアクセントの位置が同じだから、違いは感じないけれど、他の地方の人と比べるとリオの人の音楽は空間の取り方が大きいと感じます。
それは、カリオカが持つわがままで勝手で自由な所為であることもあると思う。

F:マウリシオ・カヒーリョはショーロの魅力はアンサンブルにあると言っていますが、勝手気ままでなく、自由でもない日本人の方がアンサンブルは得意なのじゃないですか?

N:それが、そうでもでもない。
一見、日本人はアンサンブルが得意そうだけでど実はそうじゃない。
この話は別の視点から説明しなくてはなりません。
日本人にとって外国の音楽は自然に身に付いたものではなく、先ず学ぶことから始めなくてはならないし、細かな約束事となると現地に行かなければ分からない。
だから私はショーロを身に付ける為リオに行こうと思い、8年半経って、やっと分かってきたかなと感じている段階です。
だからネイティブな音楽をアンサンブルで演奏する為には、細かい音楽言語を全て分かっている音楽家を5人集めてくる必要がある。
それでやっと緻密なアンサンブルが出来る。
そうじゃないと真のアンサンブルは出来ないし、そこまで突き詰めなて考えないと本当の演奏は無理。
F:日本人にはショーロが分からないと言うことですか?

N:それは、ショーロに限ったことではないと思うけど。

F:日本人には鎮守様のお囃子は演奏できるけど、ショーロは難しいというようなことでしょうか?

N:西洋はキーが12個ありますが、日本の音楽は5つしかないし、ハーモニーが無い。
だから、アンサンブルで、音を縦に切っていくようなことが出来ません。
日本だけでなくて東洋の音楽はみんなそうだと思うけど、一定の範囲の間は自由にやって到達点が合えばいいというアンサンブルの仕方なんです。
ガムランなんかもそうみたいですけど。
どういうわけか、日本の音楽は私には未だに理解できません。
どういう風にあのアンサンブルがなりたっているのか分からないのです。

F:つまり、ショーロは息遣いが分からないとアンサンブルが出来ないと言うことですか?

N:息遣いと言うよりもっと具体的なことです。
リズム、ハーモニー、アクセント、技術的な事柄が非常に重要です。
特にアクセントは楽譜に書かれていないから、言語として体の中に入れ込んでいないと弾けない。
ブラジル人だと書かれていなくてもピタッと分かる。

F:ポルタチル音楽学校にはヨーロッパから来ている人もいますが、彼達は日本人と異なり、自然に獲得しているものがありそうな気もしますが?

N:フランス、ドイツ人にもそれが分からないから、彼達も学ばなけれならない。言葉のアクセントが違うから。
分かりやすく言うと、ポルトガル語の場合は、一つの言葉に音が三つあり、二つ目の音を強調するのが普通です。
ツ・ター・ッタ、 ツ・ター・ッタというリズム。


例えば、ボニート(bonito)と言う言葉で言うと、ニーのところにアクセントがくる。
これがショーロのアクセントの基本です。
このリズムを発見したときは嬉しかった。
2番目が強くて長い。
リオの人はもっと強調する。サンパウロの人ではもっと平坦に洗練された感じになる。

F:そうなんだ。
ところで、話が変わりますが、昔の人、歌手、例えばオルランド・シルバでも必ずRの発音は舌を巻きますが今はあまり巻かないですね?

N:それを今調べてみたいと思っています。ポルトガル人は巻くしね。
Rの音を喉で発音するのはフランス風です。リオはフランスの影響が強かったから。
フランスの影響が絶対混じっていると思う。経験としてそう思う。
リオの人達はフランスに対する憧れがすごく強いし。
例えば、ブラジルのポルトガル語には、外来語としてフランス語が沢山あります、日本の英語みたいに。
リオはそれが特に強い。多分100年くらい前からそうなっている。
当時のヨーロッパ自体も色々混ざり合っていたけれど、フランスを経由してブラジルに来たのかな。
そして、ブラジルのリオは首都だったから、全てがまずリオに着いてそれからブラジル各地に広まった。100年前のリオの町並みはパリの模倣みたいだったし。
例えば、テアトロ・ムニンシパルもオペラ座をモデルにして造ったし、材料もヨーロッパから持ってきたみたい。
昔のオデオン座もそう。

 

第2回 ショーロの話

F:リオに行かれる前に5-6年間程、日本でもショーロを演奏していらしたとか。

N:始めたのが1999年。そうですね、5年間位かな。

F:日本でショーロを演奏していた時と今ブラジルでの8年半の生活した後の今では、熊本さんの中でショーロ感に変化がありましたか?

N:全く変わりました。
日本にいる頃もショーロの中に好きな要素は感じていたけど 実際にそれをどういう風に演奏したら良いのか分からなかった。
ブラジルに行ってそれを表現するのがそんなに簡単なものではないと分かりました。
例えば、日本にいるとき、レコードを聴きながらこの人達どうやってレコーディングしているかいつも疑問に思っていました。

F:どういう意味で?

N:普通はクリックを使って、カウントを流しながら演奏しますが、彼達のレコード聴いたときにクリック使っていないことが分かりました。「この人達クリック使っていない」って。
でも、当時の私は「クリック使わないでレコーディングするってどういうこと、それって何なの?」と思っていました。

F:空気感みたいなものでいっちゃっているのかしら。

N:アンサンブルで取っている感じかな、セーのって。
つまり、分かったのは、クリックを使うとみんなクリックに向かって音を出すようになるから、音は出ていても音が絡み合うことが無い。
それを向こうでレコーディングで経験した後、日本に帰ってきて、あるレコーディング・スタジオに行ってアンサンブルを演奏したんです。
すごく合せ難い曲だったんで、ああだこうだ言いながら、うまくいかないですよねってやっていて、それで、「一回クリックをはずしてやってみようよう」って言ったんですよ。
「ようそんな怖いこというわ」と言われたんですが、でも「やってみよう」ってやってみたら、よっぽどその方が楽だったの。

F:それはショーロだったんですか?

N:ショーロじゃなかったけれど。

F:演奏するときに相手を見ないで機械を見ちゃうと言うことですか?

N:そうそうそうそう。

F:行く前はクリックが無いと不安だった訳ですね。

N:そう。勿論、リオでもクリックを使う現場は無くは無いですが極端に少ないです。

F:その機械に合わせるのでなく、演奏家の体にあわせていくというお話で、最初の話に関連しますが、言語というのは閉じられているじゃないですか。
例えば、ここで日本語を喋っていても、隣のテーブルの外国人には伝わらないですね。
ある種の音楽は、この言語のような壁に囲まれていて、その壁から外へは出ないけれど、一方、別の音楽はそれを軽々超えてしまう。
越境するというのかしら、そういうのがあるのではないか。
例えば、クラシック音楽だと、越境できるから東洋人も演奏出来ますよという事だと思うんです。
で、ショーロにもそういった越境する部分があるような気がしています。
だから場所も時代も全く違う僕達が聞いていても面白い。
つまり、ショーロの持っている閉鎖性と越境できる可能性が拮抗しているような気がするのですが。

N:それは聞き手として?

F:音楽ジャンルとして。

N:聞き手と演奏者とは違うと思う。
ブラジル人は移民の国で、来るものは拒まず何でもOK。
ラテンで移民という間口の広い国民性がある。
よく言えばおおらか、人に干渉しないというか、気にしないと言うか、そういう自由さ、間口の広さのある性格だと思う。

F:それはショーロと言う音楽が越境して向こうからこっちにやってくるのではなく、こっちから向こうへ近づきやすい音楽だと言うことですか?

N:そう、開いている音楽だから。

F:数年前、とある民謡の全国大会を見たことがありますが、外に向かっては開かれていないくて、全て内輪向けと言うか、そこだけで通じる文化だなと感じを受けたことがあります。
それに比べるとリオのホーダは自由なのですね?

N:ところがそうでもない、入りにくいといっている人もいます。

F:それはどうして?

N:なんていうか、民謡で言う流派みたいなのがあるんですよ。
それで流派が違うと入れないときもある実際には。
それでも、基本的には開いた心を持った音楽だと思います。

F:なんで自分がショーロが好きになったのかなと考えていたのです。
ブラジルの物の中でも、好きになるもの、そうでも無いものがあって、そこの中で何でショーロを選んで好きになったのかを考えたとき、ショーロは都会で生まれたと言うことに気が付いたのです。
都会はさっきのお話でもあったように、基本的には外のものが入ってくるのが自由で、枠が無い。
それが一種の国際性を獲得させたのかと思い付いたのです。

N:それはあるでしょうね。
でも、これだけ、やっていても、ショーロを知っている人は、ブラジルでも世界でも殆どいない!!というところもあって、そこが謎なんですよ。
これだけ技術や知識が必要で、演奏も大変なのに、それでも知名度が上がらないのは、何かあるんですよね、ショーロが持つ性格の中に。
一つは、ショーロはアマチュアの音楽だから、基本的に。
アマチュアですから、聴きたい音楽と言うよりやりたい音楽なんですよね。
アマチュアの友達と一緒にやると言う空間で好まれる音楽。
今では大きなホールでやることもあるけど、スピリット的にはアマチュア的でエンターテイメントにならない。

F:自分の為に弾くっていう感じですか?

N:そう自分が楽しむ為にネ。
あんなに技術が要るにもかかわらずエンターテイメント性が乏しい。
それはショーロの発祥の仕方がそうだったから。
移民してきた人達が、何も無いわけだけだから、夜な夜な近所で集まって、ギターかなんか持ってきて、勿論ショーロなんて無かった時代だけど、ヨーロッパの流行り歌を真似してやっていたんです、リオで。
1850年前で、1808年以降の時代。ポルカとかワルツとかを弾いていた。
そこから一世代後になるとブラジルで生まれた人達が出てくるわけです。
作曲家も生まれてきて、その段階でショーロが生まれてきたのですね。
1830年以降のことです。

F:ブラジルがポルトガルから独立してから

N:そうですね。

F:つまりブラジル人と言うものが出来てから。

N:そうです。その時に、ミックスが始まったのですね。
ブラジル人の作曲家が出たことは大きなことで、それ以前とそれ以後と分かれます、徐々にですが。色々な偶然もあったのでしょう。奴隷解放とかも。

 

第3回 ブラジルに行く決心

F:日本でショーロやっていてこれじゃイカン、本物じゃないと思ってリオに行ったら、やはりそうだったということなんでしょうか?

N:日本で演奏していて、これはイカンとは思っていなかった。向こうに行って初めて違いが分かった。
えーっと、その質問は、リオに行ったこと?それとも住み始めたこと?

F:リオに行く決心をした動機です。

N:色々原因はあります。
勿論、リオに行って学びたいと言う気持ちも大きな理由ですが、それだけではない。
ショーロにある宝物には向こうに行って気が付いた。

F:宝物の鉱脈があることを日本では気が付かなかった?

N:何かあるとは感じていたけれど、それが何なのかは分からなかった。
匂いは感じていたし、それが何だか分かりたいと思っていました。
でもショーロという知名度の無い音楽を日本でやろうとしても、当時は一緒にやる人も、教えてくれる人もいなかった。
まだ東京は少ないけどいました。でも関西には全くいなかった。
それにクラシック音楽はやめようと決めていたし。
そうか、こういうとき地方の人は東京に出ようとおもうんだなと思うのが分かった。
だけど、東京に来ても範囲が見えていたから、それなら東京を通り越してリオに行っちゃおうって。

F:それは食べる為じゃないですよね。
東京大阪間の移動なら食べる為と言えるけど、リオ行きはそういうのじゃなくなりますよね。

N:私は無鉄砲なので、勉強しに行こうとかそういう決心があったわけでもなく、

F:行っちゃった?

N:アノネ、言いにくいんですが、日本にいて寂しかったのですよ。
最初にリオから帰ってきてからが。
どうしてあの人達と一緒にやれないんだろうって。
あの空気の中にずっと居たいとおもったし。
それはショーロだけでなく、ブラジル好きにありがちなこととは思っているんですが。
シンフォニア・ブラジレイラのDVDで、シンフォニーの音楽と背景にリオの町並みが流れ、それを毎晩見て、何で私はここに住めないんだろうと思っていて。
ある日突然、誰か住んだらアカンて行ったのだろうか、誰も言っていないんじゃないかと気が付いたの。
そっからちょっと具体的に考え始めました。
その翌年、2004年に神戸のフェスティバルやったとき、マウリシオ、ルシアーナ、クリスタバン、セルシーニョ(編集部注:Mauricio Carrilho, Luciana rabello, Critavao Bastos, Celcinho Silva)の4人が来たんですよね。
一緒にツアーやって、その時に夕ご飯食べながら、彼達にリオに住みたいと言ったんです。
で、みんな猛反対でやめとけ、やめとけって。
リオの音楽事情なんて最低だから止めとけって。日本にいるほうがずっと良いからって。

F:日本のお母さんでなく、リオの音楽家達に反対されたわけですか?

N:だってお金が儲からないのは彼等が一番分かっているもの。
何年かに一回、何ヶ月か、リオに来れば良いじゃない。
日本の生活を捨ててまで、リオに来ることはないとみんな猛反対したけど。
最後に、「何でそんなにリオに住みたいのか?」ってセルシーニョに聞かれて、
「あなた達のそばに居たい」と言ったんですよ。
そしたら「それなら、来ればよい」と言うことになって。
でも、それが私の正直な気持ちだったと思う。

F:あの空気の中で暮らしたいということ?

N:そこでお金を稼ぐとか演奏活動したいとか、そういうことは抜きで、あの環境の中で暮らしたいと思った。
でも、それでうまくいかなかったら、日本へ戻ろう、つまり帰るところはあるわけだから。
とりあえずやってみようと思って、それまでやっていた仕事を全部止めていくことにしたんです。

F:勇気があると言うより、なんと無鉄砲な。

N:その時36歳だったかなあ。いや39歳か。
なんとなく40歳過ぎるとそんなに大きな変化のあることが、できなくなるんじゃないかとなんとなく思っていたんです。
大きな賭けをする人生最後のチャンスじゃないかなってって言うことはありましたね。

F:お話を伺っていると、何か自分の人生に重ねちゃうところがあります。

 

第4回 フルートとブラジル

 

F:昔、「ブラジルはギター王国と思われていますが、フルート王国でもありますよ」とおっしゃっていました。
お話を伺いながら、移民たちがギターをかき鳴らしてと言う情景を思い浮かべていたのですが、フルートも同じようなものだったのでしょうか?

N:ブラジルでですか?

F:そうです。

F:パタピオ・シルバがリオに行ったとき、手製のフルートで演奏して大学の先生がびっくりしちゃったとの記事を読んだことがあります。

N:アルタミーロもそうですね。竹かブリキの笛で始めたらしいです。

F:家庭にギターの横にフルートがあるようなことがあったのでしょうか?
学校に行かなくて環境で習うようなことがあったのかな?

N:ちょっと分からないです。
でも、あったかも知れませんね。フルートって歴史の古い楽器ですから。
人間近い楽器なんですよね、ギターもそうですけど。
発祥は大腿骨だったんですよ。

F:骨の?

N:そう。そこに穴を開けたら音が出たと言う。

F:そういえばヨーロッパには竹が無いですね。

N:象牙とか木のフルートはあったんですよね。

F:「フルート王国」のお話を聞いたとき、ブラジルではフルートは日常的な楽器かなと思ったんですよ。
フットボールのように考えていたのです。
特別なトレーニング無しで、何処の町の子供達も道でボールを蹴っていて、その中からほんの数人の天才が現れるように、フルートも同じように多くの子供達が演奏し、その中からヴィルティーオゾができたのかなと考えたのです。
学校や先生無しで、家で覚える楽器という意味で。

N:ショーロがフルート楽器として発展したのは、1847年に今のフルートのシステムが出来上がってからです。
それまでは難しいことは出来なかった。ただ木に穴が開いただけだったから。それが今のフルートと全く同じ形になって半音階が出来るようになって、音量も出て、ヨーロッパでフルートが流行ったんですね、当時。
1850から80年くらいまでフルートのヴィルティオーゾの音楽がものすごく流行ったんですよ。
みんなが競うようにしてフルートを吹いていたんです。

F:新しいフルートで。

N:そうそうそう。それをアンドレ・ヘシュー(編集部注:Mathieu-Andre Reichert)がブラジルに持ってきて、それでブラジルに普及したんですよね。

F:その前はあまり無かったんですか?

N:その前のことはあまり分からないですね。勿論あったと思いますよ。
ショーロがこういう形でフルートの音楽になったのは明らかにこの所為。
例えば、キューバでもフルートを良く使うけれど、未だにキーの少ししかないフルートを使っている人が多い。

F:ではヘイシェのお陰と言うことですか

N:勿論、私はそうだと思う。
どうしてキューバで古い形のフルートを使っているのかは分かんないけれど、
フルートは日本でもポピュラーな楽器ですからね

F:そうなんですか?

N:人口多いですよ。

F:そういえば去年でしたか、全国大会がありましたね。
そんなにお手軽っぽくないですけれど。例えばブラス・バンドでも人気楽器になるんですか?

N:一番じゃないですか。楽器の作りがシンプルだから
クラリネットとかサックスだとリードがあるからそれをつけて何とかしてと、沢山作業があるけれど、フルートは組み立てればすぐ使える。何も複雑な付属品も要らないし。

F:アルタミロのフルートがきっかけでショーロを始められたとか。
残念ながら、去年亡くなってしまいましたが、アルタミロに直に教えてもらったことはあるんですか?

N:直接ショーロを教えてもらったことは無いですね。向こうでの教え方と言うのは、一緒に演奏すると言うやり方だから。
初めて行ったときはよく一緒に演奏させてもらいましたヨ。

F:それで教えてもらった見たいな。

N:うん、そうそうそう。
あの人は指導しなくも無いけど、生徒をとって教えるみたいなことはしない。
逆に彼はクラシック音楽にものすごく憧れが強い人だったんです。
だから私からクラシックを学びたい、知識を得たいという気配があった。
一緒にモーツアルトのコンチェルトを吹いたりとかして。
一緒にやろうといわれて、バッハのソナタ吹いたりして。
心の中で、私こんなことやりたいと思っていないんだけどーって。
でもアルタミロに頼まれちゃいやとはいえないし。
で、お互い情報交換というか。

F:年齢も国籍も関係ないですね。

N:当時、私はポルトガル語もそんなに喋れなかったから、言葉では伝えられないので、お互い演奏して、持ってるものを相手に伝えるというやり方ですね。

F:ラッキーでしたね。
ウマゼロをフルートで出来る人はあんまりいないと書いてあるものを読んだことがあるんですが。

N:ウマゼロは難しい。すごい難しい。

F:確か、カニョット・ド・カバキーニョが言っていたと書いたのを読んだことがあります。

N:テクニックがね、難しい。

F:アンドレ・サパト・ノボをアルタミロが吹いているところをユーチューブで見たことがあるんです。あれをフルートでってびっくりしたんですが

N:あれはそんなに難しくない。
パーン パパパパパーンてメロディすぐ始まるからね。
難しいそうなのは、きっとアレンジでやったんでしょう。

 

第5回 日本在住のブラジル人

C:(コッポ・ド・ジアのスタッフ)

 

F:去年(2012年)からブラジル人にショーロを紹介するプロジェクトを始められていますね。
こちらに住んでいるブラジル人も殆どショーロのことを知らないと想像していますが。

N:そうですね、殆どの場合。
プロジェクト自体は色々な経過があって始めれたんですが、元々はものすごく仲が良い古い大学時代の知り合いが群馬県に住んでいて、高崎健康福祉大学の先生をしているの、それが事の始め。
群馬県というのは大泉を抱えている県で、国際交流にも力を入れて行きたいという方針も有って、ブラジル人も多いところだから、日本側からもブラジル人に歩み寄ることも必要だと言うことも考えていたようです。
彼女は幼児音楽教育の先生なんですけれど、彼女の教え子は幼稚園とか保育所へ巣立っていくわけです。
そこにはブラジルの子弟がいるけど、コミュニケーションの問題があって、そこで私がブラジルに住んでブラジル音楽をやっていることを思い出して、二人で何か一緒にやろうよと相談を始めたというのがことの発端だったんです。
その日本生まれで日本語を喋れなず、その上、ブラジルにも行ったことが無いという特殊な環境に生まれ育っている子供達が沢山いて、その中で教育とか治安とか社会的な様々な問題を抱えています。
そこで、リオに住んでいる日本人の私がポルトガル語を喋って、ショーロをやっていることを見せることで刺激になり、彼達が人生を考えるに当たって何かのきっかけになれば良いなと思ったんです。
ポルトガル語で説明しながら、言葉が二つできることが、どれだけ世間の窓口が広がっていくかとか、そういった教育的な話を含めながら、もう一つのテーマは、彼達の母国のブラジルの歴史に興味を持ってもらうことです。
ショーロは1808年ポルトガルの王様がリオに渡ってから歴史が始まっているんですね。
ショーロというのはブラジルの歴史と共に歩んできている、そして未だに一緒に歩み続けている唯一の音楽です。一番古い音楽なんです。
だから歴史を学んでいる子供達に、この頃こんな音楽が出来たんだよと教えて。
歴史の話に沿って音楽も学ぶと言う。
「1888年は何があった年?」なんて質問しながら、ショーロを聞かせたり。
私がリオに行ってショーロを学ぶときに、ブラジルの歴史を全然知らなくて、音楽学ぶ為にはその国の歴史を学ばなければならないとすぐに思ったから。
それは、すぐに思った。
音楽と国の歴史は密接に結びついているもので、逆の発想ですよね。

F:子供達は何かを見つけた感じでしたか?

N:うん、すごく興味を持って聞いてくれましたよ。
みんなこんなになって釘付けになって、「これが僕達の音楽か」って。

F:パゴッチやサンバは知っていても、その向こうにはショーロという土台があるっよて彼達は知っていたのですか?

N:学校によって違いました。
一つの学校は先生がこういうイベントがあるからって事前にショーロを聞かせていた。
ですからそこは下地があったんです。
他では学校によっては話もしないと言うのとか、多分彼達はショーロを知らないと思うな。

F:日系ブラジル人はリオから来ている人も少ない所為もあるでしょうね。

N:そうでしょうね。リオに行ってもショーロのこと知らない人も一杯いるしね。

F:リオに住んでいる日本人はショーロを知っているでしょう。

N:大していない。

F:2-3000人いるのじゃ?

N:そんなにいない。
2年ぐらい前に子供が10人チョッとしかいなくて潰れそうだといってたもの。
去年、校長先生に会ったとき、少しは増えたと入ってたけど

F:12-3人じゃまるで寺子屋ですね。
そうか、日系企業が増えたとしても、リオには工場作れないものね。

C:尚美さん、サウスポーなんですね。

F:あっ、カニョットだ。
フルートは反対に持たないのですか?

N:持たない。
さっきのヴィルティオーゾの時代、右左逆に吹く兄弟が居たみたいだから、当時は左利きようのフルートがあったみたいですね。今はもう無いですけれど。

F:カニョット・ダ・パライバはそのままギターをひっくり返して弾いていたらしいでね。

N:カニョット・カバキーニョもそうですよ。だから音の出方が違う。
だから音の鳴り方が違うの。

 

第6回 ヨーロッパの影響

 

N:こないだフランスに行ってきた時コンサートに行ってきたんですよね。
ブラームスのシンフォニーだったんだけど、こんな解釈なんか聴いたことが無いっていう演奏だった。
本当にフランス人が喋るような、さらっとしている。
今まで聞いてきたものと全然違う。そういうの日本にあまり無いんですよ。
日本はやはりドイツから音楽を取り入れているから
そんなの期待していたんじゃないけれど、ふあっとしていて。

F:コンサートの出来は良かったんですか?

N:ブラームスを聞くに良かったのかどうかは分からないけれど。
そこはそうじゃないだろうと思う部分もあったけれど、それは国民性とか言葉のリズムとかがそうさせていると思った。

F:指揮者もフランス人?

N:そうフランス人だった。
リオのテアトル・ムンシパルのモデルにもなったガルニエ(オペラ座 編集部注)にも行ったんですが、中に入った瞬間、リオのも綺麗だけれど、ウーンて。
ここでラベルのオペラを見たんですよ、これが。
(編集部注:インタビュー後、「子供と魔法」と確認しました)
曲も演奏者もお客もみんなフランス人で、それであの空間で、初演に近いセットでずっとやってんだって。

F:そういう話聞いたことあります。
オペラのセットを大きな倉庫にずっとしまって使いまわすって

N:初演が1910何年かそれくらいなんですけれど、100年後も同じセットを使って。
音がねえ、日本のオーケストラではああいう風に行かない

F:それはそうだと思うんですけれど、そういう風に言っちゃうと現地主義と言うか、そこに行かなきゃ本当においしいものは食べられないみたいな、郷土料理みたいな。

N:それは、ワークショップで言ったかも知れないけれど個人の問題だと思うんですよ

F:それは弾き手の?

N:弾き手も、聞き手も。
日本は外から色んな文化を取り入れて日本流にするというのが上手な国民なんですが、私個人はそこに賛成できない人間なんですよ性格として。
ショーロを始める前は、私はどうして日本の音楽をやっていないんだと気に病んでいました。
いつまで洋楽をやっていても外国の音楽であることに変りが無いわけで、ずっと距離を感じてた。
5歳の頃からやっているけれど。

F:それで今10年近くリオに住まわれていて、その差は縮まったのですか?

N:ショーロとですか?

F:そうですショーロとの距離

N:縮まりました。
ブラジル人になりたいと思った時期もあったし、ブラジル人と同じように演奏したいと思った時期もあった。
しかし、時間が経てば経つほど、それは可能ではないとが分かりました。
だけど、出来る限り近づくと言うことは出来るでしょう。

F:ブラジルを理解できたと思うとか、もっと理解できると予測が付くようになるというか。

N:そう、もっと理解できるレベルが上がるとか。知識もそうだし、理解度もそう。
近づくということができる。
それを一生の課題にしようと思ったの。

F:悔しいのは、歴史と言ってもブラジル人自身は殆ど自分の国のことを勉強していないんじゃないですか。

N:うーん、それは人によりますね。私の回りはインテリが多いから

F:あはっは、確かにそうですね。

N:みんなすごいインテリだから、メールとかするんですけれど、これが。

F:僕はブラジル人が例えばブラジルの王制の話をするのを聞いたことが無い。

N:そうですか?

F:僕がブラジル人と良くやっていた言葉遊びというか、小学校ぽい遊びと言うのか、どこか適当な州の名前を上げて、この州の首都はどこかって質問をしあうってあほらしい遊びですが、殆どのブラジル人が北の州になると怪しかった。

N:人によると思うな。文化度によるんじゃないかしら。

F:カリオカの方がパウリスタよりレベル高いのかな。

N:そうではなくて、私の回りにいる人間がそうなの
メールのやり取りしていても誰かが高尚な文を書くと、みんなが競い合い始めるの。
そうすると途中から私は訳がわかんなくなって、メールの全部の単語を辞書ひかないと分からなってしまう。見たことが無いような単語を使って勝負したりしています。

F:そういえばマウリシオの文章はAと言いながら実はBだと言っている感じのものがありますね。
まっすぐ言わない、変化球というか。

N:そうかな?

F:ジノ7コルダスのことを書いている文章、何を言っているのか分からなかった。

N:あの人は元々口の悪い人なので、多分、正直に喋ったのを誰かが編集したのかもしれない。
公衆の面前で、言っちゃいけないことを言うから。

F:そうかも知れない。分からなかったもなあ。

N:そういう意味ではなくて、単に単語の種類が、日本語でもあるじゃないですか、こんな単語見たことが無い、そういうのを羅列して送ってくるの。
いちいち辞書見て調べて、途中から疲れてきちゃう。

F:確かにみんな小難しそうですものね。
クスタバン・バストスにせよ、音楽にもインテリジェンスを感じます。

N:すごいインテリ。
すごい。
でも、本当はそんなのは人によるけど。

 

第7回 インテリジェンス

F:ハダメスにはインテリジェンスを感じますが、今のショーロ界にはあの流れがあるのですか?

N:それは確かに絶対あると思う。
ハダメス以降、特にマウリシオ以降の世代の人達は、流れを汲んでいるか、全然汲んでいないか、分かれているね。

F:楽しければいいじゃないかと言う人と、何で楽しいんだろうと分析していく人、つまり好奇心がある人とない人。

N:ショーロと言うのはインテリの音楽だって言われるんですけれど、勿論そうでないと言う人もいますが、クラシック音楽の要素が強く流れの中にあるのは事実だと思う。
クラシック音楽をポルトガル語で言うとムジカ・エルジーダですよね。
これは教養のある音楽と言う意味で、こんな言い方するのは他の国ではないんじゃないですか。
ムジカ・クラシカとは言わないから。
と言うことは、ショーロはそういう素養を持っている音楽なんですよ。
勿論スブビオ(編集部注:「田舎の」という意味)のショラオンで昔からのやり方で、やっている人も沢山いるのも事実。
マウリシオたちなんかは如何にハーモニーにこるかというところに命をかけている。
それを突き詰めていくとラベルに行くんです。

F:ラベル?

N:みんなそれを目指しているの。クリストバンなんて、もうそのもの。
みんなラベルの管弦楽法なんか勉強しているし、ハーモニーのことなんかもすごい研究している。

F:ラベルとは初耳です。

N:そんなこと、誰も言わないかもしれない、言葉にしては。
でも一緒に活動していると彼等が何を求めているかが伝わってくる。
クリストバンなんか、彼の曲で、あるコードから次のコードに行く意味が分からないときがあって、ただ綺麗なだけみたいで、どうしてこうなんだと聞いたら、「ほら、ラベルのあの曲にあるだろう」とピアノを弾いてくれたの。

F:ラベルはフランス人でしたよね?

N:フランス人。色彩豊かな印象派の作曲家で。
それまではショーロは機能的なハーモニーを使っていたから。
まあ、今でも使うけど。

F:それまではと言うのはクリストバン以前?

N:ハダメス以前はですね。
だからハダメスが持ってきたみんなが知らなかったことを、知り始めたということで、大きく変わっていった。
リオのショラオンの半分はものすごく変わっていった。
で、もう半分はずっと伝統のまま行っている人達も居るんです。
これが私はすばらしいと思うんです。
これもショーロだし、それもショーロなんです。
そういうのも私は分かりたかったんです。
日本でCD聞いているだけだと、これもショーロ、あれもショーロ。
でも出てくる音が全然違う。
で、ショーロっていったい何なのよという疑問にぶちあたったのよ。
幅が広いでしょ。
ハダメスもショーロで。
ピシンギーニャもショーロ。
マウリシオのこれもショーロで、
訳が分からない。
例えばエルメットも作っているし。
ショーロと言うものがすごく幅が広いから、それがどういうものかも知りたかったのです。

F:僕の悩みは、ショーロ・サイトをやるに、どこまでがショーロかって言うのが分からなくて、もう区切りをつけないで、ショーロ・ミュージシャンのやる音楽は全部OKということにしてしまったんです。

N:でも区切りはあるんですよ。

F:あるの?

N:あるんですよ、口では中々説明できないけれど。
ショーロと言うくくりはやっぱりあるんです。
規則を作って書き上げることは出来ないですけどね

F:例えばマウリシオのやっている音楽は全部ショーロと言って良い分けではない?

N:私は全部ショーロだと思う、特に近年のものは。
実際はサンバも作ってはいるけれど。
マウリシオはショーロを作っていないと言う人もいるわよ、
あれはクラシック音楽だって言う人もいる。

F:曲が構成的だから?

N:でも彼はフルスコア書くわけでないから、ポピュラー音楽だとは思う。
でもシンフォニーオーケストラのための作品も作っているくらいだから
やればやり切れるんじゃないかしら。

 

第8回 音楽と民俗性

 

C:ブラジルのワインかアルゼンチンのワインがありますが。

N:じゃあアルゼンチンワインをください。

F:裏切り者じゃあありませんか。

N:ブラジルのはいつもリオで飲んでますからね。
自分の話をすると、実は前から音楽と国民性については気になっていたんです。昔日本でクラシックを演奏してた頃からずっと気になってました。音がなかなかしっくり合わなかったんですよね。みなさん上手なんだけれど。

F:熊本さんは日本の演奏家と合わないと言うこと?

N:そういう意味じゃなくて、音が交わって来ないんですよね。

F:合奏をする上で?

N:そうですね。音楽は一人では出来ないので、いつも誰かと一緒に音を出してるわけですが、音楽としてなかなか一つにならないんですよね。なかなか音がうねらないというか。
その話をある時に私が尊敬する日本人フルーティストにしたんです。
その方もオーケストラで演奏していた人で、「どうしてなんでしょうね?」って聞いてみたんです。そしたら、「日本の大学で勉強してからフランスに留学する人もいれば、ドイツに留学する人もいる。アメリカに留学する人もいる、留学しない人もいる。そういう色んなところへ行って勉強して来た人達が日本へ戻ってきて一緒に演奏する。合うわけがないでしょ?」って言われて。言われてみて「そりゃそうだよな」と納得しました。

F:ヨーロッパのオーケストラの演奏者も世界中から来ているのじゃないんですか?

N:オーケストラによると思いまが、やはりその土地の人が大半でしょう。逆にアメリカのオケなんかはもっと門戸が広いかもしれませんね。移民の国ですし。ヨーロッパはやはり伝統を保持しているオケが多いですよ。オペラハウスなんかもね。最近は少しずつ緩和している事はしてるみたいですけど。

F:色々な背景の人が混ざると音が合わなくなるから?

N:この間、フランス放送管弦楽団を聞いた時は、プログラムを見ると一人だけ日本人で残りはみんなフランス人でした。一緒に行ったフランス人の友達がフランスの名前しかない、って言ってたから間違いないでしょう。その友人とも話してたんですが、例えばパリのオケに入る人達は、たとえ外国人であったとしてもフランスのコンセルヴァトアールで勉強してる人が多いでしょう。そうすると演奏スタイルは似て来ますよね。イタリアの伝統的なオーケストラや、ベルリンフィルなんかも門戸をあけたのは最近じゃないですか。私も最近クラシック界から離れてるので現状にはあまり詳しくないのですが、ウィーンフィルは外国人を入れてなかったんじゃなかったっけ?あ、そう言えばこの間、韓国人、しかも女性フルーティストがトップ奏者として入りましたね。このニュースにはかなり驚きました。
国によって奏法も変わりますしね。

F:奏法も?

N:フランスの奏法とドイツの奏法はかなり違いますよ。ウィーンに行けばホルンやオーボエなど、楽器自体も違います。フランスでも、オーボエやファゴットは楽器が違ったり奏法が違ったりリードの削り方が違ったり、独特ですよね。

F:閉鎖的ということ?

N:閉鎖的というより、それは伝統だと私は思います。というか、伝統というものは閉鎖的ですよね。だから個性が出るわけで。先に話した「各言語の音やリズムの違い」というのと同じ話です。例えば、言語が違えば口の筋肉や下の動きが変わります。管楽器だと大きな影響が出るでしょ?それに体格だって違うわけですから。そうすると必然的に奏法は変わって来ます。言語の音が違えば耳が変わる。そうすると、楽器に求める音も変わって来るでしょう。昔、ベートーベンの第九を演奏した後の帰り道、「3楽章のあんな大きなフレーズ、小さな体の日本人に表現出来る分けがないわ。ドイツ人くらいでかくないと無理よ。」って、ヴァイオリンを弾く友人が言ってたのを今思い出しました。

F:みんなが音と自分の身体との関係に違和感を持っているのでしょうか?

N:どうなんでしょうね。持ってる方も持ってない方もいらっしゃるのかもしれません。私が細かい事を気にし過ぎなのかもしれませんが、そういうことがずっと気になっていて、その延長線上で「私はどうして日本の音楽をやってないのか」という疑問にたどり着いたわけです。実際に日本の笛を手にしてみた事もありますが、音の出方が全然違って私の欲するものではなかったし、日本の音階も私の中にある音楽性とは違います。
逆に言うと、民俗音楽やっている人達を見ると出て来るものが強いんですよ。まず音が強い。ボリュームが大きいとかでは無く、アピールする力が強いという意味です。
マウリシオ達の演奏を初めて目の前で聞いた時、どうしてこんな風になるのかな、ってびっくりしたんですよ。音と音が磁石のように引っ付くんですよね。

F:そりゃあ、興味津々になっちゃいますね。

N:そうそう、随分前の話、まだショーロのことも知らなかったような頃ですが、イタリアのボローニャ歌劇場の引っ越し公演を見に行った事がありました。
歌手、コーラス、ダンサー、オケ、スタッフ、セットや小道具まで全部持って来てました。
もちろん出し物もイタリアオペラ。クライマックスで、役付きの歌手達もコーラスもみんな舞台にいて、全員の歌声とオケが一丸になった時、そこにいた何十人の人達の出す音がひとつになって、一点に向いていたんです。あれは圧巻でした。伝統、あるいは国民性というものを強く感じた最初の体験でした。
その後、マウリシオ達のショーロを聞いて全く同じ事を感じたわけです。音が吸い付いて行く感じ。

その話で思い出しましたが、リオで暮らしていると、色んな国からやって来るミュージシャンと出会う機会があります。南米には、ゲストが来れば必ずと言っていいほど集まって食べたり、飲んだり、演奏したりして楽しむと言う習慣があります。
アルゼンチン、ヴェネズエラ、コロンビア、ペルー、ボリヴィアなど、ブラジル以外はすべてスペイン語圏ですが、それでも各国の音楽の特色の違いは大きく、みんな自国の音楽を演奏して聞かせてくれます。
そう言う時にみんなで一緒に演奏するというのは無理なので、お国自慢のようにそれぞれが自分の国の伝統音楽を奏でるわけです。
私は日本人だけど、そう言う時はもちろんブラジル側の一員としてブラジル音楽を演奏するわけですが、居場所があって良かった、なんて思う事も正直言ってありますよ。

レコーディングだけして未だに発売されていないCDがあります。
その時は、リオから私を含めて数人、アルゼンチン人が2人、ヤマンドゥ・コスタもいました。彼はブラジルでも南部出身なので、文化的にはアルゼンチンに近いんです。音楽も、言葉の訛りなんかも。

その時にショッチスだったかな、みんなで一曲一緒にやろうとしたのですが、どうしても上手く行かず、ディレクターのマウリシオは遂に諦めてしまいました。
「繰り返し毎にグループを変えよう。一回目はアルゼンチングループ、二回目がブラジルグループということにしよう」というので「で、私は?」なんて冗談で聞いてみた事もあります。

F:自然に「ブラジル組」になっていたのだろうと想像しますが。

N:まだリオに引っ越す前、ブラジルに数ヶ月勉強しに行って日本へ戻って来た時に、たまたまフランスからオーケストラが来てたんです。
リヨンのコンセルヴァトアールの学生オケ、ソリストはそこのフルートの先生のフィリップ・ベルノルド。イベールのフルートコンチェルトをやるっていうので、興味津々で聞きに行きました。
この曲は、よくコンクールの最終課題曲になる、とにかく技巧的に難しい曲で、私はあまり好きではなかったんです。
楽曲の理解が良く出来なかったと言うか。オーケストラパートも難しく、正直言って技巧的だけではなく、音楽的に上手く噛み合ってる生の演奏をそれまで聞いた事がなかったんですね。
難しいために、みんなしゃかりきになって演奏して終わり、というようなイメージがいつも残ってました。
なので、学生オケがどこまで聞かせてくれるかな?と思って聞きに行きましたが、なんのなんの、するすると流れるようにオーケストラが紡ぐ音の上で、ベルノルドのフルートが軽やかに響くと言う、いとも簡単に見えるほどの素晴らしい演奏でした。
当たり前だけれど、フランス人にとってフランス音楽はストレートに入れますもんね。
「やっぱり・・・」って、その時に国民性の強さをもう一度再確認したんです。この日に聞いた演奏も、リオへ引っ越す為に私の背中を押してくれたものの1つですね。

F:民俗と音楽の相関関係ってこのインタビューの最初の方に出た話ですね。

N:この間、日本へ帰って来るちょっと前に、リオでメリーウィドウを見たんですよ。
ウィーンのオペレッタで当時大流行しました。初演は1905年だったかな。
それを見て「これこれ!これがショーロの源流だ!」って感じました。歌手もオケも、ワルツやポルカを得意そうに楽しんで演奏してたし。ブラジルのオペレッタじゃなかったけど、これこそ国民性ですよね。

F:どいう意味ですか?

N:当時流行ったオペレッタを見られたらいいと思いますよ。
ヨハン・シュトラウスの「こうもり」と言うオペレッタなんかは日本でも良く上演されるし、有名ですよね。あれとか見たら、ショーロはこれっ!って思いますよ。

F:そういう意味ね、なるほど。

N:メリウィドウも同じような感じのものです。

F:作曲は?

N:レハールです。ワルツとかポルカの続出。ワルツのきれいなメロディーで歌い、ポルカで踊り狂う。当時のパリのベルエポック時代がいかに浮き足立った時代だったかが伺えます。
そんな人達がリオへたくさん来てたわけですからね。
そりゃあブラジル音楽も陽気になりますよね。

ブラジル人の友達と一緒に行ったんですが、彼女が「あのワルツはブラジルのワルツを思い出させるわ。何故かしら?」って聞くので、「ヨーロッパのワルツがブラジルに来て根付いたんだから、似ているのは当然じゃない?」ってその時は答えたんだけど、彼女があまりにも感動しているようだったので、後日、ブラジル音楽の歴史に詳しい私の友人に聞いてみたら、実は当時、メリーウィドウに出て来るワルツやポルカだけを抜粋してカーニバルで演奏していたほど、リオでも大流行したらしいんです。
そう言えば、会場にも口ずさんでいる人がたくさんいましたね。
ただ、歌がポルトガル語だったのでちょっと残念でした。「原語で歌って欲しかったよね」って一緒に行った友達3人とも同意見でした。
言葉が変わるとリズムが変わるのでメロディのリズムに自然に乗らなくなるし、声の響きも変わってしまうので、せっかくのオリジナリティが壊されてしまいますよね。

F:そういえばシキーニャ・ゴンザーガもオペレッタを一杯作っていましたよね。
N:同じ時代ですよね。

F:シキーニャのオペレッタって忘れられて誰もやらないのですか?

N:インスティトゥート・モレイラ・サレス(Instituto Moraira Salles)っていう、ナザレーのサイトを運営している財団があるでしょ?あそこの次の企画がシキーニャ・ゴンザーガで、今、楽譜を掘り起こしているからいつかやるかもしれませんね。自筆楽譜のスキャン作業は終わったと聞いています。

F:ポルトガル語のオペレッタが見られるかもしれないと思うと楽しみですね。

F:それでは、本日はお忙しいところありがとうございました。

 

フォンフォン編集部より

熊本さんの話はまだまだ続きましたが、今回のインタビュー記事としては、ここで一旦終了します。
ありがとうございました。

ルシアナ・ラベーロ「ポルタチル音楽学校」
マウリシオ・カリーリョ 「7弦ギター」